第4話
「指って、どういうことですか?」
松井が身を乗り出す。キャップを深くかぶり、運送業の作業着に身を包んだ姿には威圧感がある。私は首を横に振るしかない。
「私にもよく分からないの。佐久間の顔がのっぺらぼうになって、その代わりに、顔面全体に指が生えていた。それだけ。今頃検死中かもしれないわ」
「すごく不気味な話ですね」
そう言いながら、三船がインスタントのコーヒーを差し出してくる。私は「ありがとう」と会釈した。
殺風景な部屋だ。ロの字に並べられ長机にパイプ椅子、申し訳程度の湯沸かしポット。市が貸し出している公共の会議室である。この部屋の前には、「青少年犯罪の未来を考える会」とかなんとか、それらしい名称が掲示されているはずだ。
今ここには、七名の男女が集っている。全員が洞窟に『呼ばれ』たことのある者たちだ。
「研究の実務を担当している港さんって、どんな方なんですか?」
森藤が言う。いくつものシステムを開発し、それらのコントロールを一手に担いながら、なおかつ『ミズカラ』を打ちのめす力をもつ港青年。気になるのも無理はない。
「彼は、国の言葉を借りるなら『戻ってきた者』よ。まだ日本では三名ほどしか確認されていない――しかもそのうちの一人、権蔵さんはすでに命を落としている」
説明をすると、森藤は「じゃあ、今は日本で二人だけなんですね」とつぶやいた。厳密には、今の日本に『戻ってきた者』は三人いる。しかし私はそれを明らかにするつもりが一切ない。港青年のように複数の業務を押し付けられ、常に駆り出され、やがて危険にさらされるに決まっている。
「話を戻しますけど、実験に参加した残りの二人は見つかったんですか」
眉間にしわを寄せた池下の方を見て、私はかぶりを振る。RL姉弟を引き上げることはかなわなかった。ワイヤーは『ミズカラ』らによって切断され、生存は絶望的。池下は、「なんてこと」とため息をついた。
リーダー格の松井、彼をサポートする三船、森藤、池下。『ミズカラ』たちとの闘いにおいて、私と同期の者たちだ。この言い方が正しいのかは分からないが。
しばし、重い沈黙が流れる。国の動きがあまりにも性急すぎたのだ。水脈に『ミズカラ』たちが跋扈していることくらい、誰でも予想がつく。しかしその点を一切下調べしないまま、調査に踏み切ってしまったのだ。杜撰な計画と言えばそれまでだろう。
「ま、皆さんコーヒー飲んでくださいよ。このベーグル、おいしいって評判のところで買ってきたんですよ」
耐えかねたのか、梶が手を叩いて声を張る。昔、松井と一緒に救い出した少年だ――今は梶青年と言うべき年齢になっている。
「そうですよ。ほら、おしぼりも」
白井美里がおしぼりを配り出す。洞窟で殺人鬼により命を落とし、生還した少女だ。懸念したとおり、彼女はその後しばらく後遺症に苦しめられたという。おぞましい記憶のフラッシュバック、悪夢、不眠。しかしそれらを乗り越え、今ここに仲間として集っている。
閑話休題で、全員がベーグルをつつき始めた。それぞれの近況報告や雑談に花が咲く。
「大場さん、大丈夫ですか? その佐久間って方、同じチームだったんですよね」
白井が、他のメンバーには聞こえないようささやいてきた。
鋭いわね、と思う。しかし、私もだてに死線を越えていない。仲間の死を乗り越える術は常に磨き上げてきた――たとえ、それが元恋人であっても。
「ええ。悲しくないと言ったら嘘になるけど」
「無理なさらないでくださいね」
「ありがとう」
当たり障りのない返事でかわしておく。佐久間のことを悼むのは、今回の件が完全に片付いてからだ。私はすでに黒宮の呼び出しを受けている。明日、黒宮邸に出向き、「個人的な相談」に応じること。水脈への再踏査あるいは下調べ――何にせよ、次の一手に私を用いようとしているに違いない。生き延びることを考えなくては。
「別件なんですけど」
松井が言う。うなずいて先を促すと、彼はしばし逡巡してから口を開いた。
