第3話 糖分過剰摂取注意報

「ただいまー」

 玄関から聴こえて来た声に、私は立ち上がる。とたとたと足音が近付いてくるのに合わせ、私はポットからお湯を注いで緑茶の粉末と混ぜ合わせた。

「あれ、今は唯織ひとり?」

 ひょこっとドアの隙間から顔を出したのは、私の従兄弟。高校生になったばかりの私よりも九つ歳上で、私は彼のことを『ふう兄』と呼んでいる。

「うん。大人は買い出しに行ったよ」

「そっか。あ〜、やっぱ家の中はあったけ〜な!」

 彼はそれまで着ていたコートやマフラーを脱ぐと、俺、手洗ってくる〜と今まで手にしていた荷物をドンとこたつの上に置き、洗面所の方へ消えて行った。

 私は用意したお茶をこたつの荷物を回収してから置き、いそいそと彼の持っていた袋の中を覗き込む。

 ビニール袋の中身は袋菓子、紙袋一つ目の中身はお歳暮。そして小さめの紙袋二つ目の中身は……タッパー?

「あ、それ、なつが持たせてくれたやつだから冷蔵庫入れといてもらえると助かる」

 いつの間にか戻ってきたふう兄がタッパーを指差して言う。

「ああ、ふう兄のお嫁さんが? あ、お茶、熱いから気をつけて」

「おっ、ありがとう! 中身は中華サラダとご近所さんからもらった大根の煮物ね。よければ食べてくださいってさ」

 タッパーの上に貼られたメモにも、今回こちらに来れなかった事のお詫びと、よければ食べてくださいの文字が綺麗に綴られている。それならばありがたく頂こうと、私は冷蔵庫にタッパーを二つしまった。

 ところで、私は彼のお嫁さんと会ったことが無い。去年の冬はこっちの家の集まりにも顔を出していたらしいのだが、私はちょうどその頃はお受験真っ只中で来れなかったのだ。

 ようやく今年こそ会えるのかと思いきや、「今年、なつの方の実家で『両家の顔合わせ』ならぬ『両親戚顔合わせ』があるらしくて、そっちに行かなきゃならんくてだな……」と言われてしまい、私はまた今年も生のお嫁さんと会う事が叶わなかった。

 ふう兄は行かなくていいのかと聞いてみれば、お嫁さんは先に準備のために少し早めに実家に帰っているそうで、ふう兄本人は一日だけこちらに顔を出して、その後に遅れてお嫁さんの実家に向かう計画らしい。

 仕方ない事だとは分かっているが、素敵な人だとふう兄も叔母さん叔父さんも、うちの両親だって言うのだから、そのお嫁さんと会ってみたかったのに……!! 悔しい!!

 内心泣いている私をよそに、ふう兄はのんびり茶を啜っては「しみる〜」と呟いている。

 思わず「じいさんかよ」と言いたくなる。歳か、もうふう兄も歳なのか(まだ25歳なのだが)。


「そういえばさ、なんか前に『いお〜!! 聞いてくれ〜!! 今度彼女の幼馴染と顔合わせしてくるんだ……万が一の時、骨は拾ってくれ、頼んだ……!』とか言ってなかったっけ? あれ、どうなったか聞いてないんだけど、結局どんなだったの?」

 次にふう兄と会った時に訊こうと思っていた事を思い出し、ふと口に出す。するとふう兄はふるふると震えながら、こたつに突っ伏してこう言った。

「ああ、俺はちゃんと無事生きて帰ってきたぞ……! いい人だった……!! 途中どうなるかと思ったけど……」

 それを聞いた私、冷静に考える。……なぜ幼馴染相手にそんなにも恐れなければならないのだろうか、と。まさか、彼女の幼馴染がおっかないお家の方とか……!?

「唯織、お前の思考が変な方に飛んでるのは分かったが違う、違うぞ」

「あれ、声に出てた……?」

「出てたよ、しっかりと」

 私はあちゃーと額を抑える。しかし、おっかないお方でも無いのであれば、なおさら不思議で仕方ない。

「何がふう兄をそんなに怯えさせたんだ……?」

「それがさ〜! なつの幼馴染、つばきさんって言うんだけどな、そのつばきさんと会うって決まってから、なつが『私の大事な幼馴染に了承を貰えなければ籍を入れるなんて出来ないわ……!』って言うんだよ」

 わお。どれだけ大きな存在なんだ、その幼馴染さん。

 しかしなるほどなるほど。そう言われたから、図体はそれなりにデカいくせに中身はビビりのふう兄があれほど震えていたわけだ。

「しかもさ、俺、会うまでつばきさんの事、『ゆき』って名前だと思ってたの。なつが『ゆきちゃんゆきちゃん』言うからてっきりゆきさんだと思ってたら、まさかの本名つばき!! 俺、『ゆきさん初めまして』って挨拶しちゃったじゃん!! その後に『すみません、私の名前、つばきなんです……』って心底申し訳なさそうに言われた俺の気持ち! 分かる!?」

「お、おう……」

 ――いや、なんで『つばき』が『ゆき』になるんだよ!!

 私も思わずそう思った。

 ふう兄、あんたは頑張ったよ……! きっと「本当はつばきなんです」って言われた瞬間、内心「え?」って思ったんでしょう。私には分かる。昔から妹のように世話してもらってた私には分かるぞ……!

「どうやら、なつだけが昔からつばきさんの事を『ゆきちゃん』って呼んでたらしくて……。『きっと私の事はゆきで伝わってるんだろうなって思ってましたから』って謝られてしまった……。で、その後ずっとお話をしてたんだけどな? まあ、主になつとつばきさんが喋ってたから、俺は女子会にひとりぽつんと混ざる男になっていたわけだが……途中でさ、つばきさんが『私の大事な幼馴染を嬉し涙以外で泣かせたら許さないから』って言ったんだよ……!!!!」

 おれ、咄嗟に「絶対にしないと誓います!」って叫んじゃったけど、今にも死ぬかと思ったよおおお!!

 机に突っ伏してわーわー騒ぐ彼に、私は同情しつつもちょっとだけ引いた。止まらぬマシンガントークに、まるで「酒、入ってるの?」と言いたくなるような有様。

 ちなみに尋ねてみたら、「酒は入ってない!! シラフだ!!」と叫ばれた。うん、それはそれでちょっとどうかと思う。

「でも、優しい人だったんでしょ?」

「うん、すごく優しい人だったよ」

「了承ももらえたんでしょ?」

「うん、最後に『私の大切な幼馴染の事を、どうかよろしくお願いします』って頭下げられた」

 ならよかったじゃん! と、わしゃわしゃふう兄の頭を撫でる。

 いや、どっちが兄だよとしれっとツッコミたくなったが仕方がない。今のふう兄は「けど、『泣かせたら許さない、って言ったのは冗談です、一度言ってみたかったの』って笑ってたのがやっぱり怖かったああああ」と泣いてらっしゃるので、ここは仕方なくそれはそれは心優しい妹様(本当はいとこだけど)が慰めてやらねばならんのだ。

 ああ私、なんて優しいの……!

「けど、幼馴染が心配なのは分かるんだよなぁ」

 しみじみと呟くふう兄に、私は「そうなの?」と尋ねる。

「うん。俺もはるが結婚するってなったら『一度会わせてくれ』って言う自信があるもん」

 わあ、重い。そう言いかけて口をつぐんだ私、偉いぞ。まあ、ふう兄の幼馴染、暖弥さんは超インドア派で面倒な彼にずっと付き合ってくれている優しくて春みたいな人なので、ふう兄としても大事な幼馴染は心配になるのだろう。


「そういえばその幼馴染さん、綺麗な人だった?」

「ん? ああ、なんかすごくクールな人かと思いきやお茶目な人だったぞ。けどまあ、俺的にはやっぱりなつが一番かわいいな」

 サラリと飛び出てくる惚気に、スパーンと目の前のふう兄を叩きたくなってしまう。

 ついでにデレデレしないでくれ。私はいい歳した男の、しかも身内のデレデレしてる姿なんて見たくもない。が、まあ新婚だし……ととても優しい私は今日だけは見逃すことにした。

 ――うん、やっぱり今日の私、優しさのMVP。輝いてるわ。

 何回もツッコミたいのを我慢して口を閉じ、例えドン引きしようがスパーンとやりたくなろうが、仕方ないと諦め、しまいには慰めてやるなんて……!

 私、なんて偉いのでしょう……!!

 そこでんー、と唸っているふう兄に気付き、「どうしたの?」と訊けば、「あっ、そうそう!」と彼は何かに納得したように頷きながら立ち上がり、閉まっていたカーテンをバサッと開けた。

「ちょうどな、今みたいな真っ白な雪景色が似合う人だったよ」

 だからなつも『ゆきちゃん』って呼んでたのか〜とひとり、うんうん頷いている。

 雪が似合う人……と言われても、私の乏しい想像力では黒髪の人なのかな、赤リップが似合う人なのかな、くらいしか思いつかない。

「そういえば唯織、これ見てよ」

 うーん、と雪の似合う女性を考えていた私の眼前にて、なにやらゴソゴソとスマートフォンを取り出したふう兄が画面をグイッとこちらに押しつけるようにして掲げてくる。

 圧がすごい……と思いつつも覗き込めば、そこには、画面いっぱいに広がる青い海と、青い空。

 そして、上品なデザインの麦わら帽子と真っ白なシフォンのマキシ丈ワンピースを身に付け、こちらに向かって笑っている女性の姿が。

「見てよ、このなつの写真。これな、海に行った時の写真なんだけどな、白のワンピースとこの麦わら帽子が本当に似合っててさ、すごく可愛くて――」

 私は必死に堪えようとした。ここまで惚気が飛び出しても、新婚だから仕方ないなと思う事にして。

 しかし――

「もう惚気はいらねーー!!!! 私は身内のデレッデレの顔は見たく無いんじゃーー!!!!!!」

 とうとう堪えきれなかった私の叫び声が、「無いんじゃー! 無いんじゃー! 無いんじゃー!」と、家中に反響したのだった。

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