第16話 因果応報
四
今年の冬は暖冬だ。これはありがたい。都心なんかちょっと雪が降るだけで交通ダイヤが乱れるし、人々の動きも鈍くなる。新年早々雪に見舞われなかっただけで、今年はとても良い年になるとではないかと期待を抱かせるくらいだ。
三学期始まってすぐに行われる基礎力テストの準備を印刷室で行なっていた時、教頭から声がかかった。相談したいことがあると言う。
校長室に呼ばれ、入室すると学年主任の長谷川も同席していた。
「あ、廣田先生。こっちに座って。」
既に着席していた教頭に手招きされ、郁恵が着席したのを見計らって、校長が自席から立った。手には指導要録のコピーがあった。
「冬休み中は、バレーボールの部活も少なかったから、少しゆっくりできたでしょう。どこか旅行とかは行かなかったの?」
「はい。年末年始に主人と、温泉旅行に行った程度です。後はゆっくりと休むことができました。」
「そう。それはよかった。三学期は短いですが、中学二年生は上位の公立の高校なんか受ける子は、来年度の入試に向けての受験勉強スタート時期となりますからね。うちの学校も受験者が多いですから、また忙しくなると思いますから、体に気を付けて支えてあげて下さいね。で、ちょっとこれを見てくれるかな。」
校長は郁恵の目の前に、先ほど手に持っていた指導要録のコピーを置いた。
「転校生を受け入れることになったんですよ。三学期から。で、その生徒さんを廣田さんのクラスに入れたいなと思いましてね。ただ、ちょっと訳ありの生徒さんなんで、教頭さんと学年主任の長谷川さんにも入ってもらって情報共有を図りたいなと思いましてね、それで来てもらったんですよ。」
「訳ありと言うと?」
「この生徒さん、浮田和希さんって言うんですね。ちょっと要録見てもらっていいですか?」
校長の横から、教頭がすっと手を出し、郁恵に要録のコピーを近づけてきた。郁恵はコピーを手に取り、パラパラとめくった。
「何か、障害があるとかですか?」
「いやあね、障害があるとかなら、変な話、特別支援学級とか作ってさ、そこに入れときゃいいんですよ。二学期から臨時で講師とか雇ったりしてさ。成績は中の上ですよ。生徒指導上問題のある生徒ではないんですがね、あの、一枚目見てもらえる?」
郁恵は紙をパラパラ戻し表紙に目をやった。浮田和希、私立金沢南中学校から編入となっている。
「問題は親なんですよ。この子の保護者欄、見て。」
郁恵は指示された箇所を見た。名前部分のみが、やや太めの線で消されている。フェルトペンでも使用したのだろうか。その上から康臣と明記されていた。二重線で消された部分に集中をぶつける。心が音を立てて落ち着かなくなってきた。
私はこの名前を知っている。知っている。
ー浮田弘泰。そして、浮田和希。
「これは康臣さんと言うのは、和希さんの祖父の名前です。ちょっとマスコミで報道されたから、廣田さんも知っているかもしれませんけど、昨年ね、奥さんに殺害された人ですわ。奥さんは殺すつもりはなかったと供述していたけどね。この奥さんの判決が夏場に出てね、有罪だったんですよ。まぁ、この判決に不服とかで今、控訴していますけどね。家庭内に被害者と加害者がいるという悲惨な家庭環境の子でね、こっちに転校することになったのは、殺されたお父さん側の祖父と祖母が、この中学校の近くに住んでいましてね。引き取ることになったんですわ。」
郁恵は裁判員裁判で担当した事件の一切を誰にも話さなかった。話せるわけがない。『守秘義務がある』の一点張りで押し通してきた。今、ここで『実はこの子の親を裁いたのは私です』、『最後は私が中心となって彼女の母親に判決を出しました』と言ったら、この人事は変わるのだろうか。その前に言えない。言えないことがあの評議室で起こったのだから、まだ黙っていなければならない。第二審が終わるまでは。最終決着がつくまでは。
「廣田先生、実はもう彼女のおじいちゃんとおばあちゃん、そして娘さんが応接室に来られているんですよ。今、教科書や連絡帳などを彼女に渡しています。対応は事務員の長田さんがされています。担任に挨拶をしてもらいたいんですが、大丈夫ですかね。引き受けて下さいますね。」
「校長、彼女は希望をおっしゃっていなかったのでしょうか。例えば担任はこんな人がいいとか・・・・。」
「あぁ…。教頭さんあったかな?」
「まぁ、女性がいいくらいでしたかね。」
嘘だ。
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