第10話 梨音の部屋
俺は詩織と一緒に電車で帰る途中、梨音の悲し気な笑顔、俺を振って去っていく時に見せた笑顔だ。
つい俺は詩織に断った後、急いで梨音のマンションのある駅に降りた。そして彼女の後姿を追った。
後姿でも十分に分かる元カノ。腰まである髪の毛が綺麗に切りそろえられ艶やかな黒髪が後ろから見ていても惹かれてしまう。
俺は、彼女が自分の住んでいるマンションの前で
「柚希来る?」
と言われた時、何も考えないままに頷いてしまった。そして彼女がマンションのドアを開けると振返って俺を見た。
俺はどうするつもりなんだ。今更こいつの部屋に行ったからって何になる訳でもない。さっきまで顔を見るのも嫌だったのに、あの笑顔で半年以上前の事がフラッシュバックの様に蘇ってしまった。心臓がバクバクしている。彼女に聞こえるんじゃないかと思う位に。
「柚希入ろ」
分からない。体が勝手に彼女の後を追った。中ドアを再度通り、エレベータのボタンの上に有る非接触型のボードに彼女はカードを晒すとドアが開いた。
既に行先階の番号は付いている。二十一階、このマンションの最上階だ。それ以上の階はない。
エレベータを降りて、左に曲がるとドアの前で更に非接触型のボードにカードを掲げた。
ガチャ、
少しして
ガチャ。
「一回目で無理して開けようとすると警報が鳴る様になっているの。柚希も覚えておいてね」
どういうつもりで言っているんだ。
梨音がドアを開けると大理石の大きな玄関がある。
「上がって」
言われた通りにして更に廊下を歩くとそのままリビングに入った。天井が凄く高い。窓にはカーテンが掛かっていた。
「柚希」
「…………」
梨音が制服を脱ぎ始めた。こんな所で脱ぐとは、こんな子じゃなかったのに。俺は制服だけを脱ぐと思っていた。…が。
「梨音、何する気だ」
「見て!」
俺は思い切り顔を背けて目を閉じた。衣擦れの音が止まらない。
「どういうつもりだ?」
「柚希見て。私に新しい彼氏なんかいなかった事を信じさせるにはこれしかない。私の体を知っているのはあなただけ。見て柚希」
梨音が強引に俺に体を寄せて来た。
「見たからって分からないだろう」
「だったら、だったら抱いて。そうすればあなたしか知らないこの体があなたに教える」
梨音と最後に関係を持ったのはもう半年以上も前の話だ。見たからって、抱いたからって分かる訳は何だろうに。
「柚希、目を開けて。ちゃんと見て!こうでもしないと柚希に信じて貰えない。お願い見て」
涙声になっていた。俺はゆっくりと目を開けると少しだけ彼女は俺から体を離した。
「っ!」
半年ぶりとは言え、とても綺麗な姿がそこに有った。綺麗な顔に涙が流れている。
何度か触れ合った時の姿がそのまま有った。ここまでして…しかし、何を信用すればいいんだ。
俺は嫌でも入って来る彼女の姿を見ながら涙で濡れている顔をじっと見た。
「柚希、来て」
俺の手を取ると隣の部屋に連れて行かれた。とても大きな寝室だ。彼女はそこに体を預けると
「柚希、私だって思い切り恥ずかしいよ。でもこうでもしなければ信用してくれないでしょ。全部見て。あなた以外知らないって分かるから」
ここまでして俺と元の関係に戻ろうというのか。俺は梨音に対して心が覚めてしまっている。
無理だ。ここで彼女を抱いても何も変わらない。
「梨音、分かった洋服を着てくれ」
「えっ、私を信じてくれるの?」
「今の俺に利音が言っている事が本当かどうかなんて分からない。でもここまでするお前の言葉を信用するよ」
「じゃあ、私また柚希の彼女に戻れるの?」
「それは無い。梨音への愛情は冷めきってしまっている。だけどこれからは普通に接する事にはするよ」