「桜庭さんの消息についてですが――」
彼の言葉で、桜庭さんと闘った記憶が一気に脳裏を駆け巡った。私たちは橋の上で対峙し、お互いの力をぶつけ合ったのだ。しかし、私が水をかぶっていた一方で、桜庭さんは水を使わなかった――『ミズカラ』の力を行使しなかった。力の差は歴然で、私は彼に深いダメージを与えた。桜庭さんは表情を変えなかった。いつもと変わらない、何かを悟ったような悲しい表情で、橋の上から転落していった。
コンコン、とノックの音が響いた。松井らが顔を見合わせる。
「今日、他の参加者は?」
「いないはずです」
問いかけに答える白井も当惑しているようだ。
池下が腕時計を見る。
「部屋の貸し出し時間も、まだ十分に余裕があります」
ということは、施設の職員が催促に来たわけでもなさそうだ。そもそも呼び出しには室内に備え付けられた内線電話が使われる。
再び、ノックの音。
「まあ、大丈夫だろう」
松井がつぶやき、「どうぞ」と声をかけた。その声と同時に、嫌な軋み音をあげて扉が開く。
最初に見えたのは、黒いジャケットだった。さらに、黒いスキニージーンズ。黒革の手袋。
「桜庭さん?」
そうつぶやいたのは三船だ。
黒ずくめの人物はゆっくりと部屋の中へ歩み入った。左足を引きずっている。私にはすべてがスローモーションに見えた。私が殺したはずの相手。
「久しぶりですね」
声を聞いて我に返る。
大きく目をしばたたかせ、顔を上げると、そこには君野梨歩が立っていた。
「すごいファッションね。最初、桜庭さんが来たのかと思った」
動揺を悟られぬように、平静を装って言う。
「アニメの悪役みたいに、桜庭さんは黒ずくめが好きでしたからね」
君野梨歩は静かにそう言った。そこに含まれた、微かな不機嫌さを私は感じ取る。彼女はどうやら旧友と親睦を深めに来たわけではなさそうだ。
「今日は不参加だったと思うけど。気が変わったのかい?」
松井の問いかけに、彼女はうなずいた。
「ええ。個人的にいろいろと動いてまわってたんですが、それがひと段落したので」
「いろいろと?」
「ええ。いろいろと」
もったいぶった言い方をする。私の知っている朗らかで快活な君野梨歩の姿はなかった。頭の中で警戒音が響く。あなたは敵なの? 味方なの?
「桜庭さんの足取りを追っていたんです」
言いながら、君野梨歩は椅子を引いて腰を下ろした。かなり回復しているとは言え、長時間の移動や立位はまだつらいのかもしれない。
「情報が整理できたので、皆さんにもお伝えできればと」
全員が色めき立つ――私を除いて。もちろん、ここにいるメンバーは、彼が「殺人鬼」として洞窟に君臨し、私との死闘の末に命を落としたことなど知らない。
「聞かせてください」
松井が目の色を変えて言う。その横で梶が君野梨歩の分のコーヒーを注ごうとしている。君野梨歩はそれを手で制し「いらないわ」と口にした。
「すぐに帰りますから。私はただ、手に入れた情報を皆さんにお伝えしたいだけ。やりたいことは山ほどあるので、端的にお話ししますね」
梶が無念そうな表情を浮かべ、コーヒーを淹れかけていた手を止める。彼が席に着き、全員が着座して君野梨歩を見つめている格好になった。
「皆さんがご存知なのは、『ミズカラ』に入り込まれたと思われる人間を、桜庭さんが調べて回っていたところまでだと思います。相違ないですか?」
私の同期たちが黙ってうなずく。梶や白井は桜庭さんと直接の面識はないが、話に聞いていたのだろう、特に疑問を呈することもなく黙って聞いている。
「各地の病院に連絡してみて、彼がそういった方を対象に、面接をしていたという裏付けを得られました。それも長期にわたって複数回」
「長期だって?」
口を挟んだのは松井だ。
「ええ、そうです。私たちが『桜庭さんの行方が分からない』って大騒ぎしている間にも、あの人は『ミズカラ』に入り込まれた人々のところへ足繫く通っていたわけです」
