将軍のスレイプニル 9

 ガルフォード、リンと共に大迷宮に入って、既に三日。

 間断とした睡眠を時々摂りながら、ソラはひたすらにその場で待機していた。アレスとベルガには常に臨戦態勢を整えさせ、そこに指示を飛ばす自分は決して油断しないようにと。

 勿論、アレスにもベルガにも基本的な動きは叩き込んである。どういう状態になったらどう動く――そんな大まかな目安も、当然ある。

 だが、かといって完全にソラの考える通りに動くというわけでもないのだ。そして、どうしても個々で連携する必要がある場合、ソラが指示を飛ばすのが役目である。


「ふぅ……」


 三日。

 それも、ソラの長きにわたる大迷宮に挑戦した日々――そこからくる推定に過ぎない。光源は焚き火一つであり、昼も夜もない大迷宮という空間において、時間を正確に知ることは困難なのだ。だからどうしても、自身の感覚だけが頼りとなる。


「ソラ殿……随分と、お疲れに見えますが」


「……まぁ、少し疲れはしましたけど、いつものことですよ。それより、ガルフォードさんは大丈夫ですか?」


 溜息を吐いたソラへ向けて、気遣いの声をかけてくれるガルフォード。

 そんなガルフォードの顔も、疲労の色が濃い。していることといえば、腹が減ったら干し肉を囓って腹を満たし、尿意をもよおしたら少し離れた位置で済ます――それくらいだ。

 だが、ソラの言葉に対してガルフォードは首を振る。


「疲れはしていますが、私も騎士団の副将軍です。野営の経験など、いくらでもありますよ」


「野営と大迷宮は、また違うでしょう」


「違いはありますが、結局のところ野外で過ごすことに変わりはありません。むしろ、サバイバルの必要がなくて助かるくらいですよ。兵士の野営というのは、まず自分の食べるものを確保することが第一ですから」


「へぇ……そうなんですか?」


 そんな風に会話をするソラとガルフォード。そして、少し離れた位置では膝を抱えて眠っているリン。

 リンも少しは頑張っていたはずなのだが、さすがに何もしていない時間が長すぎ、退屈のあまりに眠ってしまったようだ。今後は、彼女の大迷宮での過ごし方もまた教育していく必要があるだろう。


「なんか僕のイメージだと、兵士は何日もの食料を抱えて行軍している気がしていました」


「そうですね。大抵の場合、作戦に必要なだけの糧食は輜重隊が運びます。そうでなくとも、数日生きていけるだけの食料はそれぞれの兵士が持っています」


「じゃあ、別にサバイバルする必要性なんて」


「でも戦場で腹を満たすのは、貴族だけですよ。兵士に一欠片のパンが与えられている横で、貴族の出自であればワインを渡されるくらいに差があります。私の率いる部隊では、なるべく全員に平等にするようにはしていますが……」


「……ロックウェルさんは違うと」


「輜重隊は大抵、貴族の子弟が率います。後方支援で、危険が少ないですからね。そういう連中が、勝手に平民の食べる分を他の貴族に分配するんですよ。これが、軍の悪しき慣習です」


「ふぅん……」


 あまり貴族と平民が云々という話は考えたことがなかったけれど、どうやら軍では根の深い問題であるようだ。

 よく、平民出身であるガルフォードが副将軍の地位につけたものだと、感心してしまう。


「ですから、平民はどうしても自分の食べる分を自分で用意する必要があります。その結果、サバイバルの技術も磨かれるんですよ」


「なるほど。ガルフォードさんも平民の出自だから」


「そういうことです。私も副将軍になる前は、連中と一緒に山に入って蛇を狩っていましたよ。蛇捕りに関しては、私が一番上手かったくらいです」


 ははは、と笑うガルフォード。


「それに、これに関しては面白い話もあって」


「どんな話です?」


「一度、後方支援の部隊と分断されて、長い期間のサバイバルを強いられたことがあるんです。糧食すら渡されない、本当に自分の食事を自分で用意しなければならない事態に陥ってしまったのですね」


「ほうほう」


「この作戦の結果、平民の兵士で死者がほとんど出なかったにもかかわらず、貴族の子弟は三割もの兵が餓死したんです。日々、自分の食料を自分で用意していた平民だったからこそ、生き残れたと言われているんですよ」


「なるほど」


 諧謔に富んだガルフォードの話に、ソラもまた頷く。

 自分の知らない世界――話にしか聞いたことのない軍隊の話というのは、ソラにとっても新鮮だった。

 だが――次の瞬間、ソラの耳にある音が届く。


「――っ!」


「……どうしました?」


「ようやく、ですか」


 長い時間、ここで待っていた。

 中層以下にしか出現しない魔物、スレイプニル――八本足の馬。

 その蹄の音は独特であり、まるで雷の落ちるような音と共に響き渡り、嘶く。おとなしいケルピーとはまた異なる、攻撃性に富んだ声音で。


「アレス、準備」


「ブモゥ」


「……ソラ殿」


「ガルフォードさん、やっと来てくれましたよ。僕の予想よりも早かった」


「……割と待った気はしましたが、早かったんですか」


「ええ」


 ソラのいる位置は、大迷宮の中層に入ってすぐだ。

 この場所までスレイプニルが現れることは、滅多にない。だからこそ、ソラは持久戦の構えを徹底していた。それこそ、スレイプニルが現れるまで十日でも粘ろうと考えて、干し肉を多めに持ってきていたくらいだ。

 だが、そんなソラたちの目の前に現れたのは。


「……」


 ばちばちっ、と全身から静電気を発している、漆黒の体。

 だというのに、その頭から背まで靡く鬣は黄金。ゆっくりと蹄の音を立てる足は八本である、明らかな異形。

 それは鋭い眼差しで焚き火の近くにいるソラを、そして鎧に身を包んだガルフォードを見て、そして体を震わせた。


「これが……野生の、スレイプニル」


「ええ」


 神の馬とも呼ばれる馬体は、並の馬の倍ほどもある巨躯。

 八本の足で立っているというのに、直立しているアレスを凌ぐとさえ思える巨体――スレイプニルが、そこにいた。


「さぁ、ガルフォードさん」


「あ、ああ!」


「懾伏させるとしましょう。まずは拘束からです」


「わ、分かりました! 私は何をすれば……」


「ええ」


 くいっ、とソラはスレイプニルから視線を外すことなく、顎で示し。


「とりあえず、そこで寝ているリンを起こしてください」


 そう、指示した。

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