第7話
嘘だ。東子さんが死んだなんて。
ぼくは事件を受け入れないでいた。ぼくに優しく接してくれた人が、間違いなくぼくより価値のある人が、こんな死に方していいはずがない。
警察はすぐには来なかった。なぜかホテル側が通報していないらしい。他の宿泊客も、ひとしきり騒いだ後何事もなかったかのように自室に戻っていった。
異常だ。異常すぎる。
「メルテ、この事件を捜査しよう」
ぼくたちも部屋に戻ったが、いてもたってもいられずぼくの方から言った。
「探偵気取りか? そんなにあの女が死んだのが悲しいか?」
メルテは相変わらず飄々としている。でもぼくは、真実を知る権利があった。ぼくとかかわりを持った人の死なのだから。
「警察が来ないなら、まず現場の検証だ……。ロビーに行こう」
「めんどくさいのぅ。人間の死などそこらへんに転がっていようが」
メルテは乗り気じゃなかったが、渋々部屋を出るぼくについてきた。
エレベーターで一階に行き、死体が倒れていた場所を観察する。
血だまりは既に掃除されていたが、かすかに鉄のにおいが残っていた。
「そもそも首を切るなんて行動をするってことは、犯人は相当東子さんに恨みを抱いていたってことだ……。ぼくには東子さんがそんな人に思えないけど、芸能界で恨みを買っていたのかもしれない」
「見事な推理じゃな」
メルテはあくびをした。ぼくはそれを無視した。
「この宿泊施設に泊まっている客をリストアップするんだ。東子さんを知っていそうな人がいれば犯人の目星はつく……」
「一般人に個人情報を教えるバカがどこにおるか」
ぼくはメルテを無視し続け、支配人に会うためカウンターに向かった。
カウンターには誰もいない。呼び鈴を押しても誰も出ない。妙だなと思った。
「すみませーん、誰かいますかー?」
大声で奥の部屋まで聞こえるくらい叫んでも、誰も出てこない。
ぼくはカウンターに押し入り、その奥に見えている事務所に歩を向けた。
「お前、なかなか大胆じゃのぅ……」
メルテは意外そうに言っていたが、ついてくるのは足音でわかった。
事務所に通じていると思われる扉には暗証ロックはなかった。普通なら番号を押せる関係者以外立ち入りはできないはずだ。
鍵もかかっていないらしい。ぼくはドアをそろそろと開けた。室内は照明がなく、暗い中になぜかパソコンの画面が灯っている。
「誰か、いませんかー?」
ぼくは再度呼び掛ける。部屋の中に人はいないらしい。用事のために出ているとしても、さすがに変だ。
ぼくはパソコンに何が映し出されているのかを見る。そこには見たことのない文字が羅列されていた。黒い画面に青白い文字が光っており、何かの呪文のように見えた。
「なんだこれ、古代言語……?」
「古代アステカの言語じゃな」
ぼくの後ろからひょこっとメルテが顔を出し、画面を見て言う。
「そのアステカの言語が、なぜパソコンに……?」
「ここがアステカの神話を信奉する教団の施設だからじゃよ」
ぼくは絶句した。生贄を要求する残酷な神話。日本にある施設は背後で危ない団体が支援し、資金源としていると聞いたことがあるが、まさかこの宿泊施設もそういうものだったとは。
「まさか東子さんは、気の狂った宗教団体の生贄にされたのか?」
「この教団は血の供犠を求める。人が行方不明になったニュースを見たことあるじゃろう? あの一部は、この教団に生贄に選ばれたのじゃ。彼女がそうされたとしてもおかしくはない」
「なんでそれを早く言わなかったんだ!」
「言ったところでお前は信じぬであろう」
確かにそうだった。ぼくがこの目で確かめるまで、ここがおかしい場所だとわからなかっただろう。
「しかし首だけ持っていくとは、もしや『パーツ』に使われたのじゃろうか? もしそうなら一大事だ。例の生物の『パーツ』を集めるのがここまで進んでいるとはな。これはいよいよ急がねばならぬようじゃ。ついてこい」
今度はメルテが先導する番だった。ぼくは小走りに行くメルテの後を追い、事務所前の廊下を走った。
「なぁ、パーツって何だ? 教団とやらについて何か知っているのか?」
「パーツについては今は言わぬほうがよい。まだ何も知らぬお前にはショックが大きすぎる」
「じゃあ君は何者なんだ?」
「教団によって作られた存在、と言っても伝わらぬであろうな。目的地に付けば、嫌でもわかる。自分の目で確かめるのが一番じゃよ」
メルテは明らかに真相を知っている。知っていてぼくに伏せている。
実際に事件が起きて、説明のつかないものを目撃したのだ。ぼくはメルテを疑う気持ちを捨てた。
「ここまで来たら、君の言う事を信じる。ぼくは何者で、何のためにここに来たんだ?」
ぴたりとメルテが足を止める。そしてこちらに振り向いた。
「お前は『コーカソイド ヲメテオトル』じゃ。お前は神になれる資格がある」
「神だって? ぼくが、そんな……」
「人から崇拝される、いわゆる神様という意味ではない。この世に破滅と混沌をもたらす存在じゃ」
「何だって? それじゃ、邪神じゃないか」
「言ったであろう? お前の半分は化け物じゃと」
くるりとメルテは背を向け、また走り出す。彼女の足取りは早く、ぼくは彼女を見失わないよう必死で走った。
しばらくして突き当りにぶつかる。しかしそこには、奇妙な物体が壁にかけられていた。
冠を被った猿の絵が中央にある石板。古代文字が周囲に並んでおり、ジャガーなどの姿が描かれたいくつもの世界が猿を取り囲んでいた。
「これ、確か番組で見た石板……」
「太陽暦じゃ。世界の終わりまでの日数が刻まれておる」
「それって、今までの四つの世界は滅んで、今は五つ目の世界で、それもいずれ滅びるっていう……」
「よく知っておるではないか」
メルテはにやりと笑い、石板に手を触れた。
ごごごっと石板が横にスライドする。石板の後ろには通路があった。まるで遺跡の、開けてはいけない場所に踏み入ったかのような感覚だった。
「こっちじゃ」
すたすたとメルテは通路の先に行ってしまう。ぼくは戸惑いながらも後を追った。
通路の更に突き当りにはエレベーターがあった。横のボタンを押すと、ちんと音がして扉が開く。メルテとぼくは転がり込んだ。
「普通のエレベーターでは地下に行けぬ。ここを使うしかないのじゃ」
エレベーターは閉まり、ひとりでに降下していく。
地下一階、二階……十三階。
ちん、とエレベーターが開き、ひんやりした空気が外から侵入してきた。
メルテがぱっと飛び出し、ぼくもそれに続いた。
「なんだ、ここは……」
「ミクトラン。地下十三階の地獄じゃ」
エレベーターから出てすぐの小高い場所から見る、地下の世界は想像を絶するほど広大だった。
遺跡にあるような古びた建造物があたりに立ち並び、薄い霧が通路に漂っている。
まさしく地下迷宮の入り口だった。
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