大河くんが何を言いたいのかその目で確かめるんだ!
SKへのリクエストは無し。
マウンド上の大河はロジンバッグは手の平と甲と順番にリフティングのようにしばらく弄びやがて宙でキャッチすると勢いよくマウンドへ投げつけた。叩きつけられたロジンは悲鳴をあげるように白煙を焚いた。そしてマリンが右打席に入るや否、大河はインコースのそれも胸元をえぐるようなボール球を投げ込んだ。これにマリンは驚いて尻もちをついてしまった。
「なにすんのよ。これがあんたの言いたいことなわけ」と大河を睨んだが、マリンを諭したのは意外にも返球が終わったばかりの武蔵だった。
「大河くんは自分のボールを知ってもらいたいだけだよ」
「知ってもらいたいって、もうあいつの凄さは知ってるよ」――本当にそうかな。武蔵はマリンがベースから一歩ほど離れて立ってしまっているのを見逃さない。
「ほらよそ見なんかしちゃダメ。バッテリーはカウントを整えたいと考えているよ。さて大河くんがそのベストを選択するコースと球種は何かな?」
その武蔵のささやきを受け、マリンは金属バットのグリップを力強く握りしめて構えた。そしてセットポジションの大河は深く息を吐いてから第二球目を、放った!一瞬、マリンの体にめがけて飛んできた球が急激に進路を変えてストライクゾーンに入ってきた。※フロントドアと呼ばれる投球だ。入部以来、この球を何度も目にしてきたマリンだったがまるで鎖でバットを縛られたかのように全く手が出なかった。
「ワンエンドワン。桜花聖翔野球部はファーストストライクを見逃さず積極的に振っていく、だよ。そうだね、今のマリンちゃんの状態なら楽にツーストライク目を稼げるかな」
この武蔵の発言はマリンが再びベース寄りに立っているのを見てからのものだ。武蔵はマリンの表情を探りつつ、悪魔のようなサインを大河に送った。
――
心でにやける大河は頷き、第三球目を投げた!勝負は初手で決まっていた。完全にアウトコースにヤマを張っていたマリンは、インコースに来た147km/hの直球に対応できず、みっともないハーフスイングをして転倒してしまう。
「追い込まれたねマリンちゃん。決め球はど真ん中のストレートだから」
「……………」
マリンは声にこそ出さないが耳を疑うほど驚いた。武蔵とは僅か4ヶ月ほどの付き合いだがマリンには彼がウソを言うとは思えない、しかし、勝負球をアウトコースのボールになるスライダーや、ずどんとストライクゾーンから落としてくるフォークではなく、ど真ん中の直球を選択してそしてわざわざ対戦相手に伝えるのもありえない。マリンの頭の中は次々と思考の波が押し寄せてくる。誰の何を信じたらいいのか、選択と消去の繰り返しがマリンの判断決定力を奪っていく。
「決まったかい?大河くんにはもうサインを出したからね」
「た、タイム」
「ダメ。今、決めるんだマリンちゃん」
「でも……」
「大河くんが何を言いたいのかその目で確かめるんだ!」
その武蔵の喝で、マリンの頭の中に大河の手遅れになる前という言葉がよぎ、老夫婦が自分の手をほめていた映像が映った。まだ何が手遅れなのか自身はよくわかっていないが、ここで確かめなかったらそれこそいよいよ自分に宿る流れ星が燃え尽きるような気がした。マリンは「ありがとう」とだけ言うと、もともと短く持っていた金属バットをさらに短く持って構えた。こちらこそと言わんばかりに武蔵はど真ん中にキャッチャーミットを構えると、辺がしんと静まり返る。その場にいる全員が大河とマリンの行く末を見守る。合図は誰かが固唾を飲む音だった。鬼気迫る風貌とかけ離れたゆったりとしたモーション、されど、踏み出した脚は大地の楔、唸る身体の回旋運動は巨大な竜巻、遅れでた腕のしなりは1億V級の電撃の鞭。夏の魔物が今、目覚める!
大河は第四球目を、投げた!
※打者の内角のボールゾーンからストライクゾーンへ球を変化させて、ストライクを取るボール。大河が投げた球種はスライダー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます