……なによ、コレ
エリカが友和に電話をかける前の事、女子部室にて。
「ようやく寝たわね」
エリカはソファーで目を赤く腫らしたまま寝息を立てるマリンの髪を撫でながら言った。そしてポニーテールを結ぶゴムを艷やかに解くと、天井に向かって息を吐いた。とそこへ智美がスポーツドリンク片手にやってきた。
「エリカ、おつかれさま」と言ってドリンクを差し出す。エリカはおつかれと返してドリンクを受け取ると早速飲む。飲んでいる間もマリンの髪を優しく撫でている。智美はその光景に胸の奥がきゅんきゅんする衝動に駆られながら、「わかるよエリカ。ほっとけないよね」と眼鏡を激しく光らせる。智美のいけない波動を受け取ったエリカは、「残念ながらあなたの思うような展開にならないわよ」と牽制。
「ええー、エリカは先輩と後輩って捗らないの?」
「捗るってなによ……まあでもこの子と出会ってから自分が変わった。それまでは何で野球やっているのかわかんなかったし」
「どう変わったの?」
智美に問われ、しばし言葉を探すエリカ。そして口に出そうとした時。
「エリリン、サトミンこれを見て下さい!」とバカでかい声で乱入してきた高麗川をエリカが拳骨でしばき倒す。
「大きい声出さないで、ようやくマリンが寝た所なのよ!」
「ごべんなばい」
「で、何?そんなに騒いで。今すぐ見なきゃダメなの?」
「はっ!エリリン、大変なのです。これを見て下さい」
高麗川が持ってきたのはノートPC。画面はさっきまで配信していたシート打撃のライブビューイングだ。桜花聖翔学園では学校宣伝のため部活動の練習風景をLIVE配信することがある。今日は硬式野球部の配信日にあたり、動画は大河がちょうど投げ終わった所で一時停止がなされている。エリカはうっとりとした様子で。
「今日の俊一、激しくてすごかったわ」
「エリリン……コマガワが見てほしいのはそこじゃあないのです」
「あらそ。じゃあどこよ」
「コメント欄ですよ、エリカさん」
現れたのは凛音だ。眉間に大量のシワを寄せ、コマガワが持っているPCを奪うとコメント欄を拡大してエリカに見せる。遅れて智美も覗き込む。
「……なによ、コレ」
液晶画面の光にあてられたエリカの顔が凍りつく。そのコメントのほとんどが、「桜花聖翔のエースは大河俊一」であった。中には制球難で球の遅いマリンやオーバーランをしてアウトになった凛音、デタラメなバッティングフォームの高麗川をショートストップに、ホットコーナーには智美、肩の弱いエリカと彼女らを守らせている里子の監督能力などを誹謗中傷するコメントが散見し、桜花聖翔野球部ファンとアンチが論争を繰り広げていた。しかし中身は見るに堪えない相手を罵倒するばかりの言葉の羅列だった。これ以上は無理、凛音はPCを高麗川に託し、エリカ、智美、凛音の三名は向かい合って話し出す。
「大河の野郎とマリンの対決が周りを熱くさせちまったらしい。こちとら大迷惑さ」と凛音。
「またなの。夏の大会でアンチの声が引っ込んだと思ってたのに」とエリカがうんざりすれば、智美は「優勝候補だった鷹葉大附属に勝っても大会規定の整備がなされても、未だに高校野球は男子のもの、なのですね」と嘆く。
「よほど気に食わねえんだろうな。実際、100km/hも出ない女がマウンドを穢すなってコメントがあるくらいですよ智美さん」
「そんなくだらないコメントなんてすれば、すぐSKに捕食されてしまうのが目に見えてます。ねえエリカ?」
「そうよ、ウチのSKは優秀なんだからね」
「すぐ捕まりますよエリカさん。ヤツらは叩ければあと先なんて考えないさ。ロックンロールじゃないね」
「ひどい。マリンはエースなのよ」
「ああ。あいつはウチの柱ですよ」
少しだけ間をおいてエリカはポツンと言った。
「明日のフェス、邪魔されないかしら。前みたいに」
この言葉に智美が凍りつく。
「そんなわけ……」
ないとは断言できない自分が悔しい。決して高校野球を話題先行で踏み荒らしているわけでなく、結果では桜花聖翔野球部は全国屈指の強豪校がひしめく神奈川県夏の大会で3回戦敗退と、初出場にして2回も勝利したのだ。その内の1勝は前評判高く、そして優勝候補だった鷹葉大附属高校であった。それでも先程のコメントの荒れ模様は大会前のSNSを彷彿とした。凛音は強張った顔の智美の肩をポンと叩くと、血の気の多い笑顔を作った。
「邪魔なんてさせませんよ、もし、来たらあたしが蹴散らします。メンタルはそのへんの奴らとは違うし。ねえエリカさん」
「そうね、そうよ。ねえ凛音、トモのとこに行こう」
「ああいいっすね。あいつら交えて作戦会議やりましょう」
高麗川は、こういう時はフィーリングが合うんだよなあと傍観していたところ、早速といった具合にエリカは電話をかけた。
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