私は脳内で計算する。おそらく、「殺人鬼」として活動する中でも、桜庭さんは面接を続けていたということだろう。
「すみません、整理しますね。桜庭さんは、『とある島の調査中』という連絡を最後に消息を絶った。けれど、その後しばらくの間、『ミズカラ』に入り込まれたらしい患者への面接は続けていたようです」
これは私も知らない情報だ。桜庭さんは、いったい何のために――。
「桜庭さんはいったい何のためにこんなことをしていたのかと、私も疑問に思いました。かなり強引に調査を続けましたが、ある看護師から、桜庭さんが『彼らは学びなおせる』と漏らしていたという話が聞けました」
池下がうなった。
「彼らとは、つまり――」
「ええ、『ミズカラ』に入り込まれた人たち。頼むから少し黙って聞いてくれないかしら」
突然のジャブに、池下は何も言い返すことなく口を閉じる。
「桜庭さんが対象としていた患者たちには、目を見張るような変化があったそうです。心神喪失と言っても過言ではない状態だったのに、聞いた言葉をどんどん覚え、『こういう場面ではこうすることが望ましい』というスキルを片っ端から吸収していく。相手の立場で考える力を獲得して、自分の犯した罪と向き合う事例も出ているそうです」
君野梨歩が何の話をしようとしているのか、私はつかみあぐねている。つまるところ、『ミズカラ』に入り込まれた人々――あるいはヒトに入り込んだ『ミズカラ』――には、学習能力がある、という話に過ぎない。それと桜庭さんの消息に何の関係があるのだろうか。
そんな私の思いを見透かすように、君野梨歩は言い放った。
「ここまでは余分な情報です。少なくとも本題とは何ら関係ない。そういった調査を進める中で、ある島の病院関係者と連絡を取ることができました」
私は君野梨歩から視線を逸らした。彼女がためらいなく、全員の顔をねめ回していたからだ。私の視界には、梶青年のベーグルがある。食べかけのベーグル。脈絡もなく、もったいない、と思う。
「栗原さんという方です。桜庭さんとは、大学院の同期だったとか。そこで、興味深い話を聞いたんです」
栗原――遠藤さくら。私は遠い記憶からその名前を引っ張り出す。直接的には面識がない――私がアルバイトしていた居酒屋で、酔いつぶれた彼女をタクシーに乗せたことがあったらしいが――ものの、桜庭さんから幾度かその名前を聞いていた。
「島には『戻ってきた者』の権蔵という人物がいました。桜庭さんが滞在中に、その彼が『ミズカラ』に入り込まれるという事故が起きたそうです。結局権蔵は命を落としたわけですが、島民を守るために立ち回ったのが桜庭さんだったとか」
「桜庭さんが権蔵さんと闘ったって言うんですか」
思わず、と言った様子で松井が口を挟んだ。しかし君野梨歩は、池下に対して見せたような攻撃的な態度を取らず、静かにうなずいた。
「栗原さんは、権蔵の突き飛ばした車を桜庭さんが受け止めたと言っていました。道路標識をねじり切って権蔵に突き刺したとも」
松井が「まさか」と息をのむ。
「こうは考えられませんか? 桜庭さんも『戻ってきた者』だった。だけど、彼はどこかの組織に属するような人ではありません。だから、彼のことを煙たがった人間たちがいた――国です」
私は下唇を噛んだ。おそらく君野梨歩の最終的な結論は誤っている。だが、それ以外の点では恐ろしく的を射ていた。このまま行くと、おそらく私が『戻ってきた者』であることもいずれ突き止めるだろう。
君野梨歩は微笑みを浮かべて私を見た。
「現時点での私の考えを述べれば、桜庭さんは国に消されたのだと思います。もちろん、証拠はどこにもないので、私の妄想と言われればそれまでです。でも、もし見つかれば――」
言葉を切った。
「ねえ、どう思いますか? 国に飼われている大場さん?」
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