第5話 喧嘩

 帰りの道中、バイクの後部座席で私はレオを見上げていた。

 ヘルメットの下で風に銀髪が揺れる。水晶みたいな色の髪だと思う。

 けれど腰につかまっていると確かな人間の体温を感じる。服越しに、女の私の体とは違う、張りのある筋肉の感触がある。

 夕暮れの赤い日差しを頬に受けながら、私は目を細めた。

 レオはわがままだし、基本的に自分のことしか考えないみたいだし、私のことが好きなわけでもない。

 でも私にぬいぐるみをくれた。パンを買ってくれた。これだけだとまるで物に惹かれたようだけど、私はこんなに嬉しかったのは初めてだ。

 ……だって、好きな人がくれたものなのだから。

 ぎゅっと、落とさないように一生懸命ぬいぐるみを抱きしめる。

 ふいにバイクに並走してきた車の窓が開いた。

「そこのバイク、止まれ!」

 私は周りを見回す。いつの間にか五台ほどの車に囲まれていた。

 レオはヘルメットの下でぼそりとつぶやく。

「帰すところなのにな。せっかちな人たち」

 レオはカーブを曲がるとブレーキをかけて、バイクを止めた。

 山間の道で、背後には海が見えた。

 一斉に車から筋の者と思われる人たちが降りて来て取り囲まれる。

 レオは私の頭からヘルメットを外して投げると、私の腰の後ろから腕を回して立った。

「ちょっとがまんしてね、ハルカ」

 彼はもう片方の手で私の頭に固い何かを押し付ける。

「動かないで。お嬢様の頭が吹き飛ぶよ」

 男たちは息を呑んだが、すぐに叫んだ。

「ハッタリだ! びびるんじゃねぇ!」

 彼らはいきりたって詰め寄ろうとしたが、彼らの背後から怒声が響く。

「馬鹿者、動くな!」

 気迫だけで鳥が落ちるような、低音の声には覚えがあった。

 びくりと動きを止めた男たちの中で、車から降りた影があった。

 レオは彼の姿をみとめると、投げるように言葉を放つ。

「君がボスだね? 武器を捨ててこっちまで歩いてきな」

 そこに立っていたのは兄だった。兄は私をちらと見て、懐からナイフと拳銃を落としてみせた。

 兄は射るような目でレオをにらみながら、ゆっくりと近づいてくる。

 兄が私たちまであと数歩のところまで近づいて、レオが言った。

「止まって」

 レオの言葉通り兄は立ち止まって、低く問いかける。

「要求は?」

 レオは無造作に投げ返すように言う。

「僕を安全に逃がしてくれること。そうしたらハルカは帰す」

「わかった」

 レオは私の耳に口を寄せて、私にだけ聞こえる声で告げた。

「ハルカ。一度しか言わないよ」

 彼は声を低めて電話番号らしき数字を告げた。

「今度は君が僕を呼んで。……じゃあね」

 レオは私の頬にキスすると、私を解放するなり後ろに跳んだ。

 レオは軽々とガードレールを飛び越す。慌てて駆け寄って私が覗き込むと、彼は道路下に停まっている車の助手席に収まっていた。

 男たちが慌ただしく動き、ガードレール越しにそれを見下ろして叫ぶ。

「逃げるぞ、追え!」

 疾走する車を追おうとする家の者たちを見て、私は兄に振り向く。

「にいさま、追わないでください! そういう約束ではありませんか」

 兄は無言で私の手を引いて歩かせた。

 兄は私を黒い車の後ろに乗せて、自分も後から乗り込む。私は苛立ってもう一度言った。

「にいさま! 聞いていらっしゃいますか?」

 運転席との仕切りが上がって外部から見えないようになった途端、兄は私を抱きしめた。

「……怪我はないか」

 押し殺した声で言われて、私は思わず言葉につまる。

「はい」

「そうか、ならいい……」

 兄は深いため息をついて、私の髪を撫でる。

 車が発進しても、長い間、彼は大切そうに私を抱いたままだった。服ごしに、どくどくと速い鼓動が聞こえていた。

 私は兄に心配をかけたことに、ずきりと胸が痛みながらも言う。

「にいさま、私が勝手に抜けだしたの。家の人たちを責めたりしないで」

「遥花が言うなら」

 兄は心配そうに私の顔を覗き込む。

「怖い思いをしただろうな。かわいそうに。もう大丈夫だ」

 そんなことはなかったと、私は首を横に振ろうとした。

 そのとき、兄は私が抱いていた白いクマのぬいぐるみに気づいたようだった。

「なんだこれは」

 兄は白いクマのぬいぐるみを取り上げて言う。

「遥花に何てものを。……おい、処理してこい」

 助手席の人に声を投げた兄に、私は慌てて声を上げる。

「捨てちゃだめ!」

「いけない、遥花。何が入っているかわかったものじゃない」

「にいさまも父様と同じことをするの!?」

 私は詳しく話したわけではないのに、兄は私が何を言おうとしているのか察したようだった。

 兄は首を横に振ってなだめるように言う。

「兄は父とは違う。遥花、どんなぬいぐるみが欲しい? いくらでも手に入れてあげよう」 

「これがいいの!」

 私は兄の手からぬいぐるみを奪い返して、守るようにして抱きこむ。

 子どものように意固地になる私を、兄は困ったように見下ろす。

 兄はまたため息をついて、シートに片手をついて言った。

「遥花、今の生活は窮屈か?」

 そっと私の目を覗き込んで、兄は優しく訊ねる。

「落ち着かないなら遥花だけの家を用意する。別荘でも何でも建てよう」

 私は今の生活に不満があるわけじゃない。だからきつく首を横に振ったのに、兄はなお続ける。

「だから勝手に抜け出すようなことは……」

「いやっ。にいさまなんて嫌い!」

 私はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、兄から顔を背けた。

 それから私は兄が何を言っても、口を引き結んで答えを拒絶していた。

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