第6話

 黒宮との闘いから二か月後。

 国が私を追ってくることはなかった。国からの呼び出しには一切応じず、住所もメールアドレスも変えた。国から支給された物品もすべて処分する――どこに発信機が仕込まれているか、分かったものではない。

 私はまだレジスタンスとしての活動を再開していなかった。私の足はまだ十分に回復していなかったし、松井らの手に負えないような事案も発生していないのだ。

 何より、当面の資金繰りが肝要だ。今までの国への奉仕によって、幾分かの貯蓄はある。ただ、引っ越しに伴い少なくない支出があった。

 諸々を考えた結果、私は非常勤で私立大学の事務を務めることにした。私の出勤日は火曜日と金曜日。前職の経験があるから、業務になじむのは早かったと思う。もちろん、使用したのは偽名。身分証明書や住民票は偽造した。自分がこんなことに手を染めるとは思ってもみなかったが、国に足取りを気取られるのは何としても避けたい。

「おはようございます」

 実習助手の青年が頭を下げてくる。私はキーボードを打つ手を止め「おはようございます」と会釈する。

「今日もお仕事がよどみないですね。みんな凄腕の事務さんが来たって噂してますよ」

「そう言ってもらえると嬉しいですね」

 正直、悪い気はしない。こちらに入って早々の私に降りかかったのが、研究費と実験費の統合という問題だった。この二つが分けられているために、学生は「研究に必要な経費」と「実験の道具や材料にかかる経費」を区分けせねばならない。たとえば研究に実験を使用しない、アンケートやフィールドワークといった手法をとる学生は、研究費しか使用することができず、学生の間で不公平感が増していたのである。ただ、これを統合することによって学生の費用申請が増加することが予想され、運営資金の余裕を確保したい大学側はいい顔をしなかった。何より、申請用紙の書式や会計報告の様式が変更となるため、事務方の負担が一時的に急増する。それで、これまでこの問題が放置されていた――そして前任者は一切の解決を図らないまま退任してしまったわけである。

「本条さんが来てくださってから、研究費と実験費がいっしょになって、学生としては願ったりかなったりのようで」

 本条とは、私の偽名である。働き始めたばかりで負担感が無かったと言えば嘘になるが、私はまずこの研究費と実験費の問題に手を付けた。その結果、一か月足らずで研究費と実験費の統合を成し遂げることができたというわけである。

 なおも私をおだてようとする実習助手の彼に、数枚の領収書を渡す。

「ところで、この前提出いただいた購入伺いの計算が合わなかったので、確認をお願いします」

「ああ……はあい」

 この非常勤という立場は気楽だ。自分の意見を伝えると比較的聞き入れてもらいやすいのに、昇進や昇給のような余計なしがらみとは無縁である。自分が必要だと感じるものをプッシュし、そうでないものは静観していればいい。

 研究助手の青年は、腕時計を見て大げさに「ぎゃっ」と声を上げた。

「もうすぐ三時です。今日も重大発表があるらしいんですよ」

 言うが早いか、事務室から駆け出して行った。彼にしては、体よくこの場を離れたつもりなのだろう。彼に渡した領収書の中に、明らかにプライベート上の支出が含まれていた。出来心だろうか、それとも昨年度うまくいって味をしめたのだろうか(前任者はよくも悪くも甘い人間だったのだ)。彼がこれで何かしらの学習をしてくれることを祈る。

 彼の言う重大発表とは、国からの発表を指している。

 国は大胆にも、ここ数日で洞窟に関する情報を国民へと開示していた。毎日三時から一時間、洞窟とそれにかかわる事項の概要を説明する。

 私はその意図をつかみかねていた。何せ、今まで隠し通してきた国家機密を明らかにするようなものである。

 おそらくは、佐久間やRL姉弟の死、および私の脱退を受け、人手が必要になったということだろう(そして、「水脈」の踏査という命がけの任務を担う人材も)。だからこうやって国を挙げたコマーシャルに乗り出した――ここまでが私の考えうる限界である。だが、どうもそれだけではなさそうだ。

