夫婦喧嘩は犬も食わない <王視点>



 アクアオーラに会いに行っていたシオネが持ち帰って来た話に、久しぶりに妻の顔に笑みが戻った。

 エリレアの結婚式には出席すると言っていたと聞いて安堵したのだろう。

 結婚の際に渡すつもりだった首飾りを着けた姿を見せてくれると知って嬉しそうだ。

 とはいえ私に対する当たりが弱くなったわけではないが。






「本当に良かったわ。

 王宮を飛び出していったと聞いた時はどうなることかと思ったけれど、無事も確認できたしアイオルドとも睦まじくやっているようよ」


「そうか、本当に不都合はないのか?」


 私の確認に妻から冷たい視線が飛んだ。

 違う。本当に確認のつもりだけで、粗探しをしようとしたわけじゃない。

 しかし信用ならないようで私から視線を外して答える。もう顔も見たくないということだろうか。


「別に文句を付けようとしているんじゃない。

 急なことだったからまだ行き届いていないことがあるんじゃないかと思ったまでだ」


「アクアオーラと過ごすための屋敷まで準備していたようですから不足はないでしょう。

 むしろあの子が過ごしやすいことを中心に考えて整えてあって、準備の良さに驚いたと言っていましたから」


 すでに屋敷まで用意していたことになんとなく言いようのないもやっとした気持ちが湧く。

 アイオルドあいつは子供の頃からそうだった。アクアオーラと婚約したいと言ったときも自分と婚約することの利点を澱みなく上げて婚約者の地位をもぎ取った。

 黄大臣仕込みの交渉術なのか如才ないのが面白くない。


「全くアクアオーラは何故アイオルドに固執するんだ。

 他の子息だってアイオルドに負けず劣らずだというのに」


 何人かの子息はアクアオーラと会ったようだが逃げられた家の者がまだ煩い。

 私のぼやきに妻が呆れたような声音になる。


「屋敷まで準備してアクアオーラを迎えたことが答えではないですか?

 あの子の体質を十分に考慮して用意をしていたくらいですもの。

 アイオルドの下ではあの子は自由にいられるのでしょう」


 アイオルドほどあの子の体質を理解して寄り添ってくれる相手はいないでしょうね、と遠慮なく告げられる。

 アクアオーラが言っていた言葉を思い出すと胸が石を呑んだように重くなった。


『私がいなくなればこれまで通りに上手くいきます』


 あんなことを言わせてしまうほど不自由をさせていたのだろうかと、あれから何度も自問した。

 不自由をさせてきたつもりはなかった。身体の問題から他の娘と同じようにではなくても十分な環境を用意し、愛情を示してきたはずだった。

 しかし、自分がいなくなれば今まで通り上手くいくとアクアオーラは言った。

 自分が王宮に、家族の下にいないことが自然であるかのように。


「あの子が小さい頃、まだ北の棟に移る前……。

 エリレアやシオネと一緒に勉強をしたり楽の練習をしていたりしてもアクアオーラだけがすぐに体調を崩していたわね。

 大人しく本を読んでいたはずなのに熱を出したりして、いつ儚くなるんじゃないかと気が気ではなくて……。

 だからアイオルドくらい気を遣ってくれると安心だわ」


 妻が昔の話を語る。

 そんな状態だったからアクアオーラの婿探しは難航すると思っていたのだ。

 それがアイオルドが手を上げたことでエリレアやシオネよりも早くにアクアオーラの婚約が決まった。


「だからといって飛び出すほど王宮が嫌だったのか……?」


 呟いた弱音に妻がぱちりと目を瞬く。

 ふ、と吐息で笑われたような気配がした。


「そういうことではないと思いますよ。

 アイオルドと共にいたかった、それだけのことでしょう」


 柔らかな声音は久しく聞いていなかったもの。

 態度の軟化に反応すると「それを強引に別の人と添わせようとするから」とちくりと刺してくる。

 慰めようとしてくれたのではないのか。


「お前はどうなのだ?

 お前だってアクアオーラが他の者と顔合わせをすることを望んでいただろう」


 私のように大臣たちから要望を受けたということでもないだろうに、王妃も他の子息と会うことを勧めていた。


「私はただアクアオーラにも選択肢を持ってほしかっただけよ。

 アイオルドがいい子なのは知っているわよ?

