第6話 旅立ち
泣いて泣いて。涙が枯れてもなお、かなしみは枯れず、僕はその場で泣き続けた。
「どうした小僧、大丈夫か?」
一体どれくらいひとりで泣いていたのだろう、声を掛けられて、ようやく僕は顔を上げた。
目の前に、襤褸のマントをぐるりと体に纏った体格のいい男が立っている。大きな荷物を背負っており、旅人のようだ。少し膝を曲げて気遣わしげな様子。ちょうど逆光で顔が見えない。
「なぜこんなところで泣いているのだ」
こんなところ? 両手でごしごしと涙を拭い、そこでやっと真っ赤な目を周囲に向けた。辺り一面は白褐色の砂がさらさらと風を受けて流紋を描いているが、見渡す限り少しの緑も見つけられない。砂漠だ。
「ここは?」
反対に旅人に訊き返した。旅人も「砂漠さ」と答えただけだった。
言葉を発して自分の喉が渇いていることに気付いた。ここは? の三文字は掠れてからからの声だったから、旅人は水筒を開けて水を恵んでくれた。こんな場所で水は貴重だとは思ったけれど、僕は水筒にしがみつくようにしてごくごくごくと水を飲んだ。旅人は怒りもせずに、僕の隣に腰を下ろしてじっとその様を見守っていた。
水分を補給すると、ずいぶん気持ちも落ち着いた。旅人に返した水筒は空っぽになってしまった。
「お前さんはこれからどこへ行くんだ?」
旅人は訊ねた。
確かに、こんな場所にずっといるわけにもいかない。かといって、どこへ行くべきなのか、とんと検討もつかない。
僕は正直に旅人に話した。
真っ白な卵の中からずっとKと交信していたこと。ずいぶん離れた場所から通信していると思っていたKはもしかしたら、殻のすぐ外にいたのかもしれない。けれど、ようやく僕が殻を破った時、そこにKの姿はなくて声も聞こえない。「自らを弔う」と言っていたKはすでに死んでしまったのかもしれない。
上手くことばにならなくって、それだけ喋るのにえらく時間が掛かってしまった。生まれたてはそんなもんさ、と旅人は僕の話を最後まで黙って聞いてくれた。
「なるほど、確かにこれは割れた卵の殻のようだ」
泣いていた僕の周囲に落ちていた欠片を拾って、旅人はまじまじと眺めた。内側になっていた部分は真っ白で、外側は赤色をしている。最初その赤をKの血だと思ったけれど、改めて見ると本当に血なのかどうか。砂はさらさらと流れ続けて、殻の周囲には僕と旅人の足跡しか残っていない。
「Kは死ぬとも死んだとも言っていなかったのだろう? そして最後に、『また会おう』と言ったのかもしれぬのだろう?」
旅人が言う。僕は小さく頷いた。Kの最後のことばは上手く聞き取れなかったのだ。
「なら、探しに行けばいい」
旅人は太い声ではっきりそう言った。
「お前はずっと殻の中にいたというが、Kの姿はわかるのか?」
「もちろん。Kの容姿も顔も表情もその声も、今でもはっきり覚えてる!」
「なら、決まりだな」
旅人はにっと笑った。
旅人は王都から出発して、西へ向かっているという。今、この星のほとんどの人々は防壁で囲われた王都に暮らしているはずだが、旅人はここへ来るまでに誰とも擦れ違わなかったと言った。だから、ともに西へ向かおう、と。
「ほら、これをやるから」
ぽんと白い塊を二つこちらへ投げてよこす。喋っている間中、旅人は背嚢から鞣革を取り出して手元でごそごそしていた。今渡されたそれらは、二つで一足の靴のかたちをしている。
「生まれたばかりで薄着なのは結構だが、靴くらい必要だろう。へたくそだが、とりあえずそれで我慢しろ。どうせすぐに成長するんだから」
それで僕は、最初から着ていた足首まで丈があるシンプルな衣服に加えて、靴を履いた。
「あなたは何の目的で旅をしているの? どこまで行くの?」
旅人に訊ねてみた。
「どこまでも当てなどない。俺は、……星を集めているんだ」
「星を?! そうだ、Kも星を集めていた!」
「なるほど。ならば、星を集める旅はKを探す近道かもしれんな」
旅人が微笑む。
「俺は、ドゥークだ」
旅人はそう名乗り、逞しい右手を差し出した。反射的に僕も右手を伸ばしかけて、すぐ引っ込める。僕には名前がないのだ。
「生まれたてはそんなものさ」
旅人ドゥークはやさしく笑う。
俺が名前をつけてやろうか。ドゥークはそう言ってくれたけれど、僕は首を横に振った。名前をつけるなら、Kにつけてもらいたいと思った。
それで、僕は名無しのままドゥークと握手を交わした。
明朝出発する。日が沈む前にドゥークは簡易テントを設営し、僕は彼に貰った袋に一つ残らず拾い集めた卵の殻を詰め込んだ。
夕陽が白砂を一面真っ赤に染める。
西の空に一番星が上り、じきに漆黒の夜がくる。
外に広がる満天の星空に気付きもせず、僕はテントの中でぐっすりと眠りこけた。夢の中でKの声を微かに聞いた気がした。
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