第7話 傷を受けた男

 領主代役のヴェイガンは、急な呼び出しがかかり。領主の城を訪れていた。


 城壁の中は、弓や槍を持った兵士たちが訓練している。辺りは、物々しい雰囲気に包まれていた。


 現在いま、このカッシア王国は不安定な情勢にあった。国王が病に倒れているのだ。そして、次の国王の座をめぐって跡目争いが激化していた。


 内乱となれば、この領もそれに巻き込まれることは必至。兵たちの訓練に熱が入るのも当然のことだった。


 城内に入ると、謁見の間に通される。赤い絨毯じゅうたんが敷かれている奥には、玉座に領主のトーマスが腰掛けていた。そして、その隣には領主の息子ハキムが立っている。


 ハキムの顔には、包帯が巻かれていた。『雷の魔女』ミリィアが逃げる時に負わされた傷だ。


 ハキムの苛立たしそうな顔を見て、ヴェイガンは自分が呼び出された理由わけを悟った。


 ヴェイガンが、領主の前にひざまずくと声をかけてきたのは、領主のトーマスではなくハキムの方だった。


「ヴェイガンッ! あの女…… 『雷の魔女』ミリィアの捜索は今どうなっている!? まだ捕らえられんのかッ!?」


 ヴェイガンは「やはり……」と目を細めた。この短気な男は、自分の顔に傷を負わせた魔女が憎くてたまらないのだろう。魔女に逃げられたのは、自分の責任だというのに。


「残念ながら…… まだでございます。しかし、ご安心ください。優秀な追っ手を差し向けました。いずれ、必ず捕えられるでしょう」


「優秀な追っ手だと? ほう。相手は、あの『雷の魔女』だぞ? 何人の追っ手を向かわせたのだ?」


 ハキムは、歯ぎしりをするように苛立たし気に言った。ヴェイガンは、少し間を置いて答える。


「……一人でございます」


 それを聞いて、ハキムは目を見開くとヴェイガンに向かって怒鳴り散らした。


「たった一人だと!? ふざけているのか! ヴェイガン! たった一人の追っ手を向かわせて、あの魔女を捕らえられると言うのかッ!?」


「恐れながら、たった一人の追っ手ではございますが。戦士としても狩人としても一流の腕を持つ者にございます。『雷の魔女』とはいえ、必ずや捕らえて見せるでしょう」


 ハキムは「チッ!」と舌打ちをし、隣にいるトーマスの方を向いた。


「父上ッ! ヴェイガンの言う事など信用できませぬ! 私に兵をお与えください! 私自らの手であの魔女を捕らえて見せます!」


 その言葉に、ヴェイガンが口を挟んだ。


「ハキム様! それはなりませぬ! 今のこの国の情勢を見れば、一人の兵士とて出す訳には参りませぬ!」


 次期国王の座をめぐる跡目争い。内乱となれば、いつ不測の事態が訪れるとも知れない。


 ヴェイガンもそれを見越して、オルゥサ一人に『雷の魔女』追討の任を負わせたのだ。


「貴様は黙っていろッ! ヴェイガン! お願いします父上! 私に兵と『雷の魔女』追討の任をお与えください!」


 ハキムは、ヴェイガンに怒鳴るとトーマスにすがるように言った。


 領主トーマスは、しばらく目をつむって考えていたが。やがて目を開く。


「……分かった。ハキム。お前に十人の兵を与えよう。必ずや『雷の魔女』を捕えて参れ!」


「ありがとうございますッ! 父上! さっそく準備に取り掛かります!」


 ハキムは歓喜の声を上げた。そして、トーマスに一礼をするとその場を去って行った。


 ヴェイガンは、心配そうな目で領主トーマスを見た。


「よろしいのですか……?」


 トーマスは、重い表情で答える。


「分かってくれ。ヴェイガン。戦場で受けた傷ならば、武人としてのほまれだが。女の奴隷につけられた傷とあっては、あれも立場がないのだ。自らの手で汚名をそそぎたい気持ち分からんでもなかろう?」


「……しかし、今は一人の兵も無駄にできる状況ではありませぬ」


「分かっておる。だが、こらえてくれ…… ヴェイガン」


 所詮は、親子の情が勝ったか。ヴェイガンは目を閉じて頷いた。



 ヴェイガンは、謁見の間を去るとハキムの部屋を訪れた。先ほどとは打って変わって、ハキムは陽気な様子で旅の支度をしている。


「……ハキム様。ちょっと、よろしいですか?」


「何だ? ヴェイガン! 俺は、準備で忙しいのだ。手短てみじかに話せ」


「ハキム様は、兵を連れてどこに向かわれるおつもりで? 『雷の魔女』は北の方へ逃げたとしか分かっておりませぬ」


 ハキムは、ヴェイガンの方を見ることなく手を動かしながら答えた。


「それは、決まっておる。やつは北東のシキの民だ。シキの民が住んでいた村を目指したのであろう。そこへ向かえば間違いない」


「そうでございますか……」


 今さら「行くな!」と説得しても無駄であろう。ヴェイガンは、目を瞑った。


「エルランの山の神々に、旅の無事をお祈りいたします。ハキム様。どうぞお気をつけて行かれよ」


 だが、ヴェイガンの言葉はもはやハキムに届いている様子はなかった。ハキムは、鼻歌交じりに旅の支度をしている。まるで遊びにでも出かける前のようだ。


 ヴェイガンは、静かにハキムの部屋を去った。



 ☆  ☆  ☆



 オルゥサとミリィアは、翌日の朝、北東のシキの民が住んでいた村を目指して出発した。


 ここから目的の場所まで、歩いて十日はかかるだろう。


 オルゥサは、先頭を歩くミリィアに声をかけた。


「ところで、いかづちの……」


 言いかけて、オルゥサはハッとする。この国では、女性に向かって『魔女』と呼ぶことは最大限の侮蔑ぶべつの言葉である。共に旅をするようになった今、彼女を魔女と呼ぶことはためらわれた。


 ミリィアは、それを察したのか振り返って優しい笑みを浮かべた。


「ミリィアと呼んでおくれ。私もあんたのことはオルゥサと呼ばせてもらうからさ」


「あ、ああ……」


 オルゥサは、その顔を見て少し照れてしまった。このように女性と話すのは久しぶりだった。


「その。ところで、ミリィア。この近くに町か村はあるか?」


「ああ。川に沿って北へ進めば、小さな村があるよ。歩いて一日くらいかかるけどね」


「よし。じゃあ、まずその村に立ち寄ろう」


 今、ミリィアが着ているのは粗末な衣服だ。はたから見れば、逃亡奴隷だとすぐに分かってしまう。まずは、ミリィアの衣服。それから旅に必要な物を手に入れなければ。


 オルゥサとミリィアは、川に沿って道なき道を歩いて行った。


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