 アクアオーラが倒れた後のこともあるしあの子に誠実に接してくれると思ったから私も婚約に反対はしなかったもの。

 けれどアイオルドしか知らないから彼を受け入れるのと、他の人を知った上でアイオルドを選ぶのは違うわ。

 他の人を見て、その結果アイオルドが良いのならそれでも良かったのよ」


 これまでは体質などのせいで選択肢がなかったけれど、祝福をいただいたことで選ぶことができるようになったからと語る妻。

 同調するようなことを言っていたから妻も同じ気持ちだと思っていたのに全く違うことを考えていたらしい。

 独りよがりだったと突き付けられた気分だ。


「私だって別にアイオルドでは駄目だと思っているわけではない。

 ただ今回のことでアクアオーラが祝福を得たことに注目が集まっただろう。

 これまではアクアオーラが王族に残ることに良い顔をしなかった者も手の平を返してアクアオーラを王宮に留めるべきだという程だ。

 領地で暮らすと決めているアイオルドより王宮に残れる他の者の方が良いとな」


 私もそう思った。

 罪悪感から大切にしているアイオルドよりも他の者の方がまっさらな気持ちでアクアオーラを大切にしてくれるのではないかと思ったし、負の気持ちが前提にある関係は夫婦生活が長くなればなるほどいつか影を落とすと思ったからだ。

 王宮に留まれる結婚であればいつも見ていられるのでそんな心配はしなくていい。

 かの領地は遠すぎる。私の目の届かないところでもアイオルドがアクアオーラを大事にしてくれるのか確信が持てなかった。


「どうしてもアイオルドが良いのなら説得して王宮に残ることを選ぶと思ったのにな」


 誤算だった。

 王宮にいたくないと言われるとは思わなかった。

 発した言葉は知らず沈んだ声になる。


「私は良くない父親だっただろうか?」


 隣に座った妻が私の肩に手を乗せる。

 労わるような優しい手つきに情けなさがこみ上げる。


「泣かないでくださいな」


「……泣いてはいない」


 王がこんなことで泣くわけにはいかない。

 父親として胸が痛いのは事実だが。


「あら、じゃあ風邪でも引いたのかしらね」


 目が赤いわよと胸に抱き寄せる妻の笑い声に目を閉じる。

 弱っている時、いつもこうして慰めてくれる妻の優しさに甘えてばかりだ。情けない。


「……すまなかった」


「いいえ、私も言い過ぎましたし、アクアオーラときちんと話をしなかったのは私の落ち度です。

 あなたに全部押し付けるような言い方をしてごめんなさい」


 腰に手を回すと背中を優しくさすられる。


「アクアオーラは私を嫌っただろうか……」


 娘に嫌われることは遠くに嫁に行かれることよりも遥かに辛い。

 ふっと息を漏らして笑う音が聞こえた。


「何故笑う」


「いいえ、聞いてみれば良いではないですか」


 手紙でも書いて、という妻に首を振る。

 そんな手紙を書く勇気はない。嫌いです、許しませんなんて手紙が来たら立ち直れる気がしない。

 私の弱音を聞いてますます可笑しそうな声になる妻にぐりぐりと頭を押し付けて手紙を書くことを拒否する。


「ではエリレアとシオネの結婚式に向けた準備を頑張ってくださいな。

 アクアオーラは二人の結婚式には来ますから、そのときに顔を合わせて話をすれば良いのですよ」


 妻が聞いてくれれば良いのではないかと思ったがそこまでは甘やかしてくれないらしい。

 あくまで自分で話をするべきだと。

 全くその通りなので反論できない。


「……わかった」


 エリレアとシオネもお互い伴侶とする者を決めて結婚の日取りを決めたいと口にするようになった。

 いよいよ娘たちが嫁ぐその日が近づいているのだと思うととても寂しいが二人は遠くへ行くわけではない。



 寂しさに蓋をして了承を口にする。

 最高に華やかで美しい花嫁にしてやろう。

 それくらいしかできないのだ。

 気持ちを切り替えて顔を上げると妻の釣り上げた口元が目に入る。


「もしかしたらその時には孫の顔が見れるかもしれませんね?」


「……!」


 楽しそうに笑う妻が私をからかっているのだと理解していても衝撃は大きかった。

 もう一度妻の胸に顔を埋めて頭を押し付ける。

 考えたくない。

 嫌だ。

 そう思うが実際そうなったら多分嬉しい。

 が、まだ考えたくない。


 複雑な思いを抱えた私を妻は機嫌良さそうに撫でていた。

 どうやら機嫌は直ったらしい。

 髪に落とされたキスの感触に夫婦喧嘩の終わりを悟る。

 敵わない。

 共に寝台に寝転び妻の細い手首に愛しさを込めてくちづける。

 嬉しそうに笑みを浮かべる妻にはきっとこの先も弱いままだろう。

 それも幸せだと口元が綻ぶのは、妻がそうした笑みを浮かべるのが私にだけだと知っているから。


 愛娘たちの結婚式の日きっと私は泣いてしまうだろう。

 この幸せを奪おうとした申し訳なさと、その幸せを得られる相手と娘たちが結ばれる幸運に。

 そしてそれを気づかせてくれた妻への愛しさで。

 その日を思い、妻の美しく流れる赤い髪にくちづけを落とし目を閉じるのだった。



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