「そんな…」
「梨音、もう洋服を着てくれ。風邪を引かれても困る」
俺が寝室を出ようとすると後ろから腕を掴まれて、強引にキスをしようとしてきた。流石に顔を逸らせてそれを避けると
「止めろ、そんな事しても俺は変わらない」
俺の体に思い切り抱き着いて来た。
「ごめんなさい。もしかしたら私を抱いて貰えたら元に戻るかと思ったの。…柚希お願いが有る」
「なんだ?」
「私があなたの傍に居ても嫌な顔したり避ける様な事しないで」
「分かった」
「それと…友達からもう一度始められないかな?」
「…いいよ」
あれほど嫌っていたのに、なんで。俺はやっぱり心が弱いのかな。でも返事をしてしまった。まだ本当は心の底にこいつへの気持ちが残っているというのか。
俺は、彼女が私服に着替えるのを待ってから部屋を出た。出るのもカードキーが無いと駄目らしい。梨音の両親が娘を一人暮らしさせる為に選んだマンションなのだろう。
マンションの入口で
「駅まで送る。道分からないでしょ」
「ああ」
来る時は分からなかったが、駅まで五分程だった。駅で別れ際に
「柚希、今度遊びに来て。お昼一緒に食べたい」
「…………」
俺は返事をしないで改札に入った。梨音と付き合っていた時は彼女が作ってくれた昼食を二人で食べた。あの時の事を言っているんだろう。でもそれだけじゃ済まない。だから行く事は出来ない。
私、神崎梨音。今日帰りの電車で柚希と別れてまた一人きりのマンションに帰るのだと思うととても寂しかった。
ホームを歩いていると彼が近寄って来るのが分かった。何故だか分からない。でもマンションの側まで着いて来てくれた。
突然だけど、もし部屋まで来てくれるなら、全てを曝け出して彼に見て貰おうと思った。あなただけしか知らない、新しい彼氏なんかいなかったって。
彼の前で制服を脱ぐのは恥ずかしかったけど、目を閉じていてくれたおかげで脱ぎやすかった。
後は、無我夢中だった。彼が私を見ていてくれる。ならばと思い寝室に引っ張って行った。
でも流石に抱いては貰えなかった。もし抱いてくれたら分かって貰えたかもしれないのだけど。
キスも出来なかった。だけど、明日から友達なら良いと言ってくれた。これで日本に帰って来た目的が少し叶った。後は…。彼は誰にも渡さない。
俺は家に帰った後、消化しきれない頭の中を整理しようと風呂に入り終わった後、ベッドの上で天井を見ていると
ブルル。ブルル。
スマホが鳴った。画面を見ると上坂先輩だ。そう言えば明日会う約束をしていたが、何も決めていなかった。
『はい、山神です』
『柚希、私』
『私とはどなたでしょうか。いたずら電話なら切りますけど』
『柚希の意地悪。瞳よ。明日の事なんだけど。デパートのある駅に午前十時で良いかな』
デパートのある駅は俺の家のある駅から八つ先だ。まあ三十分位で行けるだろう。
『いいですよ』
『ありがとう。じゃあ何処に行くかはその時に決めようか』
これってデート?なんで?
『あのこれって…』
『どうかしたの?休みの日は会ってくれるって約束でしょ』
約束はしたけれど、なんかニュアンスが違うんだが。ここで断っても仕方ないか。
『分かりました』
『なんか間が有ったけど…まあいいわ、じゃあ明日ね楽しみにしている』
柚希と初めてのデートだ。あれ、でも?まあいいか。あの子なら。
―――――
女性ってやっぱり怖いですね。
次回をお楽しみに
面白そうとか、次も読みたいなと思いましたら、ぜひご評価頂けると投稿意欲が沸きます。
感想や、誤字脱字のご指摘待っています。
宜しくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます