第21話 昔々の物語

 昔々、世界中の集落がまだ柵で囲われていなかった平和な時代。

 ミャクミャクという神様がおりました。その神様が現れるとどんな砂漠でも豊かな水に恵まれるということで、皆から愛されていました。

 世界中どこの集落でも、ミャクミャクが姿を見せれば大歓迎しました。だから、ミャクミャクもニンゲンが大好きでした。

 水を司るその神様には本来定まった形はありませんでしたが、じきにニンゲンに似た姿をとるようになりました。子ども達と野山を駆け回って遊び、村人達の農作業に混じって田畑を耕し、宴会では皆に混じって酒を飲み楽しく躍って過ごしました。

 東でひでりがあれば行って雨を降らしてやり、西に旱魃かんばつがあれば行って大地を潤し、南の湧水が濁ったと聞けば行って清くしてやり、北で洪水があればそれを鎮めに行きました。どこの集落でもミャクミャクを待ちかね、訪問を喜びました。たくさんの神饌を供え、祈りをささげました。

 けれど、いつの頃からか、人々はそんな気持ちを忘れてしまいました。

 水が暮らしを潤しても、感謝しなくなりました。安心して水が飲めるのは当たり前のことだとして、供物を出すのを惜しみました。子ども達も、鬼ごっこやかくれんぼではいつもミャクミャクに鬼をさせましたし、カルタ遊びをするような時には説明が面倒だと仲間はずれにしました。

 旱が続いた集落は、ミャクミャクの到着が遅いと罵りました。片や、ミャクミャクが出て行った集落では、雨が減ったと不平を言います。ついにはミャクミャクがよそへ行かぬよう、集落を柵で囲って閉じ込めようとする者達まで出てきました。当然よその集落がそんな横暴を許すわけもなく、集落間で争いが起きるようになりました。

 宴会は開かれなくなり、田畑は荒れ、子ども達の遊ぶ声も聞こえなくなりました。ミャクミャクはとてもかなしくて、争いをやめるように訴えました。なぜニンゲン同士で諍うのか。

 人々は言いました。「争いがなくならないのはお前のせいだ」と。怒りに燃える目をミャクミャクに向けました。

 ミャクミャクは失意のなか姿を消しました。

 世界は荒れました。雨が降らず、照りつける太陽に地表温度は上昇し、生き物も植物も弱っていきました。

 他の生き物達はニンゲンを恨みました。

 ニンゲンを襲う者達モンスターが現れるようになりました。皮肉にも、ミャクミャクを囲い込むために設けた柵が、ニンゲン達を助けることになりました。けれど、ニンゲンは気軽に集落から外に出ることができなくなりました。

 怒っているのは、他の生き物達だけではありませんでした。大地が揺れました。各地で大きな地震が続きました。拝み屋や科学者がさまざま口や手を出しましたが、どうにもなりません。世界の終わりだと、皆は絶望しました。

 そんな折、一人の少女が集落の外を彷徨っていました。集落の場所も分からず、乾いた大地を水を求めて歩き続けていました。

 朦朧とする意識の中、ようやく水場を見つけました。ふらふらと辿り着いた泉はほとんど涸れており、ちょうど最後の一滴が乾いた砂に吸収されようとするところでした。すんでのところで少女は小さな手でそれを掬い取りました。しかし、それが命を繋ぎとめるだけの量がないことは、幼い少女の目にも明白でした。

 少女は最後の一滴を唇には含まず、神にささげました。

 掌の水を大地に返そうとした時、小さな青黒いリスのような生き物がやってきました。少女の体には少なくても、この小さな命なら救えるかもしれない。少女は掌上の水をリスに差し出しました。リスは恐るおそる少女に近付き、ぴちゃりと水を飲みました。それを見届けて、少女は意識を失いました。

 もう目覚めることはないと思われましたが、どれくらい眠っていたのか、少女は再び目を覚ましました。耳にさらさらと水を湛える音がする。身を起こした少女は、目の前に光景に、自分は浄土へ来たのだと思いました。

 先程まで涸れていたはずの泉には豊かな水が満ちています。泉の周囲には、枯れ果てていた植物が今や青々と緑を茂らせています。

 少女は泉に顔を突っ込むようにして夢中で水を飲みました。身を清めました。そうして、ここがあの世ではなく、現実なのだとようやく理解しました。

 泉の隅には青黒いヒトが佇んでいました。水でできたその体を見て、一目で彼がミャクミャクであると分かりました。

 少女はミャクミャクに心から感謝しました。

 身一つで何も持たない少女は、ほとりに咲く美しい赤い花を摘んで花飾りにしてミャクミャクに贈りました。少女の無垢な心に触れ、よどんでいたミャクミャクの心身もじょじょに青く澄んでいきました。

 少女は世界の現状をうれいました。非力な自分は、ただ祈ることしかできない。なのに、先程までかつえていた時には、祈ることさえ忘れていた。

 少女は改めて祈ります。死の端に触れた少女の祈りは、以前よりも深く純粋でした。世界の平和を祈りました。ふたたび大地が潤うことを祈りました。度重なる地震がおさまることを祈りました。それはミャクミャクがこれまで受けたどんな祈りよりも敬虔なものでした。

 うつくしい祈りは、ミャクミャクを動かしました。

 かんかんと照りつける太陽を雲が覆い、しとしと雨が降りました。それから一週間続いた雨で、干上がっていた大地はすっかり潤いました。少女は感謝しました。

 ミャクミャクは次に地震をおさめるといいました。そんなことまでできるのかと驚くと、大地の下には縦横無尽に水脈が巡っているため、水を司るミャクミャクの力で抑えることができるといいます。

 ただ非常に大きな力を要するのだと、ミャクミャクはかなしそうな顔をしました。その様子に少女は察しましたが、ただ祈りをささげることしかできない。

 ある日、ふっと地震が止まりました。

 科学者はもっと大きな地震が来るなど予測していましたが、さいわいその後も地震は観測されませんでした。誰も知りませんが、ミャクミャクのおかげなのです。

 世界中の大地をおさめるため、ミャクミャクの体は各地へ散りました。水でできた体ですから、それ自体は難しいことではありません。難しいのはふたたびもとの体に戻ることでした。おそらくはもう二度と――。

 人々は、ミャクミャクのおかげであることを知りません。

 それを伝えるために、少女は世界を回ることにしました。人々が祈りを忘れないように。そうして、その旅の中でばらばらに散ったミャクミャクの体を集めるために。

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