番外編

のろけとは



『シオネへ


 この間はありがとう、あなたのおかげで気持ちが軽くなったわ。

 みんなのことを聞かせてくれてよかった。

 感謝しています』



 そんな書き出しで筆が止まってしまう。

 のろけを書いて送ってとシオネは言っていたけれど難しい。

 エリレアやシオネたちが上手くいってほしい気持ちはあるけれど……。

 夜にだけくれるキスのことや眠るまで愛おしさを囁き合う幸せは恥ずかしくてとても書けないわ。


 悩んでいるとアイオルドがどうしたのと問いかけてくる。

 正直にシオネに書く手紙の内容に困っていると答える。のろけを書いて送るよう言われたことはアイオルドにも伝えているので良いアドバイスがあればと期待の目を向ける。


「そんなに悩むことないと思うけど。

 こっちに来てからしたこととかを書けばいいんじゃないかな」


「そうかしら……?」


 特に変わったことはしていないと思うのだけれど。

 シオネが望む内容とは違うんじゃないかしら。


「ほら、大切な人との関係に悩んでいるときに何気ないことでも幸せそうにしている人を見ると羨ましく感じたり惚気のように聞こえたりするものかもしれないし」


 アイオルドの話を聞いてそうかもしれないと思った。

 それに元々は近況報告を送ってという話だったのだからそれでいいのかもしれない。

 読んだ人によってはのろけでも何でもないとしてもアクアオーラたちが幸せに暮らしていることがわかれば十分。

 気持ちを切り替えて筆を進める。


 こちらでしたことはたくさんある。

 初めて外を歩いたり、町で買い物をしたり、この前は食堂で食事もした。

 もちろん太陽の光には気を付けないといけないのでベールは欠かせないけれど曇りの日は心の赴くまま自由に町を散策することもできた。


 そういえば雨で出かけられなくてがっかりしていた日に一緒に傘を差して散歩に行ったこともあったわ。

 夏の雨とはいえ身体を冷やしてはいけないからと短い時間だったけれど、同じ傘の中はいつもより距離が近くて。

 雨の音に紛れるのか周囲が静かに感じられて、アイオルドと私しかいないような不思議な感覚になった。

 こちらに来てから見る物全てが新しくて楽しくて出かけてばかりいたけれど、アイオルドと一緒に過ごすことこそが幸せだって実感したのだったわ。

 次の雨の日には屋敷で一日を過ごした。ソファに隣り合ってお互いに思い思いのことをしていたけれど、肩を触れ合わせていただけで幸せな気持ちになった。

 それに、アイオルドが……。


 手紙を綴っていた視界の端を動く指に顔を上げる。


「『以前と違って帰らなければいけない時間を気にせずに一緒にいられるのがとても幸せだよ』」


「アイオルド……」


 丁度思い返していた雨の日の呟きと同じ言葉を告げられて胸が甘苦しく締め付けられる。


「けれど手紙に君を取られてしまったみたいで寂しい。

 もっと俺にも構って?」


「……!」


 甘えるように覗き込まれて一瞬呼吸が止まる。

 きらりと輝く琥珀色の瞳がまるで懇願されているようでおかしな気分になってしまう。

 魅入られたように動けないアクアオーラの頬にキスを落としさらに願いを重ねる。


「キスをしてもいい……?」


 唇の側を掠めるように撫でる指に肌が粟立つ。


「キスは夜だけって……」


 頬や額には日中もキスをしてくれるけれど唇へのキスは夜の二人の部屋でだけ。

 そういう決まりだと思っていたのにと戸惑いの声を漏らす。

 うれしいけれど、恥ずかしい。

 戸惑いに混じった恥じらいと期待に、頬を緩めるアイオルドの微笑みがあんまりにも艶やかで。


「うん、俺が勝手に決めたんだけど。

 今したくなっちゃった、……ダメ?」


「……ダメなわけがないわ」


 否の言葉なんて言えるわけがなかった。

 瞳を閉じる前にキスが降ってくる。

 切実にアクアオーラを求める琥珀色の瞳が心に焼き付き、キスを落とす度にとろりと甘さを増す瞳に何も考えられなくなっていく。


 思考の端の端で書けないことが増えたわとよぎり、それもすぐにどこかへ追いやられて行った――。











 ◇ ◇ ◇




『……そんな風に楽しく暮らしています。

 だから心配しないで。



 ……アイオルドが構ってほしいと言うので、ここで筆を置きます』




 シオネ 「アクアオーラからとんでもない惚気の手紙が来たんだけど」


 ??? 「最後の『アイオルドが構ってほしいと言うので筆を置きます』ってすごい惚気文句だよねえ」



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