第12話
多勢に無勢、というのはこんな状況を指すのだろう。
現れた『ミズカラ』たちは、灯台へと行進を始めた。あまりの多さに、海面が半ば固形化し、粘土のごとく形を変えているように見える。それに対し、灯台の外へ駆け出てきた隊員はあまりにも少ない。それもそうだ、私が『水脈』に行ったときに取り囲んでいた隊員は十名もいない。洞窟内の警備に当たっている人員を考えても、二十名はいないはずだ。
やがて、灯台から港青年が現れた。卑劣な笑みは消え、どうしようもない焦りと恐怖を顔に浮かべている。
灯台の外に、隊員が出そろったようだ。総勢十八名。全員が銃を構えているが、勝ち目は0だと、素人目にも分かる。
海から、ひときわ大きな影が伸びた。灰色の、見るからに凶悪な『ミズカラ』の亜種。
「あれは何だ?」
松井が呆然と口にする。
「――『ファーザー』……」
「何ですか、それ」
「桜庭さんが教えてくれたの。『ミズカラ』たちの親玉だって」
「どう見てもやばいやつですよ。絶対勝ち目はない」
私は周囲を見回す。『ミズカラ』たちは灯台を目指している。おそらく、十分もしないうちに隊員たちは制圧されるだろう。その後、やつらはどう動くだろうか。大人しく海へ帰っていくとも思えない。周囲には工場や漁港があるだけだが、少し奥には市街地がある。そこへ入り込まれると、被害は甚大なものとなるだろう。
「市街地に入り込まれたら、終わりね」
「今俺も同じこと考えてました」
最初の一匹が灯台の射程距離に到達したらしい。隊員たちの銃撃が始まった。のどかな沿岸部にそぐわない、破裂音と閃光。銃弾は順調に『ミズカラ』たちを打ち抜いているようだが、やつらの行進は止まらない。
「このまま行くと、さばききれなかった『ミズカラ』が、灯台を突破しちゃいますね」
松井がつぶやく。そのまま、レジスタンスたちの方を振り向いた。
「ぶっちゃけ勝ち目はないし、参戦すれば命もない。来られるやつだけ来てほしい」
「待って」
三船が彼を引きとめる。
「だめよ、絶対にだめ。松井さん、来月お子さんが生まれる予定じゃないですか。今行ったらだめです」
梶青年も松井の袖をつかむ。
「僕が行きますから。松井さんはここに残ってください。この後、きっと『ミズカラ』たちはここら一帯を占拠します。そうなったとき、誰が対策を講じるんですか」
「うるせえ、こうやってる時間も惜しいんだよ。俺は行く。だからお前らは自分が行くかどうかを早く決めろ」
松井が声を荒げるとは珍しい。
私が戦力になればよいのだが。右足をさするが、相変わらず鋭い痛みが走る。『戻ってきた者』は水にぬれると痛覚が鈍くなるし、切り傷等の治りも早くなる。だが、さすがに骨が折れていると、この十数分で回復はできないらしい。
バット、ハンマー、鎌、思い思いの武器を用意したレジスタンスたちに、顔を向けられない。私は何をやっているんだろう。
「行ってきます」
それが誰の残した言葉だったのか、私には分からない。返事もできないうちに、彼らは駆け出して行った。誰がこの場に残り、誰が出陣してしまったのか、それすら把握していなかった。
灯台は、すでに『ミズカラ』の大群に飲み込まれていた。隊員たちが無惨にも引き裂かれ、貫かれている。港青年は孤軍奮闘していた。水をかぶっているようだが、それでも『ミズカラ』の数に圧倒されつつある。
レジスタンスたちは海岸沿いに、灯台へと加勢に向かった。だが、彼らの手にしているのは打撃系、斬撃系の武器ばかりだ。銃器を持った隊員たちとはまるで違う。だから、こちらへとはぐれて流れてくる『ミズカラ』を潰すので精いっぱいだ。灯台に近付くこともままならない。
「助けがいるようね。間に合ってよかった」
背後から声がした。
君野梨歩の声だ。私は彼女の足にすがりついた。
「ねえ、力を貸して。このままじゃみんな死んじゃうわ。お願いだから、止めさせて」
彼女はしゃがみこんで、私の頬を両手で包む。
「あれだけひどい状況だと、私にも防ぎようがありません。でも、助けを連れてきました。一時的には、膠着状態まで持ち込めると思います」
彼女の横で、もう一人がしゃがみこんだ。
「大場さん。僕のこと覚えてますか?」
私は目を見開く。
「竹島――?」
竹島一郎。私や君野梨歩と共に、洞窟へと呼ばれたいわば「同期」。しかし、実際は己の欲望を満たすために、重要な情報を隠し、君野梨歩を幽閉の牢へと監禁した。しかし桜庭さんによってそれらを暴かれ、橋から転落し『ミズカラ』の餌食となる。その後、凶行に走るも駆けつけた桜庭さんに封じられ、然るべき場所に収容された――。
「昔は、『前の僕』が迷惑を掛けました。助けに来ました」
竹島の後ろにも、数十人の人間が立っている。ラガーマンのような体格の男性、長身のほっそりとした女子高生――。
君野梨歩が言った。
「彼らは全員、桜庭さんによって『学び直し』に成功した人間です」
言葉もない。こうやって助けを得られることはありがたいが、本当に彼らを信頼できるのかという疑念が胸をよぎる。
「彼らを信頼しろとは言いません。でも、桜庭さんを信頼することはできますよね?」
有無を言わさぬ君野梨歩の言葉に、私はうなずくしかない。彼女は満足げに微笑んだ。
「全員、行きなさい」
君野梨歩の号令で、数十人の若者が灯台へと駆けだした。用意は周到らしく、全員がペットボトルやバケツを手に、自分の身体を濡らしている。
「大場さんも、ここにいたら危ないわ。加勢できないのなら、距離を取るべきよ」
君野梨歩が私を立たせ、肩を支える。
「どうやってあれだけの人数を」
「簡単です。桜庭さんの足取りを全て辿ったら、全員を見つけ出すことができました。もっとも、数年かかりましたが」
「どうやって彼らを解放したの?」
「それはちょっと非合法なので、はっきりとはお伝えできないですね。でもまあ、最初の一人さえ確保できれば、後は力技で何とかなりました」
私が国とレジスタンスとの間でスパイ活動に勤しんでいる間、彼女もたくましくなっていたようだ。
水をかぶった竹島たちの戦闘力は、私のような『戻ってきた者』と遜色ないらしい。見る間に『ミズカラ』たちを押しとどめ、進行を食い止めることに成功している。国の隊員たちを救うには間に合わなかったのが悔やまれる。しかし、レジスタンスたちはおかげで一人の犠牲も出してはいないようだった。
「問題はあの化け物ですね」
君野梨歩が憎々し気に言う。
化け物、すなわち『ファーザー』だ。やつは今、『ミズカラ』たちの行進が止まったのを見て取り、自らも参戦せんと海岸へ向かってゆっくり歩を進めているところだ。
「さすがにアレを止められる気はしません。早めに撤退命令を出すべきでしょうか」
君野梨歩の顔に、一瞬ではあるが迷いが走った。それは懐かしい顔だった――桜庭さんが何としても守ろうとした少女の顔だ。
「誰も犠牲を出したくないわ。でも、市街地が」
私の言葉で、君野梨歩は一層迷ってしまうだろう。でも、市街地の存在を伝えないわけにはいかなかった。
案の定、彼女は苦しんでいるようだった。誰も死なせるわけにはいかないが、背後には何も知らない人々の生活がある。しかし、『ファーザー』は着実に距離を縮めていた。
私の胸を、わずかな諦めの念がよぎった。このままでは、犠牲を出さないことは不可能だ。それがレジスタンスや『学び直し』た者たちなのか、それとも無関係な市街地の人間なのか、私たちに選別などできない。
「全員に、徐々に撤退するように伝えて。それから、私を灯台の近くまで連れて行って」
私は君野梨歩に強い口調で言った。
「あの『ファーザー』は、私が何とかする」
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