第6話 Side-B
母は、娘から見ても、ネガティブな雰囲気を一蹴するのがうまい人だった。世の中で「悩みを相談しやすい人」というと、どんなことでも親身になって聞いてくれるようなイメージだ。母は決してそうではなかった。しかし、どこか「彼女に話すと気が晴れる」と周囲から思われている節があった。
母は、相談を受けても何か特別なことをするわけではない。あっさりとした、聞きようによっては冷淡にも思える反応を返すだけだ。にもかかわらず、相談者はみんな納得した表情で帰っていく。それは、母が誰に対しても、いついかなる場合でも一貫した態度をとっていたからかもしれない。つまりは、母らしい返答がほしくて相談に来る人が多かっただけのことだ。
私にも人並みの思春期があった。必要以上に周囲の目を気にし、必要以上に友人の嫌な側面に注目した。
これ見よがしにため息をつき、夕食のときにぽつりぽつりと話すのだ。
「今日も学校でミーちゃんに無視されちゃってさ。やっぱり私、嫌われてるのかなぁ。私は仲よくしたいだけなのになぁ。本当、毎日苦痛で、悩みが尽きないわぁ」
母はそういった話を聞くとき、目を合わせない。「ふうん」とか「そう」とか言いながら、サラダを小皿に取り分けたりしている。
「そうね、そりゃ、嫌な気分になるわよね」
まずはせわしなくサラダの盛り付けを整え続けながら、通り一遍の共感を口にする。その後、一口みそ汁をすすり、ゆっくりと目線を合わせてくる。ここからが独壇場だ。
「でも、そのミーちゃんとやらがあなたのことをどう思っているかなんて分からないわよね。結局分かるのはただ一つ、あなたがミーちゃんのことをよく思ってないことだけ。『嫌われているかも』なんてヒロインみたいなセリフは似合わないわよ、素直に『私、同級生のミーちゃんと合わないみたい』くらい言えるようになりなさい」
強い言い方ではなく、どこかコントのような、おどけた調子で言うのだ。こちらも少しムッとしつつ、心のどこかで「欲しいコメントをもらえた」という満足感が生まれ始める。それは母の教育効果かもしれない。
「でもさぁ、私ばっかりこんなに悩んでさぁ、おかしくない? だって態度が悪いのは向こうなのに」
私も一応言い返しておく。大概、母は私の反論を笑い飛ばす。
「出た! 『私ばっかり』! そういう恥ずかしいセリフは鏡見て言いなさい。そもそもあなたの言うのは『悩み』なんて高尚なものじゃないでしょう? これは『愚痴』、そのくらい分けて考えなさいなお嬢様」
その後、似たような言い合いをするのだが、結局ボケとツッコミのようなありさまになり、最終的には私も笑い出してしまって終わる。
そんな母だったから、中学校で地域の支援員として働かないか、という声がかかったのも納得がいった。私が大学での生活に慣れ、畑を手伝うゆとりをもてるようになった頃だった。ちょうど各学校にスクールカウンセラーが配置され始めた頃で、地域の学校に専門家が配属されるまでの1年、「つなぎ」として支援員が必要だったのだ。母は、2年間という期限付きでその話を受けた。非常勤で火曜と木曜のみ、母は中学校に出勤するようになった。
聞くところによると、母の評判は上々だったらしい。支援員は全部で3人程度いて、曜日や午前午後で勤務が分かれていた。あとの2人は典型的な「優しいおばちゃん」だったそうだから、うまいことすみ分けもできたのだろう。
翌年に来たスクールカウンセラーはひょろりとした青年で、どこか頼りなく、子どもの気持ちを引き寄せるタイプではなかったようだ。そのため、しばらくは母らの復帰を求める声が相次いだという。
支援員をしていた時分、母も相談業務のほか、どこぞのセンターに出向いて研修を受けることもあったようだった。一度だけ、母が深刻そうな顔で、研修の内容をこぼしたことがあった。
「今日の研修で、子どもたちの抑うつとか、自傷とかについて勉強したんだけどね、先生が言うには、死に関する情報に触れること自体が、そういったリスクを上げるんだって。テレビ、ゲーム、ネット…。それ聞いて、悲しくなっちゃった。これだけ情報があふれているんだもの、私たちのころと比べて、今の子どもたちはネガティブな情報にも触れやすくなってしまっているのね」
日ごろ、気分のぐらつきを抱える生徒たちを相手にしているのだ。母も研修を受けながら、彼らの姿を想起してしまったに違いない。
「難しい問題だね。テレビでは、放送時間やテロップで配慮がされているし、映画やゲームでもレーティングがあるでしょう? ネットは――フィルタリングか。あとは家庭の判断だよね」
私がそう言うと、母は「それもそうね」と笑う。
「たしかに、世の中が検閲だらけみたいになってしまったら、息苦しいものね。でも、私はこういう立場の人間として、法律とか決まりとかを超えたところでも、ある程度の節度を守ってほしいと思わずにはいられないわね」
なぜだか分からないが、私はこの会話を折に触れて思い出すようになる。過激な表現に触れたとき。中高生が起こした事件の報道に触れたとき。そして、母の言っていた「ある程度の節度」に思いを馳せる。母にしては、妙にぼやかした表現だと思った。しかし結局、線など引けるはずがないのだ。
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