ばかもの。高校野球は金だ。金を多く集められる高校が全国を制する覇者となるのだ

 少し潮風が強くなってきた。

 沖合で積乱雲が光り、早くも風に飛ばされた砂がよそ者を排除するかのごとくステージを侵食し始めた。通話を終えた高麗川は力なく砂浜にへたり込んで天を仰いだ。


「……終わりです。第9話、うちきり」


 夏の日差しで消滅してしまいそうな高麗川にマリンが心配そうに歩み寄り、真相を訊ねると。


「ステージを設営した業者が夏休み期間に入ってしまいました。親父がこの辺り一帯の業者に依頼しましたが全て断られたよ……ううう、マリッペ〜」


 高麗川はマリンの胸に飛びつき、わんわんわんわん泣きじゃくる。マリンは優しく背中をさするが、解決の糸口が思いつかずその表情は次第にやるせないものになっていく。里子も他の部員も同様、最悪の結末を予感し、各々が歯がゆさを表していた。呑気に七里ヶ浜を訪れる観光客がとてもうらめしい。高麗川が落ち着いてから、マリンは壊されたステージの前に立ち、壊された物をひとつひとつ確認するとぽつりと呟く。


「こんなとき、あの先輩ならどうするのかな」

「私ならばこの時間には既に修復を完了させて設営を始めているところだ」


 感情を捨て去ったような冷たい声、皆が一斉に振り向いた。

 腰にまである長い黒髪に冷血な瞳、整った顔立ちを際立たせる紫のゴシックドレスを身にまとうが、小学校低学年を彷彿させるほどの低身長の女性。よほど低く思われたくないのか、かわいらしい日傘のつかを頭の上方で持っていた。風で日傘が揺さぶられ腕がぷるぷるしていたが、表情は平静を装っていた。


「あやめ先輩!」


 マリンは誰よりも早く反応し、あやめ……桜花聖翔硬式野球部の創設に関わり、かつ、最大の功労者である3年生の渡辺あやめの元へ駆け寄った。だがこともあろうにあやめは日傘を閉じ、先端をマリンに突きつけた。


「ふむ。誰かと思えば投資価値のない貴様か。いっそのこと左投げに転向してみたらどうだ?物好きから1ダースのボール代くらいは金が集められるぞ」

「……相変わらず物言いが辛辣ですね、あやめ先輩」

「妥当な評価だ。97km/h」

「それ昨日の……!」

「バカにアホを掛け合わせた投球をしおって。あれでいくら金が逃げたと思っているのだ、有益にならない動画配信など今後はもう必要ない」

「金、金ってあやめ先輩、いつもお金にこだわりすぎじゃないですか」とマリンは日傘を取り上げて言うと、あやめは何度言えばわかるのだと前置きをしてから。


「ばかもの。高校野球は金だ。金を多く集められる高校が全国を制する覇者となるのだ」


「あああああもういいです。その手の話は嫌いです」

「だったらどうすれば貴様の投資価値を高められるかその足りない頭でよく考え、実行に移すのだな。幸いにも我が高校には、カネもヒトも集まるユニコーンのようなルーキーがいる。市場はヤツのツーウェイに黄金の利益を夢見ているのだ」


 あやめは口角を上げ不惑の眼差しを大河へと送った。大河はぞっとして武蔵の後ろに逃げ隠れる。「俺、あの人苦手なんだよな」と武蔵の耳元でぼそっと言う大河。武蔵は苦笑いを浮かべ、「なんとなくわかるよ、大河くん」と同意すると。


「さて、私がここに来たのは他でもない。投資だ」


 ――投資?


 例外なくその場にいる全員が首を捻った。事態を飲み込めていないとみたあやめは挙手、すると国道側から作業服を着た大人数の男たちが資材を持ってやってきた。男たちはきびきびと動き、資材を全て降ろすとあやめの前に素早く整列した。あやめはごくろうと労い、「会場設営を本日15時までに頼む。急務で申し訳ないが、どうかここにいる若者たちに力を貸して欲しい」


 ようやく合点がいった里子はあやめへ謝辞を述べる。


「ありがとうございます、あーちゃん。私たちではどうしようもなくなっていたところでした」

「これは投資だ、礼などよい。それよりほれ、さっさと試合をしてこい」

「へ……試合……ですか?ええとその予定は」

「私が組んでおいた。場所は鷹葉大附属高校だ、ほれ、バスも用意してある。先方を待たせてはいけない」


「お、鷹葉大附属だってえ?!」


 いち早く叫んだのは友和だ。それに呼応して部員同士で驚愕しあう連鎖が巻き起こる。


 ――ああ。やっぱり血の繋がった姉妹です。


 誰もが驚くような事をしれっと言いのけるあやめに、里子はかつての仲間を重ね苦笑するばかりであったが、なるほど現状は把握した。


「はーいみなさん、私たちはこれから練習試合を行います。お相手はなんと、あの夏の大会で死闘を繰り広げた鷹葉大附属高校さんです!」

「知ってるよりこせん!話が急すぎるんだよ」と凛音は捲し立てるが里子は平然と、「その通りなのです。ですが私たちには今、お手伝いできることは何もありません。私たちができることは、こうして、たったそれだけです」と柔和に言うと凛音はしぶしぶ引き下がった。


「そういうことだ。私の投資に見合うだけの成果を期待している」

「ええ流星ドリームナイン、慎んで突き進めさせていただきます」


 そして里子は深々とお辞儀すると、あとに続いて部員が頭を下げる。まんざらでもないといった様子のあやめであったが、バスが止まっている方角へ親指で催促をすると我先とばかりにナインが走り出す。強者との対決に待ちきれない者、不安で仕方がないがつられて行く者、状況を楽しんでいる者、野球をしたくてたまらない者、みんなと行動するのが嬉しい者、怖じ気づいた者の手を強引に引っ張る者、そして、あやめの強引なやり方に怒り任せに走るマリン。その九人が異なる色で走る光景はまさに流星群。


「行きなさい。燃え尽きるまで」


 里子は小声でそうエールを送ると、流星群が拓いた道を勇み良く歩いていった。

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