第6話 山の民の教え
オルゥサの問いに、女は「ふッ」と鼻で笑って答えた。
「山で困っている者がいれば助ける…… それが、私の生まれた部族の教えでね。もっとも、そいつが敵でなければの話だが」
「それは、シキの民の教えか?」
オルゥサが、再び尋ねると。しばしの沈黙が訪れた。女の目の奥に、光のようなものが宿った気がした。
「……あんた。まるで、私が誰だか知っているような口ぶりだね」
それを聞くと、オルゥサは素早く立ち上がって自分の荷物に駆け寄る。まだ体中のあちこちが痛む。しかし、痛みを押し殺して弓と矢を手にすると、それを引き絞って女に向かってかまえた。
「お前は、反乱を起こしたシキの民。『雷の魔女』ミリィアだな? 俺は、お前を追ってきた!」
「なんだい…… せっかく助けてやったのに。やっぱり、敵だったか……」
ミリィアは、近くにあった剣を手に取って立ち上がった。静かに剣をかまえる。
オルゥサの額から汗が流れた。『雷の魔女』ミリィアから発せられる圧には、熱のようなものがあった。今まで戦ってきたどの戦士よりも迫力がある。
だが、しばらくしてミリィアは「ふッ」とまた鼻で笑った。そして、スッとかまえを解き、持っていた剣を捨てた。
「何の真似だッ!? なぜ剣を捨てる?」
オルゥサは、その行動に逆に恐れを感じた。しかし、ミリィアは穏やかな顔と声だった。
「もう疲れたのさ…… 私は、あの反乱で王国軍に敗れた時。既に死んだ身だった。奴隷に身を落し、こうやって逃げ延びても、心は既に死んでいた。……せめて、生まれ故郷をひと目見てから死にたいと思っていたがね。もう、それもどうでもよくなったのさ。あんたに、ここで殺されるのも悪くない」
その言葉は、オルゥサにとって意外なものだった。魔女は、もう既に生きることを望んでいないのだ。
だが、それは自分を油断させるための方便かもしれぬ。オルゥサは、弓をかまえたまま動かない。
「殺せとは言われていない。生け捕りにせよとの命令だ……」
「そいつは無理な相談だね。私は、もう生きて戻るつもりはないよ。どうせ、戻っても脱走奴隷はどのみち死刑だろう? ならば、ここで
彼女は、もう死を覚悟している。そして、捕らわれの身になる気は無いようだ。ならば……
オルゥサは、弓を降ろした。それを見てミリィアは不思議そうな顔をする。オルゥサは、ミリィアの目を深く見つめた。
「故郷を見れば、満足するのか……?」
「何を言ってるんだい? あんた」
「俺も山の民の生まれだ…… 山で受けた恩は必ず返さねばならん。お前が、故郷を見て満足して死ねるのなら…… その望みを叶えようと言っているのだ」
「あんた……」
オルゥサの言葉を聞いて、ミリィアはしばらく黙っていた。やがて、静かに口を開く。
「……奴隷として鉱山で働かされ、毎日地獄のような日々だった。でも、夜にいつも夢見るのは幼き頃から過ごした故郷の山々さ。もう一度、あの美しい景色が見られるなら。いつ死んでもかまわない。毎晩、そう思っていたよ」
「俺は山の民だが、故郷を捨てた人間。しかし、お前の気持ちは分からぬこともない。お前を故郷のシキの民が住まう地まで連れて行こう…… だが、その後は殺して首を獲らせてもらう」
「ふッ…… あんた。とんだお人よしだね。……腹が減ってないかい? そろそろ兎の肉が焼けた頃だ」
洞穴の外は、日が暮れてすっかり暗くなっていた。
オルゥサとミリィアは、共に焚き火を囲んでいた。ミリィアから焼けた兎の肉の串を手渡される。その肉にかぶりつくと、香ばしい肉の香りと味が口の中に広がった。
隣にいるミリィアも美味そうに肉にかじりついている。
どうにも奇妙なことになってしまった。オルゥサは、胸の中にモヤモヤとしたものを感じていた。
この『雷の魔女』と呼ばれる女を殺して首を持ち帰れば、オルゥサの仕事は完了なのだ。
しかし、この女ミリィアは
ミリィアにとってみれば、自分など助ける必要などなかったはずだ。むしろ、殺して荷物を奪ってしまった方が、彼女にとって都合がいいはずである。
「あんた…… 名前は何て言うんだい?」
不意に、ミリィアが尋ねてきた。
「オルゥサだ……」
「オルゥサ? 変わった名だね。山の民と言ったね? どこの部族だい?」
「北西のウサの民だ……」
オルゥサは、ミリィアに聞かれたことに素直に答えた。もはや、ここまで来て嘘をつく気にもなれなかった。
相手は『雷の魔女』と呼ばれた女戦士だ。さっきも逃げようと思えば、逃げれたはずだし。殺そうと思えば、自分をいつでも殺せたはずだ。
だが、この女はそうしなかった。ミリィアに、なぜか妙な信頼感が芽生えていた。
オルゥサもミリィアに聞いた。
「この兎は、どうやって捕らえたのだ? お前は、一振りの剣しか持っていなかったはずだ」
今、こうして食べている兎の肉。ミリィアがどうやって獲物を捕らえたのか、オルゥサには不思議だった。いかに『雷の魔女』と呼ばれて、素早い身のこなしでも兎に追いつけるとは思えない。
ミリィアは「ふふッ」と
「そんなの簡単さ。罠を仕掛けたんだよ」
それを聞いて、オルゥサは眉間にしわを寄せる。エルランの山々では、罠を仕掛けて猟をすることを禁じられていたからだ。
エルランの山々は、神々が住む山であり。神々は、山の動物たちの姿を借りて暮らしているという。
罠を仕掛ければ、その神々が姿を借りた動物たちも罠にかかるかもしれないため。罠を仕掛けて猟をすることは固く禁じられていたのだ。
「ふふッ…… エルランの神々の教えかい? あいにく私は神を信じないたちでね。それに、神々がいたとしても、どうせ見捨てられた身だ」
ミリィアは、少し寂しそうな顔をした。オルゥサは、それ以上は何も聞かなかった。
そして、静かに夜は更けていくのだった。
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