第8話

 平らな場所へ転がり出た。

 岩に何度も身体を打ち据えたせいで、私は立ち上がることさえできない。途中でスーツが破れ、大量の水が全身を浸した。それがなかったら、すでに絶命していたはずだ。

 機能しているかどうかも分からない肺に、空気を送り込む。少なくとも即死する成分は空気中に含まれていないようだ。

 目を薄く開ける。ヘルメットはいつの間にか割れていたらしい。破片の向こうに、白い光が見えた。

「う……」

 何とか上体を起こし、ヘルメットを脱ぐ。フェイスシールドの破片がぱらぱらとこぼれ落ちた。同時に、この空間の白さを全方向から感じる。

 佐久間たちの言っていたとおりだ。

「白い神殿」

 つぶやいてみる。

 タイル張りだろうか、真っ白な床がどこまでも続いている。そしてギリシャのアクロポリスのような柱。私のいる場所をまっすぐ行けば、階段があるようだ。その先は、光でかすんでいる。

 きっと、この白い神殿が見えているのは私だけなのだ。実際には私は暗い洞窟の中で、無数の『ミズカラ』たちに囲まれながら、濁った水に身を浸しているだけ。

 身震いをして周囲を見渡す。もちろん『ミズカラ』の姿など見えるはずもない。ただただ白くてまぶしい世界。

 ピ、と音がした。

 起爆装置が作動したのだ。タイマーの数字を見たかったが、首元にきつく食い込んでいるので叶わない。あと数分ののちに私は爆散しているのだ。

 ゆっくりと立ち上がる。以前「美鈴」との戦闘でも負傷した右足が、不機嫌に脈打っている。想像以上の深手を負ってしまったようだ。これでは襲われても抵抗すらできまい。

 足を引きずり、進みだす。もうここまでならば、せめて佐久間たちが最後に見つけたもの――光る扉――を確認したい。佐久間はどうしてあんなことになったのか。私にそれが突き止められるとも思わなかったが、現物を見るくらいはしてもいいだろう。

 首元の電子音が不快だ。

 階段までたどり着き、左足を掛ける。右足はずきずきと痛んでいる――ひざ下から、少し向いている角度がおかしくなっているようだ。あまり見ないようにする。

 佐久間の見ていたものはこれだったのか、と思う。

 階段の方々に、真っ白な無数の扉があった。どこかの教会にでもありそうな、重厚な意匠の施された扉たちだ。階段のそこかしこに乱立していて、中には取っ手を引けばぶつかり合いそうなほど近接しているものもある。

 それでも扉だけが階段の途中に立っているわけである。だから扉の向こう側には何もないはずだ――なぜなら、扉の向こう側にも階段が続いているのが見えているのだから。

 しかし、扉の向こうに別の世界が広がっていることを私は直感する。扉の隙間からは溢れんばかりの光がこぼれている。佐久間は言っていた――『だって、これ、ほら、こんなに光って――』

 あの時の佐久間は、何かに魅入られたように扉を開けようとしていた。おそらく、彼の顔面から指が生えていたのは、扉を開けたせいだろう――何が起こったのかは知らないが。

 確かに、この扉を開けたいという衝動を私も覚え始めていた。数日間飲まず食わずの人間が湧水を見つければ、こんな気持ちになるのだろうか。

 抗いがたい欲求。私がそれを自制できているのは佐久間の顛末を知っていたからだ。それがなければ、とうの昔に扉を開け放っているだろう。

 適当な扉の前に立ち、取っ手へ右手を伸ばす。それを、私の左手がつかんで引き下げる。

 何を馬鹿なことをやっているのか、と誰かに言われそうだが、私は真剣だった。この扉を開けてはならない。手を上げる。もう一方の手で押し下げる。

 そんなことをやっているうちに、右足がミシリと音を立て、私は階段を数段転げ落ちた。身体が濡れていたおかげで痛みをそれほど感じなかったのだが、かえって無理をしてしまったらしい。私の右足は膝からまったくの逆方向に折れ曲がっていた。体重を支え切れるような状態ではなかったのに、歩いた挙句に階段まで登ったのだから当然だろう。

 右足の向きをとりあえず戻しておく。私がいるのは階段の中ほど辺り。座り込んでいる私の眼前には、先ほどとは違う扉の取っ手がある。

 ふわり、と手を伸ばす。無意識の動作だった。片手をついているので、伸ばした方の手をつかんで押し下げることができない。指先が取っ手に触れた。

「開けたらだめだよ」

 私の背中側から、誰かの手が伸びてくる。私の指先を包むようにして優しく押し下げた。

「でも、こんなに光っているの」

「実際は光っていない。君は瓦礫の上で何もない空間をまさぐっているだけだ。そして、その周りで『ミズカラ』たちが君の様子をじっと見てる」

 ――『ミズカラ』。

 その言葉で我に返る。

 慌てて立ち上がろうとして尻もちをついた。右足が折れているのだ。立ち上がれるわけがない。背後の誰かは、私が階段を転がる羽目にならないよう、支えてくれた。

「一度、ここを降りよう。首のそれも外さなくては」

 身体を抱えられる。敵か味方か知らないが、少なくとも人間ではあるようだ――『ミズカラ』と口にしたのだから。

 私はひとまず身をゆだねることにした。相手の肩に手を回し、しがみつく格好になる。

「え」

 知らぬ間に声が出ていた。

「桜庭さん?」

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