第4話 告白

 カルナコフさんは私をバイクの後ろに乗せて、海辺の古い遊園地に連れて行った。

「ハルカ。あれ乗ろうよ、あれ!」

 子どものようにはしゃいで、彼はしきりに絶叫マシンに乗りたがった。

 私は遊園地に来たのは初めてだったし、ジェットコースターに乗ったのも初めてだった。

 カルナコフさんはジェットコースターから降りるなり涙目をこすって言う。

「うう、酔ったよう……」

「だ、大丈夫ですか?」

 でも感慨に浸っている暇はないくらい、彼は次から次へと遊びに目を向ける。

 彼は拗ねたように頬をふくらませて前方を指さす。

「お腹すいた。あれ食べたい」

「あれですか?」

「買ってくる。ちょっと待ってて」

 彼は歩いて行って、すぐに手に二つパンらしきものを持って戻ってくる。

「はい」

 それは大きなパンで、真ん中にソーセージらしきものが挟まっている。

 私は湯気をたてるそれを、数秒間まじまじとみつめて言う。

「難しいですね。ナイフがないと、手では千切れそうにありません……」

「ん?」

 振り向くと、彼はもう半分ほどを食べ終わっていた。

「ナイフがどうかしたの?」

 どうやらそのままかじったらしく、カルナコフさんはもぐもぐと口を動かして不思議そうに私を見ている。

 私はそんな彼と手元のパンを見比べて、はっと気づく。

 意を決して口を直につけて食べる。

 それは今までに食べたことがない、実に大まかでおもいきりのよい味わいがした。

「ごちそうさまでした」

 紙包みを折り畳んで、ふとカルナコフさんを見やる。

「ついてますよ、カルナコフさん」

 彼の口の端にソースがついたままになっていた。私は懐から取り出したハンカチで、そっと彼の口を拭う。

 カルナコフさんは素直に拭かれてから言う。

「ありがと。でもね、ハルカ」

 カルナコフさんは手を伸ばして、私の口元を指先で拭う。

「これはこうやって拭うのが正式なの」

 私の口を拭った指をぺろっとなめて、彼はにっこり笑った。

 私が訳も分からず耳が熱くなるのを感じて立ち竦むと、カルナコフさんは顔を上げて別の方を指さす。

「ハルカー。僕、次はあれがいいー」

 懲りずにジェットコースターに乗りたがる彼だった。それで、また最初に戻る。

「……酔ったよう」

「食後にあんな激しい乗り物に乗るから……」

 またも降りるなりくらくらしているカルナコフさんに、私はたしなめるように言う。

「休憩しましょう」

「やだー。もっと乗るー」

「さっきもそれで具合が悪くなったじゃありませんか」

「今度は違うかもしれないじゃない」

 全然気にしていない様子で、カルナコフさんは周りを見回す。

「僕、あの落っこちるやつに乗りたい」

 やっぱり絶叫マシンを指さしてうきうきしている彼に、私はつい笑って言っていた。

「カルナコフさんはいつもこうなんですか?」

「こうって?」

「自分の好きなことを好きなだけしていらっしゃる」

「それ以外にどうやって過ごすのさ」

 それこそ一緒にいる私のことさえ考えず、ただ心のおもむくままに動いているように見える。

 カルナコフさんは当たり前のように言う。

「僕の人生なんだから僕の好きなようにして当然でしょ。あと、ハルカ」

「はい」

「僕のことはレオでいいよ」

 レオニード……レオと、私は口の中で呟いて、なんだか頬が赤くなった。

 下を向いた私に気づいてか気づかずか、彼はさらっと続ける。

「ん。じゃあ行こう」

 彼は私の手を取って歩き出そうとするので、私はびくりとする。カルナコフさんは足を止めた私を不思議そうに見る。

「なに?」

 男の人が体に触れたことなどほとんどない。私は私より高い体温と固い感触に戸惑いながら、おずおずと顔を上げる。

 レオは私の戸惑いがさっぱり理解できないといったようで、目を丸くして首を傾げていた。

 私ははにかみながら言う。

「いえ、参りましょう」

「そう? ハルカは不思議な子だね」

 一応私を見下ろしたものの、レオはすぐに絶叫マシンの方に駆けだした。

 一通りジェットコースターの系統を乗り終えたら少し満足したらしく、レオは室内に入る。

「来たことある? ゲームセンター。僕好きなんだ」

 大音響の中大きなテレビ状のものがたくさん置いてある部屋の中を、レオはやはり楽しそうにうろうろする。

「あ、シューティングやろうよ。ほら、ハルカも」

「私は初めてですが、どのようにすればよろしいのでしょう?」

「的を狙ってこのボタンを押すの」

 説明してもらってから、私はレオと一緒にシューティングゲームというものを体験する。

「わっ。ちょっと、ハルカ強くない?」

 初めてのゲームは興味深かった。すぐに終わってしまったのが残念なくらいだった。

「ぶー。これゲームおかしいよ。これじゃ急所外れてて、一発で死なないのに」

 私に負けたのが気に食わないようで、レオはぶすっとしながら機械を置いた。

 それからレオは目に留まったゲームを次々とプレイしていった。

 私は自分も参加しながら、子どものように目を輝かせている彼を横でみつめていた。

 彼は私がここにいてもいなくても楽しそうに遊ぶのだろう。私の願いを聞くと言いながら、彼は私のご機嫌を取ることすらせず自分のことを一番に考えている。

 けれどその姿は限りなく自由で、屈託がなくて、いつまでもみつめていたいと思った。

「あ」

 ふいに私は大きな透明の箱の中に、たくさんの白いクマのぬいぐるみが積まれているのを見た。

「こんなにたくさん……これもゲームなのですか?」

「うん。やってみれば?」

 レオはコインを入れてくれたので、私はクレーンでぬいぐるみを取ろうとする。

 けれど私の拙い操作では、すぐにクレーンからぬいぐるみを取り落としてしまった。

 レオは一歩私に近づいて、私の後ろから屈みこむ。

「残念。これは初心者には難しいからね」

 真後ろから抱きかかえられるようにされて、私は意外とレオの背が高いことに気付いた。

 幼い言動や中性的な容姿から少年のように思っていたけど、彼は私より頭二つ分くらいは高かった。

 レオはコインを一つ投入口に滑り込ませて言う。

「どれがいいの?」

 耳元で聞くと、声も到底女性には聞き違えることのない低音を帯びていた。

 私は全身が神経になったような心地がしながらも、そっとぬいぐるみの山の中から一つのクマを指さす。

 レオはクレーンを操作するボタンを押しながら言った。

「ピンクのリボンの子ね。了解」

 私はぬいぐるみの山にあるクマをみつめながら、幼い頃のことを思い出していた。

――こんなもので遊ぶんじゃない。

 確か私が五歳くらいだっただろうか。母が亡くなり、父のいる今の本家に引き取られて間もない頃だ。

 父は、私が何をするにも抱きしめて離さなかったぼろぼろのぬいぐるみを奪って捨てさせた。

 それは何もかも知らない所に連れてこられた私にとって、ほとんど初対面である父より肉親に近かった。だからずいぶん泣いた記憶がある。

 あれは今となっては顔も思い出せないけれど、白くてリボンのついたクマのぬいぐるみだった。

「はい、あげる」

 記憶の中のクマと目の前に差し出されたクマが重なって、私は呼吸を止める。

 レオは硬直した私を見て、困った声を上げる。

「あれ? これじゃなかった?」

 それを引っ込めようとしたレオに、私は首を横に振る。

「いいえ、これでいいんです」

 あの時のぬいぐるみとは違う。けれど私は両手を差しのべてクマを抱きしめていた。

「レオ、ありがとう!」

 私は体の内側から湧きあがってくる感情のまま、小さな子どもの頃のように笑っていた。

 レオはそんな私を見て表情を消す。

 ふっと彼との距離が近くなった。唇に私以外の体温を感じた。

「……おかしいな」

 キスをして顔を上げたレオは、とても難しい顔をしていた。

「僕、女の子には興味ないはずなんだけど。なんで今キスしたんだろ」

 本気で理解しがたいといったように、レオは渋い顔を作る。

「ハルカはきれいだと思うけど、女の子なのに」

 私は口もとに残る優しい感触に身動きも取れなかった。

 けれど、やがて手を伸ばしてレオの頬に触れながら言う。

「……私は、あなたのことが好きです」

 騒々しいほどのゲームセンターで、私は想いを告げる。

 レオは苦笑して言い返す。

「ぬいぐるみとホットドッグしかくれないような男が?」

「はい」

 たぶんレオは私のことを友達くらいにしか思っていない。

 けれど、レオに影響されたのだろうか。自分が好きという気持ちの方が大きくて、レオから想いを返してもらうことなどどうでも良かった。

 私はレオを見上げながら言う。

「好きですから、あなたのことを傷つけたくないんです。たぶん今頃兄が私を探させてるはずです。これ以上私と一緒にいてはいけません」

「僕は君と過ごすのは楽しいよ。君は楽しくないの?」

 私は首を横に振る。

「いいえ、とても楽しかった。でもこれで帰ります。ありがとうございました」

 レオは碧色の目で私を見下ろして、一息分だけ迷ったようだった。

 ふうんと言って、レオは踵を返す。

「……わかった。送るよ」

 彼は気まぐれな猫のように、私の手を取って先に歩いて行った。

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