桜花聖翔学園

 ここは太陽と風光る八月の七里ヶ浜。


 見上げればトンビが八の字を鷹揚と描いており、下に目をやれば江ノ島電鉄が颯爽と海岸線を走行するのが見える。観光客にとって格別の景色は、私立桜花聖翔学園高等学校の校舎より眺められる湘南の日常である。


 さて桜花聖翔学園といえばこの夏、世間を騒がせたことで知られている。


『規定改定後初めて、全国高等学校野球選手権大会に男女混成チームで出場www』


 とネットをざわつかせると、初戦を難なく突破すればやれ旋風だの桜吹雪だのと騒がれ、さらに2回戦で優勝候補の高校を死闘の末撃破した時など世界中の高校野球ファンを狂喜乱舞させたものだが、結果は続く3回戦で敗退。敗退でファン達の熱狂が他県の注目校らに四方八方散っていったのはお約束である。廃部の危機から公式戦出場まで果たした桜花聖翔学園硬式野球部が優勝候補に勝ったという成功体験は、甲子園出場という夢を現実に手繰り寄せることできるかもしれないという彼らの自信へとつながった。この夏の桜花聖翔学園の練習量は灼熱フルスロットルで、鬼気迫る投球練習と破裂音のような打球音と大地を揺るがすノックで憧れを越えようしていた。トンビはどこかへいった。


 そんな彼らの練習を一塁側ファールゾーンで柔和な笑みで見届ける者がいた。上背は170といったところで、上下赤ジャージにポニーテール姿の若い女性。名を角館かくのだて里子りこという。監督業の傍ら桜花聖翔学園の世界史の教員で、こちらも美人女性監督ということで注目を浴びていた。鼻歌交じりのご機嫌な里子は手を叩いて皆を呼んだ。


「はぁいみなさーん集まってくださ〜い」


 張り詰めた場に相応しくない声質な上、蝉しぐれにも構わずなぜかよく通る声に部員達は一瞬だけ膝から崩れ落ちそうになったが、練習を止め、続々と監督の前に集まり脱帽する。


 集まった部員はたったの9人。これで全員集合である。


 里子は泥だらけの練習着の彼らにご満悦だ。

「ああ※愛憎のカルボナーラ第27話、かの日の体育祭を思い出します。青春とは熱き血潮の結晶体、はあ~んぞくぞくしてきました」


「りこせん悶えているとこ悪りぃ、ウチら疲れてんですけど。はやいとこ、やっちゃおうよ」


 そう不満を漏らしたのは中堅センターを守る一年生、右投げ左打ちの佐々木ささき凛音りんね。里子と同じくらいの高い背丈で、俊足巧打が持ち味の赤色のベリーショートヘアとドラムスティックを象ったピアスが印象深い女子選手である。そこに被さるように凛音と幼なじみの一年生で小柄で前髪パッツンのマッシュルームヘアーの女子、右投げ両打ちの高麗川こまがわ朱里じゅりが「リーネは上も下もだらしないから体力ないのです。見て、見て見て見てこの天才コマガワの強靭なヴァイタルを」と意気揚々にダブルバイセップスをきめる高麗川を「クソだな」と冷めた表情で一蹴する凛音。


 同感したのは凛音だけではない。


「まったくだ。クソ遊撃手ショートにはクソ芸がよく似合う」

「なにおう!ダメトラ!この天才コマガワの動きについていけないキミがよくそんなコマガワディスができるものだね。今日なんてキミがてっけてけと右足でベースを蹴るとこなんか酔っぱらった虎かと思ったよ」


 と変顔で肩をすくめる高麗川にダメトラこと二塁手兼投手にとうりゅうの一年生男子、右投げ左打ちの大河たいが俊一しゅんいちは鼻で笑った。


「そりゃてめぇが予測不能な動きするからだろうが。いいかゲッツーっつうのはリズムが全てなんだよてめぇみたいなリズム音痴が内野守備語るなキノコ頭」

「はああああ?ああコマガワぷっつんしました。キレちゃいましたコマガワ。第544話天才、キレる」

「そりゃ大した天才がいるもんだなトリプルゼロさんよ。よう天才っつうのは公式戦ノーヒットでも名乗れるもんなのか?」


 寸分の間もおかず、高麗川は帽子を空高く放り投げ獲物を狩る豹のごとく大河に飛びかかった。


 他の部員らが慌てて両者を引き剥がす間、里子はどこから持ち出してきたのか木の箱の中をいたずらな笑みを浮かべてかき混ぜる。


「さて今日はどの選手になるのでしょうか」


 生徒同士の揉め事に目もくれず能天気な里子を、女子で投手ピッチャー、右投げ右打ちの潮崎しおざき海風まりんは皆との輪を少しだけ外れ、体育座りをして物憂げな顔で見ていた。凛音の言った「いつもの」とは週に一度、練習の最後に里子がくじを引き、抽選に当たった部員は皆の前で、その週に頑張ったことを伝えなければならない特別メニューのことである。マリンはそれが大嫌いなのだ。


 ――毎日頑張ってるっつうの――


 練習メニューを確実にこなした。夏の大会の敗戦をきっかけに自らに課題を設け、必死に鍛えた。生ぬるい潮風に呼応するように体の芯より訴えてくる疲労度が自分の頑張り度を後押しする。だが自身の頑張りを言葉で表そうとすればするほど、里子が霞んで見えてくる。謙遜といえば聞こえはいいけれども、頑張りを他人にわざわざ教えることでもない。ましてや頑張りというのは他人が評価するのであって決して自分がするものではないのだ。そうやってマリンは自分自身に言い聞かせていた。


 部員は9人ぎりぎりなので2週連続で当たらないよう先週当たりを引いた部員は除外、確率は12.5%と決して高くないが、隔週で当たりを引きやすい大河俊一が先週に当たりをひいて除外なのでマリンは気が気でない。爆弾の嵐から身を潜めてやり過ごしを図る兵士の気分だ。


 その様子を里子はしっかりとチェックしていた。もともと朗らかでありながらいたずらっぽい笑みが、深淵かつ不気味な笑みに変わった。後に、捕手キャッチャーで英国人顔のクォーターボーイの一年生、右投げ右打ちの尾鷲おわせ武蔵たけぞうは全身を震わせ、青白い顔をさせてこう証言する。


「あ、あ、ああのときの監督の顔は…まるでサタンか、ルシファーか、そうあれは…悪魔そのものでした」


 里子の不惑の視線にマリンが気づいた。すかさず目を逸らしたが里子は外さない。乱闘騒ぎが治まり、クジの当選者へ皆の視線が集まるまでずっと。ゆっくりと引き当てたそれはマリンを表す水色のものだった。そして。


海風まりんさん、お願いしますね」


※昼ドラ。主人公のおっさんが少年と呼ばれていた時代の泥んこ騎馬戦を描いた回。

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