第15話 崩れ行く正義

「では、全員、有罪にするべきであると考えている、と捉えてよろしいですね。

分かりました。では今から量刑を決めていきましょう。」

中学校公民科で使用する教科書、並びに学習指導要領には、模擬裁判の様子は掲載されているが、評議の様子はない。だから、どのように量刑を決めていったら良いのか郁恵は迷った。郁恵はまず自身の意見を述べることにした。

「先ほどの音声で皆さんにばれてしまいましたように、私は教師をしております。公立中学校の方で社会科の指導をしております。」

「だから、あんた詳しいのか。えらい、よう物知っているなぁって思っていたんだ。」

「一番さん、雑学だけです。大したことないです。中学三年生では公民科を指導しなければならず、もちろん裁判員制度も学習します。私は子どもたちに、教師としてではなく、一人の大人として、こういう罪を犯したらこういう罰を受けなければならないんだということも、しっかりと指導していかなければならないと考えています。今回の立花京香の起こした事件ですが、何度考えましても立花京香には殺意があったと思います。そして計画的犯行であったと確信しています。また立花の言動を見ておりましても、反省の弁もなく、DVを受けたように嘘を付き、友人を利用し、そして心神喪失状態であったように芝居し、裁判を攪乱させたと私は捉えています。そして、夫を殺しただけでなく、娘さんから大事なお父さんを奪いました。子どもさんはショックで声まで失ってしまいました。この罪はとても大きいと思っています。私は検察庁の求刑よりも重くしてよいかと思っています。無期懲役でも良いのではないでしょうか。」

「無期懲役だなんて。三番さん。過去の判例を見ましても、このような事例の場合、無期懲役になったことはありませんよ。」

裁判長が慌てて郁恵の勢いを止めようと出たが、逆に応援者が現れた。

「裁判長。そもそも裁判員制度は、国民の司法参加により、市民が持つ日常の感覚や常識と言ったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進と、その信頼の向上をはかることを目的としてスタートしたんでしたよね。この国民感覚を端から入れるつもりがないのなら、これらの事件の裁判を裁判員裁判にしたらいけないんです。プロの裁判官で裁けばいいんです。過去の判例を利用して、従来通りの判決を出したらいいんです。でもそれじゃ、国民感覚と外れてくると思ったから、この制度がスタートしたんでしたよね。まぁ、僕のような頭の弱い人間が言っても説得力がないか。この情報合っていますか。向井裁判官、小島裁判官。」

向井裁判官、小島裁判官は既に、六人の裁判官に脅されているような状態になっており、何の反応も見られなかった。その様子を見た萩原裁判長も、口を閉ざした。

「私たちがまず忘れてはならないのは、一人の命が失われた、と言う事実です。確かに、裁判においては冤罪をなくすために、『疑わしきは被告人の利益に』という言葉が尊重される傾向がありますが、もし、浮田弘泰さんがDVをしていなかったとしたら?と考えたことはありますか?無実の罪で、奥さんに殺されていたら?と考えたことはありますか?皆さん、私は亡くなった浮田弘泰さんにも、これから出す判決を納得してもらいたいと思っています。有罪になっても、例えこれからの話し合いで、無罪になっても。」

先ほどまで、ものすごい形相で二人の裁判官を睨みつけていた、二番裁判員が手を挙げてきた。

「はい、二番さん。どうぞ」

「極端な話、ここで死刑判決を出しても第二審で覆すんでしょ。あたし、昨日ネットで調べたんですよ。昨日の話し合いが難しくてね。これはちょっと勉強しなきゃなと思ったのよ。びっくりしたのは、わざわざ税金使って、第一審で裁判員裁判を行なって、死刑判決出してもね、松戸女子大生殺害放火事件、長野市一家三人殺害事件、南青山妻子殺人服役後男性殺害事件とか控訴されて、覆っちゃっているんですよ。うちらが一生懸命議論しても無駄になる、税金の無駄になることだってあるんですよね。」

「全ての事件で覆っているわけではありません。新たな証拠が出てきて、覆ったものもありますし……。」

「あのね、裁判長。だったら、最初から素人入れないで、プロでやりゃいいんですよ。こっちの判決、意見に不服なら。覆すならばね。大体、不透明な状態で公判前整理手続やっておいて、都合の良い争点だけ私たちに見せて、ハイ判決出して下さいね!って言う形に無理があるんですよ。だからこの制度はパフォーマンスだって、いつまでたってもマスコミに揶揄されるんですよ。この女、更生しますかね。DV受けたと嘘ついて、精神異常者の芝居をして裁判攪乱してさ。こんな殺し方する女、近所にいたら怖いですもん、今回、懲役二十年程度にして、刑務所から出てきて、再犯起こしてから、やはり死刑にしておけばよかったって思っても遅いんですからね。あんたの奥さん、刺されても知らないよ。」

五番裁判員の発言後、誰も立花京香の減刑を求める発言をした人間はいなかった。裁判官に対する不信感、怒りを全て立花京香にぶつけたような形になってしまった。そして、郁恵が意見した無期懲役の判決に決まった。

「このような事件で、無期懲役になった事例はなく…」

「だったら、第二審で無罪にしたらいいやん。被告人も控訴するかもしれんのやろ。納得いかんのなら、控訴審で無罪でも出してやったらいい。その代わり、そんな判決出したとき、六番さんが持っている音声がマスコミに流れても知らんよ。六番さん、大事に持っときや。」

「大丈夫です。一番さん。もうパソコンに取り込んであります。」


 萩原裁判長は午後から行われた判決において、六人の裁判官が決めた通り、立花京香に対し、無期懲役を言い渡した。検察の求刑より厳罰であったため主文は後回しにされ、判決文から読み上げられた。郁恵の指摘が判決文にたくさん盛り込まれており、DVに関する虚言、精神異常者の芝居など指摘された時、立花京香は狼狽し、その場に崩れ落ちた。郁恵はその姿を目に焼き付けるように見つめていた。


(美咲、母さん、あんたの敵とったよ。美咲、母さん、頑張ったよ。)


立花京香が即日控訴したと聞いたのは、自宅に帰ってきて、夕方のテレビを付けた時だった。

郁恵は裁判員バッチをごみ箱に投げ入れた。


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