まんまじゃないっすか〜
「オッケー、じゃんじゃんいらっしゃい。今日は100球でも200球でも投げられるから!」
「明日はフェスだぞマリッペ、ほどほどにね!」
マウンドに上がったマリンは心晴れやかな顔でそう宣言すると、すかさず
「わかってるよコマちゃん。でも今日はね、そんな気分なんだ」
それからマリンはラスト一球と言って、ノーワインドアップから低く、低く、身体を滑らすように体重移動を重ねる。そのマウンドすれすれから放たれる下手投げのライジングフォーシームが、地面を滑空し、突然、飛行機が離陸するように球筋が鋭角に上昇して
足首痛から復帰したマリンは早速、マウンドに立った。
肌を突き刺す真夏の太陽、ベタつく潮風、鼻をくすぐる乾いた土の匂い、やかましい蝉の音、どれも、マリンにとっては静養していた三日間の苦痛に比べれば大歓迎の部類に入る七里ヶ浜の酷暑である。マリンはピッチャープレートに手の平をつけた。
――届いて、甲子園まで――
先日出会った異国の夫婦のことをマリンは思いやる。甲子園が自分と夫婦を繋いだ縁を、投げる喜びに変えて今日の練習に臨んだ。すぐにショートの高麗川にイジられたが、マリンは右肩をグルグル回して満面の笑みでピースサインを送った。本日のメインメニューは※シート打撃。人数が九人ぎりぎりなので空いたポジションには今日は監督の里子が就き、先の大会で引退してしまったが前主将の
打者は凛音から。打順と守備位置は。
(中)佐々木凛音
(三)田中智美
(二)大河俊一
(一)大門昇竜
(右)薗川友和
(捕)尾鷲武蔵
(遊)高麗川朱里
(左)薗川エリカ
(投)潮崎海風
さて桜花聖翔野球部のシート打撃は、※ケース打撃も兼ねている。いやケース打撃は
「SK、5B O=1 C=2,0 R=2 珍しく出塁したエリカさんのムネマシマシで!」と凛音が小悪魔的な笑みを浮かべて大声を出すと、1秒もしない内にセカンドベース上に3Dホログラムのエリカが映し出された。それだけではなく、主審と塁審、それからランナーコーチまでも浮かび上がる。スコアボードには赤いランプがひとつと緑のランプふたつが点灯した。これらのホログラムを作り出す仕掛けは、桜花聖翔野球部グラウンド自体が3Dホログラムを映し出す舞台装置であり、グラウンド内360度の至る所に投影機材が配置されている。しかもその投影はAI『SK』がすべてを請け負っている。
凛音のマシマシコールは却下されたようだがこれで、エリカが出塁し、マリンが犠打ないし進塁打を放ったと仮定して、5回裏、アウトカウントは1アウト、ボールカウント2ボール、セカンドにランナー有りという状況が生まれた。驚くべきことはこれだけではない、そのバーチャルランナーはマリンが投じた初球に盗塁を試みたのだ。目を疑うようなにわかには信じられない洗練された盗塁のアニメーションが投影されている。通常盗塁していい場面ではないが、なるほどシチュエーションの再現ができる。このように部員が集まらない、コーチを招く余裕がないなど、人員不足に苛まれても全国大会出場常連校に勝てるような少人数部活動の援助を目指すため現在開発中だが、現実と仮想が融合した練習システムの総称が『SK』、すなわちそれが『AI野球道場』。ちなみにSKは警備業も請け負っていて、先日はSNS上にあった違反投稿を5件探知して通報した。
「ばっ!空気が読めねえこと」と進塁打を考えていた左打席の凛音はフライだけは打つまいと97km/hのインコース高めのボールを打った。大根切りのような強引に打った打球は一二塁間を綺麗に割ってライト前ヒット、予め前寄りに守っていた友和は素早く本塁へ送球したが、仮想走者のエリカはタッチプレイになることなく楽々とホームイン。
会心の当たりだったが凛音の表情はいまひとつで、「これじゃ練習にならないじゃないっすかエリカさん」とファーストベースに戻る前、レフトのエリカに向かって煽り立てる。
「あたしに言わないでよ、SKが勝手にやったことでしょう!?」
「日頃の行いじゃないっすか」
「生活態度までは入力してないから!」
「SKはよく観察してますよ、男の視線の集め方とかね」
「もう!凛音にあたしはどう見えてるわけ」
「まんまじゃないっすか〜」と凛音がトボけた所でファーストの大門が凛音の肩にグローブでタッチ。
「佐々木」
「なんだよ」
「アウトだ」と大門は言うと、ファーストミットに収められていたボールを凛音に見せた。実は打者走者の凛音は送球の間に二塁を陥れようとファーストベースをオーバーランしており、※インプレーのままであった。初歩的なミスで凛音の顔は真っ赤に染まった。
※野球の打撃練習方法のひとつ。各守備位置に選手を配置し、試合に近い感覚で行う打撃練習のこと
※打撃練習方法のひとつ。実際の場面、アウトカウント、ボールカウント、ランナーの有無、エンドランなどといった作戦を想定して行う打撃練習のこと。
※逆に進塁の意思がなければ、たとえオーバーランをしてタッチされてもアウトにならない。公認野球規則5.09b(4)の【例外】
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