第10話 牙の嵐

 ミリィアの話によると、十年前に北のアリミア帝国が侵攻してきた時。北東のシキの民の住まう地にも帝国軍が攻めてきたらしい。


 しかし、カッシア王国は援軍を出さなかった。そのため、シキの民だけで帝国軍と戦い。多大な犠牲を払ったというのだ。


「村は焼かれ…… 多くの戦士が死んだ。それでも王国は援軍を寄こさなかった。私たちが犠牲になっている間に、戦う準備を進めていたのさ」


 結果、ようやく王国軍は反撃に出る。エルランの山々を越えてきた帝国軍を返り討ちにしたのだ。そして、帝国軍を追い払ったのである。


 なお、この時の戦争にはオルゥサも傭兵として参加していた。しかし、その裏で犠牲になったシキの民のことを知るよしもなかった。


「戦争が終わって、私たちは十年かけて村を復興させた。でも、王国は私たちに新たな徴税ちょうぜいを課すと言ってきたんだ。その時、シキの民の不満は爆発したのさ」


 暗闇の中でミリィアの声が響く。オルゥサは黙って耳を傾けていた。


「そりゃあ、最初に攻めてきたアリミア帝国はもちろん憎いさ。でも、それよりも憎かったのは、私たちを見捨てたカッシア王国さ…… そして、私たちは反乱を起こした。結果は、あんたも知ってのとおりだよ」


 その声には、悲しみに満ちていた。オルゥサは、ミリィアに聞いたことを後悔した。


「すまなかったな…… 悪いことを聞いた」


「いいんだよ。それにしても、私たちも運が悪いねえ…… 今、国王は病に倒れているそうじゃないか? 反乱を起こすのが、もう一年遅かったらねえ……」


 そう言った後、ミリィアは「ははは……」と笑う。


「まあ、どのみち王国相手に反乱なんか起こしても勝ち目はなかったさ。それでも、私たちは戦うことを選んだんだよ」


 シキの民は勝てないことを知っていた。負けるのを覚悟で戦ったのだ。それは、恐らく誇りを守るためだったのだろう。


「話はおしまいさ…… さあ早く寝よう。明日も早いんだろう?」


「ああ……」


 ミリィアが「自分は既に死んだ身だ」と言った意味が、ようやく分かったような気がした。


 そして、彼女は死に場所を求めている。今の自分にできることは、彼女を故郷に連れて行くことだけだ。


 オルゥサは、目を閉じて静かに眠りについた。



 ☆  ☆  ☆



 エーダの村を出て北東へと向かう。


 オルゥサたちは、険しい山道を歩き続けた。そして、三日後。


 周囲は、木々が少なく岩肌があらわになっている。エルランの山々を越える一番の難所とも呼ばれる地だ。


 先頭を歩いていたミリィアが急に立ち止まる。そして、屈みこんだ。


「どうした? ミリィア」


 オルゥサが尋ねるとミリィアは地面を見つめたまま答えた。


「……これを見てごらん」


「何だ?」


 オルゥサも屈んでミリィアの視線の先を見る。そこには、獣の足跡が残されていた。


ツゥオルの足跡か……?」


「そうだね。しかも、まだ新しい」


 よく見るとそこら中にツゥオルの足跡があった。


 オルゥサは、エーダの村で酒場の店主から聞いた話を思い出す。北の方は、シキの民がいなくなってから、ツゥオルが増えすぎているのだと。


「ここからは慎重に歩こう」


 ツゥオルの恐ろしさは、オルゥサも身をもって知っている。一匹程度なら戦って何とかなるだろうが。群れに襲われては敵わない。


 周囲を警戒しながらオルゥサたちは道を進んだ。


 しかし、少し進んだところでまた立ち止まる。東の斜面の上に、一匹のツゥオルが姿を現したのである。


「やっぱり、現れたかい……」


 ミリィアは、背負っていた剣を持つと刃の部分に巻いていた布を解く。オルゥサも弓矢をかまえて戦闘態勢に入った。


 その間に、ツゥオルが次々と顔を出す。やはり一匹ではない。群れのようだ。


 ミリィアは、ツゥオルたちを睨みつけながら剣をかまえる。


「オルゥサ! 私が前に出て戦う。あんたは後ろから弓で援護しておくれ」


「分かった……」


 戦士としての腕前は、ミリィアの方が上だ。前衛は彼女に任せよう。オルゥサは、いつでも矢が放てるように弓をかまえる。


 オルゥサたちが武器をかまえたのを皮切りに、ツゥオルの群れは一斉に斜面を駆け下りてきた。


 濃い灰色の毛並みに、鋭い牙をいて、オルゥサたちめがけて駆けてくる。その数は、十匹以上…… まるで雪崩なだれのように斜面を滑り降りてくる。


 オルゥサは、狙いを定めて矢を放つ。それは一匹のツゥオルの額に命中した。「ギャン!」と悲鳴を上げて、そのツゥオルは倒れるが、群れの勢いは止まらない。


 オルゥサは、すぐに次の矢をかまえる。ツゥオルの群れは、ついに目の前まで迫っていた。


 ミリィアは飛びかかってくるツゥオルを剣で薙ぎ払った。その動きは『いかづちの魔女』と呼ばれるに相応ふさわしいものだった。


 素早い動きでツゥオルたちを斬り捨てていく。


 オルゥサも後ろから矢を放って、確実にツゥオルを一匹ずつ仕留めていく。


 しかし、群れの勢いは止まらない。二匹のツゥオルがミリィアの横をすり抜けてオルゥサに向かって来る。


「チッ!」


 オルゥサは、向かって来る二匹の内、一匹に矢を放って仕留めた。そして、弓を捨てて腰から短剣を抜く。


 それと同時に、もう一匹のツゥオルが飛びかかって来た。オルゥサは、片腕でそれを防ぐ。ツゥオルの牙が顔の前まで迫り。生温なまあたたかい息が顔にかかった。


「くそッ!」


 オルゥサは、ツゥオルの脇腹に短剣を突き刺す。ツゥオルは断末魔の鳴き声を上げて地面に倒れた。


「大丈夫かい!? オルゥサ!」


 ミリィアは、戦いながら声をかけてきた。


「ああ! 大丈夫だ!」


 オルゥサは、ツゥオルの体から短剣を引き抜く。


 それと同時に、次のツゥオルがオルゥサに向かって駆けてくる。


「くそッ! キリがない……」


 オルゥサは、飛びかかってくるツゥオルの鼻先を斬りつけた。


 そして、ひるんで動きが止まったところで、短剣を突き刺しとどめを刺した。


 それから、ツゥオルたちとの死闘は、一時間以上に及んだのである。


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