第15話 うさぎおいし
「ドゥーク! イチハ!」
眠り続ける二人の体を揺らすが、反応はない。ただ、手に伝わる体温にひとまずほっと息をつく。
「ドゥーク! イチハ!」
耳元で叫んだり、大きく揺さぶったり、バンバン叩いたりして、ようやく「う~ん……」と二人が目を覚ます。
「うう……、頭痛い……」
「水をくれ……」
僕は隅に置いたドゥークの背嚢から水筒を取り出す。
「あれっ」
思わず声を上げたけれど、ひとまず水だ。よろよろ起き上がった二人を支えながら、順に水筒を渡す。
「坊主、どうかしたのか」
水を飲んだドゥークが、先程僕が声を上げた理由を尋ねる。
「僕の袋がないんだ。荷物はここにまとめて置いておいたはずなのに」
「え!」
それを聞いたイチハが慌てたように言う。
「ナナの袋って、ハートの欠片を入れていたでしょ。失くなったら大変じゃない!」
この世界の生き物は、ハートがゼロになると死んでしまうのだ。
「うん。でも、最初にドゥークが一欠片だけペンダントにしてくれていたから」
首からぶら下げたハートの欠片を見せると、「よかったぁ」とイチハは安堵の息を吐いた。それから、忌々しそうに言った。
「あの兎ね」
「え?」
「昨晩のコーヒーに睡眠薬を混ぜたんだわ。それでナナの袋を盗んで逃げたのね」
コーヒーの苦味で薬の味を消したのだろうと、イチハは言う。ドゥークも厳しい表情をしている。
「僕、ミミを探して、取り戻してくる!」
二人とも「危ないからよせ」と言う。「今、一欠片のハートしか持ってないんだから!」
「大丈夫だよ! あんな小さな兎くらい、僕一人で捕まえられるよ」
二人はまだふらふらしている。僕が、やらなきゃ。飛び出していこうとしたところ、ドゥークの太い腕で掴まれて、勢いのままころんと転がってしまった。
「待て。俺も行く」
ドゥークがぐっと立ち上がる。立ち上がった拍子に一歩だけよろめいたものの、「ふんっ」と気合いを入れると、あとはもう何事もなかったかのように堂々と仁王立ちしている。「俺が」じゃなくて、「俺も」と言った。僕はドゥークに視線を合わせて、力強く頷いた。
「兎のいそうな場所には心当たりがある」
ドゥークが言う。「作戦を立てよう」
そうして僕とドゥークは森を進んだ。ドゥークは時々立ち止まっては、じっと地面を見つめる。足跡を辿っているようだけれど、僕にはこのだだっ広い土の上からあんな小さな兎の足跡を見つけるなんてできない。
「探しているのは、兎の足跡ではない」
そう言って彼が指したのは、別の足跡だった。三十センチ近くありそうな大きな足跡。
「……熊?」
恐るおそる口にすると、ドゥークは頷いた。
「あの兎を助けた時も熊に襲われていた。熊は鼻が利くから、単独行動の兎を再び狙っている可能性は高い」
ドゥークは土に触れて、くんくんと辺りのにおいを嗅いだ。僕も真似したけれど、何も分からない。「行くぞ」、僕は彼のあとを追って歩いた。
「やだやだやだー! 助けてくださーい!」
しばらく行くと、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。
「ミ……」
思わず声を上げそうになった僕の口を、ドゥークが塞ぐ。けど、遅かった。あいつの耳にははっきり届いてしまったようだ。
「ぼ、坊ちゃーん! ミミはここですー! 助けてくださあい!」
巨大な熊に摘まみ上げられた小さな兎が、声を張り上げる。こちらに向かってばっちり手を振っている。今にも兎に齧りつこうと大きな口を開けていた熊の動きがピタリと止まる。ピクピクと鼻を動かしている。ゆっくりと、その鋭い目がこちらに向けられた。
「まずい」
大きな体躯に似合わぬ俊敏な動きで、熊がこちらに突進してきた。「はなしてくださいよぅ」、兎を捕まえたままで。
ぶうん。
熊が太い腕を振るう。ドゥークが瞬時に僕を庇い、その勢いで僕はその場から弾き飛ばされる。「あーれー!」そこへ、熊が腕を振るうとともに投げ出されたミミが吹っ飛んでくる。
「う、わ!」
顔面でミミをキャッチして、そのまま土の上に倒れる。急いで立ち上がるも、さいわい僕もミミも怪我はない。
「坊主! 逃げろ!」
ドゥークの声がした。
振り返ると、血まみれのドゥークが熊に対峙している。僕を庇った際に、熊の鋭い爪で背中を大きく抉られたようだ。
「兎をつれて、逃げろ!」
ドゥークがまた言った。けれど、僕の足は動かない。
「グオオオオオ!」
熊が吠え、再び腕を大きく上げた。またあの太い腕で殴りつけてくる気だ。ドゥークはそれをかわそうとしたけれど、足元がよろめき、避け切れなかった。代わりに、防御のために出した左腕で、また熊の爪を受けた。
「ドゥーク!」
「早く、逃げろ!」
ドゥークが熊から視線を外さず言う。
「坊ちゃん、早く逃げましょう! ミミたちがここにいると、ドゥーク様の足手まといです!」
「うるさい!」
逃げようとする兎から、盗んだ袋を取り返して、その袋の中に兎の小さな体をつっこむ。兎を入れた袋を背に負う。
ここからはドゥークの背中しか見えない。いつものドゥークならば、きっとこんな熊やっつけてしまうはずだ。実際、この熊よりも大きな獲物を持って帰ってきたこともある。けれど、今目の前に立つ彼は、少しふらふらと体が揺れている。血をたくさん流したから。それに、まだ薬の影響もあるかもしれない。
熊がまた腕を振りかぶった。とどめを刺す気だ。きっと今のドゥークでは避けられない。
僕は、袋を背負ったまま、駆け出した。巨大な熊に向かって。
僕が熊を引きつけて逃げ出したところで、捕まってやられるのがオチだ。僕では、熊に勝てない。けれど、ドゥークなら勝てる。熊が隙さえ見せれば。
突進してくる二つの肉に、熊が気付く。一瞬視線が脇に逸れた刹那を、ドゥークは逃さなかった。
「うおおお!」
熊みたいな雄叫びとともに、二足立ちする熊の足をがっしり掴み、持ち上げる。バランスを崩した熊が仰向けに倒れる。間髪入れずに、その喉元にとどめを刺した。
ドゥークには「危ない真似はするな」と叱られたけれど、僕の頭に置いたその手は優しかった。
熊肉を持って帰ればきっとイチハは喜ぶだろうと思っていたのに、話を聞いたイチハはとても怒った。怒りながら僕のことをぎゅっと抱きしめて、なんだかふわふわ変な感じだった。兎のミミはぽかりとゲンコツで叱られていたけれど。
イチハがドゥークの傷の手当をしながら、皆で焚き火を囲んだ。肉の焼ける香ばしい匂いがする。
袋から出した兎は、さすがにもう逃げ出すことはせず、しょんぼり座っている。
「どうしてミミはいつも獣に狙われてしまうのでしょう」
項垂れて言う。
「だって、ミミっておいしそうだもの」
イチハが言うと、ミミはがくんと肩を落として半べそになった。ちょっとかわいそう。
「どうしてこんなことしたの?」
尋ねると、ミミは小さな声で答えた。
「……ミミは星を集めていますから、坊ちゃんの持っている星が欲しかったんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます