第14話 さよなら、ミミ

「ミミも一緒に食べる?」

 イチハが社交辞令で聞いただけなのに、兎のミミは厚かましくも僕らと夕餉までともにした。「おいしい、おいしい」と小さな体で人一倍食べる。

 ドゥークの作った濾過装置を通した後、さらに水を煮沸するのを見て、「へーえ、やっぱり人間は器用ですねえ」と言いながら、勝手にその水を使ってなにやら作っている。黒い豆をゴリゴリ潰して、湯を注いで黒い液体を抽出している。「コーヒーですよ」、ミミはふふんと鼻を鳴らした。

 そうして淹れた「コーヒー」を、ドゥークとイチハには渡すくせに、「坊ちゃんにはまだ早いですねえ」と言って僕にはくれない。いやな奴だ。こっそりイチハにひと口もらったら、苦くてまずかった。

 食事のあと、ドゥークとイチハがテントで傷の手当をしている間、僕とミミが火の番をした。

「ほら、坊ちゃん。聞こえるでしょう」

 ミミは森からさまざまな音が聞こえるという。

「聞こえない」

「よおく耳を澄ませてごらんなさい」

「僕は兎みたいに耳が大きくないもん」

「そうやって、見ないふり聞こえないふりをしていると、本当に大事なものまで見落としてしまいますよ。聞こうと思わなくちゃ、何も聞こえません。静かに、集中して、心を傾けるんです。ほら、ミミの呼吸に合わせて――」

 仕方ないので、付き合ってやることにする。吸って、吐いて。すーっと細く長い息を吐く。息を潜めて、じっと耳を傾ける。

 それだけで森の雰囲気が変わった。

 先程皆で食事していた時には静かな森だと思っていたのに、いま四方からいろいろな音がする。風の音。木々の葉擦れ。たくさんの虫の声。ホーホーと梟が鳴いている。森の深くから、かすかに獣や猛禽の鳴き声まで聞こえる気がする。僕は恐ろしくなった。もう何日間も歩き続けた森なのに、急にまったく知らない場所になったみたいだ。

 ――グオオオ……

 闇を切り裂く地鳴りのような唸り声。聞こえた瞬間に、ぞわわと総毛立った。

「ずいぶん遠くからですから、大丈夫ですよ」

 ミミが笑顔を向ける。

「べ、べつに怖くなんか……」

 ――ガサガサッ!

 怖くなんかない、と返そうとした拍子に、すぐ近くの草むらが大きく揺れた。

「うきゃあ!」

 僕は跳ね上がって、テントに飛び込んだ。

 テントの中では、ドゥークとイチハがのんきに寝息を立てている。僕は二人の間の毛布に包まって、そっと入口の方を覗いた。テントの幕には、月明かりに照らされて兎のシルエットが大きく映し出されている。

「うふふ。坊ちゃん、大丈夫ですよ。ネズミが追いかけっこをしていただけです」

 森の音に混じって、ミミの声がする。

「今夜はミミが番をしますから。坊ちゃんも安心してお休みなさい」

 そうは言われても、聴覚が冴えているせいか、いつもより鼾がうるさくて敵わない。なんて思いながらも、二人に挟まれていつの間にかすやすや眠りに落ちていた。外にミミひとりを残したまま。

 翌朝、目が覚めるとともに、胸騒ぎがした。

 なにかへんだ。

 外はもう明るいのに、いつも僕より先に起きているはずのドゥークもイチハもまだ隣で眠っている。

 そっとテントから出る。森の様子はいつもと変わらない。焚き火の炎は消えて、熾火だけが残っている。――ミミの姿がない。

 気付いた瞬間、ぞっと冷汗が出て、どくどくと心臓が鳴り止まない。

 いや、落ち着け。大丈夫。争った跡がないもの。きっと近くの水場へ顔を洗いに行ったりしているだけさ。ばかみたいに心臓をどきどきさせながら、僕はテントの前でミミが戻るのを待った。

 けれど、しばらく待ってもミミは戻ってこない。ドゥークとイチハも起き出してくる気配がない。

「ドゥーク! イチハ!」

 僕はテントへ駆け込み、眠り続ける二人の体に縋りついた。

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