ぱくちゃんの担々麺

増田朋美

ぱくちゃんの担々麺

今日も暑かった。なんだか体力を吸い取られてしまいそうな暑さでもあった。こうなるともう疲れ果ててしまって同しようもない一日になってしまうのかなと思われる日だった。

その日、どうせこの暑さでは人は来ないだろうなと思われていたぱくちゃんの店に一人の客がやってきた。客は一人の女性で、そんなにきざな感じでもなさそうだが、なんだかちょっと、普通の人とは違うような風貌の女性であった。とりあえずぱくちゃんは、彼女をこちらへどうぞと言って

テーブルに座らせた。

「いらっしゃいませ。ご注文、決まりましたら、お伝え下さい。」

と、ぱくちゃんが言うと、

「はい。担々麺を一つお願いします。」

と、女性は言った。

「しばらくお待ち下さい。」

ぱくちゃんはそう言って厨房に戻っていったが、どうもその女性がノートを開いてなにか書いているのが気になる。とりあえず、担々麺を作って、女性の前においた。すると彼女は、ぱくちゃんにこんな事を聞き始めた。

「こちらは、勝浦担々麺とか、小田原担々麺のどちらの系統で修行されましたか?」

「そんな事言われても困るなあ。」

ぱくちゃんは彼女に言った。日本語もあまりよく理解していないぱくちゃんには、小田原も勝浦も知らない名詞だった。

「僕はただ、ウイグルのランマンを、日本の担々麺にあわせて作っているだけで、どこにも属していないよ。」

「それもまた珍しいですね。千葉の松戸にウイグルラーメンという店がありまして、そこもウイグルのランマンというのかしら、それを醤油ベースに合わせて提供しているそうですけど、そこで修行されたんですか?」

女性は、メモを取りながら言った。

「まあそういうものはどうなのかな。僕はただ、ウイグルで日常的に食べられていた、ランマンが好きで、作っているだけで。」

ぱくちゃんがそういうと女性は、日常的なウイグルのラーメンとノートにメモした。

「あの、さっきから一生懸命なにか書いているようだけど、一体あなたは何者?」

ぱくちゃんが、疑い深くなってそうきくと、

「はい、ごめんなさいね。自己紹介遅れてしまって。私はね、こういうものです。よろしくおねがいします。今日は、今月出版する予定のラーメンエッセイ集に、こちらのお店を書かせていただこうと思って、こさせていただきました。早速、お店を紹介させていただくに当たって、あなたに、インタビューしたいんだけど、あなたのお名前は?」

そう言って彼女は名刺を見せた。そこにはラーメン評論家、西村紀子と書いてある。

「なんて読む?」

ぱくちゃんが聞くと、

「だから言ったでしょ。にしむらきこ。職業はラーメン評論家。全国の面白いラーメン屋さんを探して、皆さんに紹介するのが私の仕事です。」

と、西村紀子さんはにこやかに笑った。

「つまり、僕の店が、本に載って紹介されると言うこと?」

ぱくちゃんがそうきくと、

「そうなのよ。それが私の仕事だから。だからちゃんと、店のご主人として、お名前を教えてよ。怪しいものではありませんから。」

と、紀子さんは言った。

「はい。僕の名前は、鈴木イシュメイルで、店の名前はイシュメイルラーメン。あだ名はぱくちゃんで、みんなからはぱくちゃんぱくちゃんと呼ばれています。」

紀子さんはそれもメモした。

「わかりました。イシュメイルさんね。どちらの国から来られたの?中東の方?」

「僕のふるさとは、中国のウルムチ市。新疆ウイグル自治区の大きな街だよ。最近、おっきな暴動があって、大変なこともあったけど、日本はどこかのんびりしていて、暮らしやすいのかなと思ってるよ。」

そういうぱくちゃんに紀子さんはそれもノートに書き込んだ。

「なんでもノートに書くんだね。パソコンでも使ったらどうなの?なんか、全部手書きって不便そうに見えるけど?」

ぱくちゃんが、そうきくと紀子さんはにこやかに笑って、

「まあそうなんですけどね。書くのが昔からの習慣だから、それでずっとやってきてるのよ。」

と言った。

「へえ、今どきそういうことするって変わってる。日本人は何でもパソコンでしちゃうから。でも、うちの店を紹介するんだったら、立派な生地にしてね。」

「はいわかりました。それなら、店をオープンさせることになった、理由などを詳しく話してください。」

紀子さんがそういうので、ぱくちゃんはとりあえずイシュメイルラーメンをオープンさせた経緯を話した。中国から暴動から逃げて来日したものの、何もつてもなく日雇いで生活していたが、そこで毎日食べていたランマンを他の仲間に食べさせたところ、評判が良かったので、店にしようと思い立ったということを話した。始めは、屋台の店だったけど、妻である亀子さんと結婚して、彼女の資金援助で店を始めたこと。まあ、いずれにしても、ぱくちゃんにしてみたら、ウイグルの日常料理を日本風にアレンジして食べさせるということをしているだけであるが、それでも現在までラーメンを作り続けているのだから、まだ良いのかなと言った。ときに黄色いさぬきうどんと批判されることも少なくないけど、ラーメンを食べてくれる人が居る。紀子さんは、彼の話を上手に要点を聞き取ってメモ書きした。

「珍しいラーメンを作って、皆さんにラーメンを届けて上げてください。こちらのお店のことは、丹精を込めて書かせていただきます。」

紀子さんはにこやかに笑った。そして、担々麺を美味しそうに食べて、

「太い麺で、変わってるけど、とても美味しいわよ。きっと本場の担々麺に近づいた気がする。じゃあ、今日はこれで失礼するわ。ラーメンのお代を支払っていきます。」

と言ったので、ぱくちゃんは、800円ですといった。

「じゃあこれでどうぞ。」

紀子さんは五千円を彼に渡した。

「お釣りは要らないわ。今日の取材料だと思って、持っていって頂戴。」

ぱくちゃんはそう言われて、じゃあお言葉に甘えてといい、お釣りは渡さなかった。

「本日はありがとうございました。楽しく取材させていただきました。本にあなたの店がでたときは、よろしくおねがいします。」

「はいありがとう。」

彼女、西村紀子さんは、きれいに笑って、ぱくちゃんの店を出ていった。

それから数日後、富士市の書店に、「うまいラーメンショップ」という本が並ぶようになった。著者はもちろん西村紀子である。そしていつも閑古鳥がないていたぱくちゃんの店に何人か人がやってくるようになった。と言っても、満席になることはなかったけれど。でも、お客さんたちは、西村紀子の本をよんで来店したと口を揃えていった。みんな、紀子さんが注文したのと同じ、担々麺を注文したがるのであった。

「この店が随分繁盛していると聞いて、お祝いにこさせてもらったぜ。」

ある日、杉ちゃんとジョチさんが来店した。その時も担々麺を食べている客が何人かいた。

「結構人が居るじゃないですか。あの評論家の先生、随分人が良かったんですね。」

ジョチさんがそういった。

「まあ、そういうことだねえ。ウイグルのラーメンなんて、日の目を見ることは無いと思っていたけど、まさかこんなふうに紹介されるとはね。しかし、よくあの先生も、うちの店を見つけたよね。こんなしょんぼりしたラーメン屋、どこで見つけてきたんだろう。」

ぱくちゃんは杉ちゃんとジョチさんにラーメンを渡しながら言った。

「まあ、偶然というものがあるってことだよな。運命なんて偶然ばっかだよ。まあ良かったじゃないの。人が店に来てくれるようになってさ。それは本当に嬉しいことだ。お前さんも少し楽ができるんじゃないか?」

杉ちゃんにそう言われて、ぱくちゃんはそうだねえといった。

「でもなんか変な気がするな。いつも閑古鳥がないていて、当たり前だったからな。それが、店をオープンして、10年以上そうだったから、なんか変だよ。」

ぱくちゃんは正直に感想を言った。

「まあそれはそれで良いじゃないか。やっとぱくちゃんの店も世間に認めてもらえたということだよ。それは素直に喜べばいいじゃん。お祝いにどらやき持ってきた。田子の月のどら焼きだから、すごく味がしっかりしていて美味しいよ。」

杉ちゃんが、車椅子のポケットから箱を出して、ぱくちゃんに渡した。

「あ、どらやき!」

単純な正確をしているぱくちゃんは、嬉しそうに笑った。

「あんた。早く仕事に戻ってよ。でないと、他のお客さんをまたせちゃうわよ。」

厨房から亀子さんの声がした。ぱくちゃんはどら焼きを食べる日まもなく厨房に戻っていった。

それからまた二三日経って、曇った日の早朝のことであった。曇っては居たが、雨は降っておらず風もなくて穏やかな日だった。

杉ちゃんとジョチさんが、杉ちゃんが昨日忘れてしまった手ぬぐいを取りに、イシュメイルラーメンに行ってみると、一人の女性が店の前でなにかを撒き散らして居るのが見えた。始めは打ち水でも撒いているのかなと思ったらどうもそうでは無いらしい。

「おうお前さん、今日は涼しいから、水なんか撒いても意味がないぜ。」

と、杉ちゃんが言った。女性は、ぎょっとした顔で杉ちゃんたちを見た。

「何をしているのか知らないが、今日はそんなに暑い日ではないぞ。水を撒いて涼しくしようとする必要は無いんだよ。」

「それは水じゃありませんね。どう見ても灯油です。ここに灯油なんか撒き散らして、一体何をするつもりだったんですか?」

ジョチさんに言われて女性は逃げようとしたが、慌てて走ろうとして、うまくいかず、転んでしまったので、それはできなかった。

「まあ待て待て。ラーメン屋に火をつけても仕方ないじゃないか。もうちょっと話しても良いんじゃないの?」

杉ちゃんにそう言われた女性は、なんでこんなことにという顔をしていたが、もう遅かった。ジョチさんに行きましょうと言われて、仕方なく彼女はぱくちゃんの店にはいった。

「はい、いらっしゃいませ。」

中に入ると、ぱくちゃんが、三人をテーブルに座らせた。そして、

「はあ、三人ともはやりの朝ラーですか。じゃあ、ご注文決まりましたら、教えて下さいね。」

と言った。

「なんであたしが、こんな店のラーメン食べなくちゃいけないのよ!」

女性はいきなりそういう事を言った。

「それはどういうことかな?」

と杉ちゃんが聞くと、女性は更に嫌そうな顔をする。

「隠し事は許さんぞ。店の前に灯油をばらまくなんて、犯罪行為だ。そういう事するんだったら、ちゃんと話をしてからやってくれ。大概な、話をちゃんとすれば解決することが多いんだ。」

「そうですよ。悪意にも程がありますからね。あなたのしたことは、放火未遂です。ちゃんと理由を話してもらわないといけませんね。」

杉ちゃんとジョチさんに言われて、女性は、一気に申し訳無さそうな顔をして、

「私、伊佐田陽子と申します。この近くで、ラーメン陽子というラーメン屋をやっております。」

「はあ、それでどうしたの?」

単純な顔をして杉ちゃんは言った。

「ラーメン陽子。ああ、なんとなく知って居ます。以前、樫村胃腸科に行ったときによったことがありました。有名な店ですよね。」

と、ジョチさんが言うと、

「はい。それなのに、先日、ラーメン評論家の西村紀子先生の本でこちらの店が取り上げられて、それからうちの店は客が来なくなってしまって。それが本当に憎たらしくて、思わずこの店に灯油を持ち込んでしまいました。」

伊佐田陽子さんは、泣き泣き言った。

「ほんなら、メニューを考えるとか、そういう事すればいいじゃないかよ。それは、店をやってるお前さんが工夫しなければだめなんじゃないの?」

杉ちゃんが直ぐに言った。

「ごめんなさい私、そういう意味ではちゃんと考えるべきでしたね。私も、感情的にならないで、やるべきだったのはわかっているのですが、ここの事がどうしても憎たらしくなってしまって、ごめんなさい。」

泣きながら、何回も頭を下げる陽子さんに、

「ほんならここの担々麺をたべてみたらどうだ?きっとうまいぞ。それで、理由だってわかるんじゃないの?」

杉ちゃんがそういった。陽子さんは仕方ないというか、涙をこぼしながら、

「担々麺をください。」

と言った。続いて、杉ちゃんとジョチさんが同じものを頼んだため、ぱくちゃんは、

「はいわかりました。担々麺を3つね。」

と言った。

「まあ、食べてみたら、理由もわかるぜ。ここの黄色いさぬきうどんみたいなラーメンが繁盛した理由がな。それで、勉強すると良いさ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。15分くらいして、ぱくちゃんが陽子さんの前に担々麺をおいた。

「随分辛そうな担々麺なんですね。麺も太いし、なんか、ラーメンというより、担々麺風の味をつけたうどんを食べているみたい。」

「まあ、理屈無しで食べてみな。」

杉ちゃんに言われて陽子さんは、ラーメンを食べてみた。ぱくちゃんが杉ちゃんたちの前にも担々麺を持ってきたので、杉ちゃんたちもいただきますと言って、担々麺を食べた。

「なんで、味は普通の担々麺じゃない。違うところは、その黄色いさぬきうどんのような麺だけよ。それなのになんで、この店が繁盛したんだろ。」

陽子さんはそういう事を言っている。

「本の内容は読まなかったんですか?」

とジョチさんが聞くと、

「ええ、本は確かに読みました。あなた、ウイグルの出身でこちらに来たときは、日本語も何もわからなくて、すごい苦労したそうだけど、そんな事と、担々麺を食べる目的は違うと思うけど。そんな苦労話を聞くために、お客さんがラーメン食べに来ると思う?」

と、彼女は言った。

「いや、僕の話なんてどうでも良いよ。僕はただ、自分の出来ることを精一杯やってるだけで。この太い麺は、ウイグルの中では当たり前の様に食べられていて。」

ぱくちゃんが、そう言うと、

「そうなんだ。やっぱり、国が違うと、当たり前の事が特別なことになるのね。日本の家庭料理を日本人が提供しても、日本では何も面白くないと言われるだけで、何もならないけど、ウイグルの料理を日本で作れば、こうやって大繁盛になっちゃうのね。嫉妬するわ。あなた、これから、まだまだ可能性がある。それは、ホント羨ましいというか、ちょっと憎らしくなっちゃう。」

と、伊佐田陽子さんは言った。

「そんなことないよ。」

ぱくちゃんは言った。

「僕はただ、自分のために日常的に食べられていたものを作るしかできないよ。それに、料理してお金儲けしようとか、偉い地位につこうとか、そういう事はもうとうの昔に忘れちゃった。」

伊佐田陽子さんは、ぱくちゃんを睨みつけた。

「だって、お料理作れば、どら焼きが食べられるんだし。」

「それにさ、日本の家庭料理だって、きっとそのうち忘れ去られるさ。それと同時に、そういう料理を出す店も流行るようになるよ。」

と、杉ちゃんが彼女を励ました。

「そうですね。今は、バランス栄養食なんてものもあって、料理が馬鹿にされている傾向もありますからね。」

ジョチさんは、そういう事を言った。確かにそのとおりだった。最近は、栄養ドリンクで満足してしまう人も少なくなく、食べることが軽視されている時代でもある。そのうちそういう家庭料理屋が繁盛する時代もあるような気がした。

「そうそう。それにラーメンだって味噌に醤油に豚骨に、いろんなタイプがあるわけじゃない。それで違いを出すことも出来るんじゃないか?」

杉ちゃんは急いで言った。

「大事なのは、店の色というか、特徴ですよね。この店は、醤油ラーメンが得意だとか、あの店は味噌ラーメンが得意だとか。そういうラーメン屋さんの違いを楽しむ人だって居ると思いますよ。西村紀子さんは、決して、あなたの店を潰すためにこの店を紹介したわけじゃないと思いますよ。それより、ラーメンの違いとか、個性とかを発見してほしくてあの本を書いたのでは無いですか?」

ジョチさんは、商売人らしく言った。

「まあたしかにねえ。人間は自分よりも人のほうが良くなると面白くないって言うけどさあ。だけど、ぱくちゃんの店に、灯油をばらまくなんてことはしないでもらいたいなあ。結局それが戦争の原因だったりもするからなあ。一番人間らしいところだと言う人も居るけれど、良くないことであることに変わりはないぜ。」

杉ちゃんは、ラーメンを食べながら言った。

「そうですね。ある心理学の先生が人間の誰にでもある醜悪な部分だと言ってましたよ。」

「でもさ。」

不意にぱくちゃんがそういったのであった。

「確かに、人の方が良くなると面白くないのかもしれないね。でも、店の出し方、お客さんとの接し方、そして、レジの打ち方、こういう事はみんな人から教えてもらって身についた。機械をモノマネしたわけじゃない。ラーメン屋をやるに当たって、奥さんの亀子さんと、亀子さんの家族には、本当に助けてもらってたさ。まあ、もちろん、見様見真似で真似しただけのこともあるけどさ。でも、みんな人から教えてもらって身についた。だって、ホント、何もわからなかったもの。日本とウイグルは全然違うからね。教えてもらいながら、日本では初めから日本で暮らして身につけるのが当たり前だという習慣だって知った。それを知ってる事は、僕とは全然違う強みだよ、違うの?」

杉ちゃんとジョチさんは彼女の顔を見た。彼女、伊佐田陽子さんは大変驚いた顔をしている。

「そんな事、当たり前のことで。」

「いや、アタリマエのことができないやつも居る。僕もご覧の通り、歩けないし、他にもできないやつはいっぱい知ってるぜ。そういうやつに、当たり前の事を教えていくことも出来るんじゃない?」

陽子さんが泣きながらそういうと、杉ちゃんがそれを打ち消した。陽子さんは、もう完全に負けたような感じの顔をしていたが、杉ちゃんたちがうまそうに担々麺を食べているのを見て、なにか感じ取ってくれたらしい。陽子さんは、器に残った担々麺を、急いで口に入れた。そして、辛いスープをしっかり飲み込むと、

「ごちそうさまでした。」

と笑顔で言ってくれたのだった。


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ぱくちゃんの担々麺 増田朋美 @masubuchi4996

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