 入力し続けていた会計一覧を印刷し、内容に不足がないか確認する。当座の業務はこれで終了だ。

 一抹の興味を覚え、私も学生たちが集う学習室へと向かう。

 味気ない灰色の扉を開けると、すでにテレビを食い入るように見つめている学生たちがちらりとこちらを一瞥し、また視線を戻す。「重大発表」なるものが始まっているらしい。

 国が今更何をしようと私の知るところではないし、あらゆる要請にも応じるつもりはない。ただ私がここへ足を運んだのは、国がどのような一手を打つのかを知りたい一心だった。

 モニターの中では、どこぞの大臣が、これまでに説明した内容を改めて確認しているところだった。世の中には特殊な方法で入り込むことのできる洞窟があること、青少年において睡眠中にその洞窟へと呼びこまれる場合があること、そこにはカゲと呼ばれる何かが生息していて、命を落とせばカゲに身体を乗っ取られ、凶行に走ること。

「今日は何があるんでしょうね」

 近くに座っていた女子学生がひそひそ声で話しかけてきた。私は首をかしげて見せる。

「何があるのか分からないけれど……これ以上新しい情報があれば、頭が追い付かないわね」

 無難に切り返しておく。

 テレビの中の大臣がネクタイを締めなおした。

「本日の――あー――内容になりますが、えー――現時点の――その――研究が進んでいる内容と言いますか――」

 さすがネット上で「もったいぶりマン」と呼称されるだけある、間延びした大臣の声。だがそれによって、多くの国民がテレビにくぎ付けになっているのも事実だ。国の人選はある意味で正しい。

 もったいぶりマンは、現時点で解明されている洞窟の実態を赤裸々に語った。私から見ても、よくぞここまで国民に開示した、と思う内容ばかりであった。

 たとえば、洞窟は「水脈」でつながっていること、その「水脈」が別次元にあること、その「水脈」の調査に向かった隊員たちが全員命を落としたこと。

 話はレジスタンスにも及んだ。国が「水脈」の調査を通じて、洞窟関係の問題を根本的に解決しようとする一方で、洞窟への侵入を繰り返し、青少年を救う英雄的行為によって自尊感情を満たす集団――大臣の言っていることを要約すれば、こんなふうだった。

「そして――ええと――本日の最重要な内容といたしましては――(紙をめくる音)――こほん――であります」

 私は目を見開く。「戻ってきた者」の話を地上波で流そうというのか。

 いよいよ国の魂胆が見えない。一部の人間は「戻ってきた者」をどこかのヒーローのように祭り上げるだろう。そして、一部の人間は、「戻ってきた者」に不信感を抱き、怪しい人間を村八分にするだろう。ネット上では、真偽を問わず「戻ってきた者」探しが行われるに違いない。

「本国で認知されている症例は――」

 大臣の声と共に、画面上で写真が大写しになった。

 

「港公久。二十八歳。自我は安定しており、本国の調査機関において多大なる協力をしてくれております――」

 ああ、そういうことか。私は下唇を噛む。

 すべてが分かった。国がこんな放送に乗り出した意味も。私が取るべき行動も。

「大場スミ。二十八歳。次の水脈調査に向かう予定でしたが脱走。現在、国を挙げて行方を追っています。非常に理性的な印象を受けますが、彼女の中にはカゲが入っております。情報をおもちの方は、画面に表示されている番号までお寄せください」

 学生たちの目が私の方を向いている。

 モニターには、私の顔写真が表示されている。露骨に携帯電話を手に取る学生も見える。

「本条さん――」

 実習助手の青年がこぼす。私は何も答えることができない。

 退

 それこそが、国の目的なのだ。そのためだけにこれだけ大掛かりな作戦を仕込んだ。今この瞬間、全国民が私の敵となる。

 黒宮の言葉が蘇った――『君は水脈に赴き、そこを爆破するんだ』

 これ以上逃げることはできないだろう。

 学生たちの視線から逃げるように、背後の窓から地上を見下ろす。ここは十三階だ。駐車場が一望できる。

 ぱっと見では分からない護送車が目に入る。そこから降りてくる武装した隊員たち。中には、すでに見知った顔もある――港青年の姿も。

 身元はとっくの昔に国の知るところだったようだ。今ここで逃げおおせても、自宅や行きつけの場所はすべて割れているだろう。抵抗しても仕方がない。

 私にできるのは両手を上げて、護送車に連行されることだけだ。

 私は静かに学習室の扉を開けた。

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