将軍のスレイプニル 10

 スレイプニルはまず、ソラたちを睥睨したままで動かない。

 血の臭いに惹かれてやってくる魔物は、当然ながら興奮が高まっているため、すぐに襲いかかってくることもよくある。そういった魔物は、まずアレスがその身をもって抑え、そこからソラが捕縛に入るというのが普段の流れだ。

 だがスレイプニルはまるでこちらを試しているかのように、一定の距離を保った位置から動くことなく、じっとソラたちを見据えていた。


「……ソラ殿」


「僕もスレイプニルを相手にするのは初めてですが、どうやら知能は高いみたいですね。並の魔物だったら、何も考えずに襲ってくるのですが」


 スレイプニルが動かない理由――それは、こちらを警戒してのものだ。

 普通の魔物は、人間を視認した時点で襲いかかってくる。大迷宮における人間というのは異物であり、彼らにとっての餌でもあるのだ。そして食欲に素直に従う魔物は、あっさりと近付いてきてあっさりと捕縛を許す。

 これは長期戦の構えが必要だ。そうソラは居住まいを糺した。


「ね、ねぇソラ……」


「リン、スレイプニルから見て左側に、僕から少し離れた位置で待機。ガルフォードさんはそのまま。まず散開して、僕とリンで両側を抑えます」


「あ、あたしも? あたし、何すればいいか分かんないんだけど……」


「指示は飛ばします。先日、グリフィンを捕らえたときと同じです」


「う、うん……」


 ソラの言葉に対して、不安そうではありながらも従うリン。

 その間に、ソラはひたすらにスレイプニルをどう捕縛するか、頭の中だけで何度もシミュレートを行う。八本足というのは知っていたし、遠目で姿も見かけたことがあったから、今までも何度も頭の中だけで確認は続けてきた。

 だが、こうして本物を見ると。

 その佇まい、その威容、その貫禄――そこに、絶望感すら覚える。


「アレス、引きつけろ。ベルガは周囲の警戒を継続」


「ブモゥ!!」


 ソラはまず、アレスを動かす。

 スレイプニル以外の敵が現れたとき、すぐに対処できるようベルガは自由に。そしてアレスは棒を振り上げ、スレイプニルと戦う姿勢を見せた。

 スレイプニルが激しく、一つ嘶く。


「グォォォォォォッ!!!」


 八本の足が、一斉に地を蹴る。

 それと共に、雷を纏った体でアレスへ向けて突進を仕掛けてきた。体躯だけで倍はあるスレイプニルの突撃を、まずアレスは棒を構えて受け止める。

 激しい交錯音――そこからアレスは、突撃の勢いをいなしながらも戦線を維持した。


「アレス!」


「ブモゥ!!」


 しかし、そんなアレスの右側を、スレイプニルは抜け出す。

 魔物にとって、アレスは同じ魔物だ。勿論、魔物と魔物が共食いをすることはよくあることだが、彼らも同属意識というのが少なからずあるのか、基本的には人間を狙ってくる。邪魔をしてくるアレスをわざわざ排除することもなく、隣を抜けて奥にいる人間――ソラを狙ってくることも、よくあることだ。

 つまり。

 わざわざ壁になっている魔物を相手にするのも面倒だ――知能の高い魔物は、そう判断するのである。


「ひっ……ソラっ!?」


「……」


 真っ直ぐに、ソラへと向かってくるスレイプニル。

 アレスが振り返り、こくり、と頷く。ベルガもまた動くことなく、じっと様子を見て。

 ソラは、安堵の息を吐いた。

 向かってくる先が、こちら側で良かった。もしリンの方に向かっていたら、もしガルフォードの方に向かっていれば、指示が増えたところだ。


 だから。

 ソラは、いつも通りにやれる。


「さて……」


 くいっ、と足元に巡らせた縄を引く。

 蜘蛛の巣のように足元に設置しているそれは、スレイプニルを捕らえるための罠だ。ソラが引くと共に縄は張りを取り戻し、スレイプニルの足を掛ける。


「――ォォ!?」


 縄の一本一本が、計算して張られているそれは、ソラが一本を引いただけで全体が締まるように加工してあるものだ。この罠を設置するために、わざわざこんな袋小路で待ち構えていた。

 アレスが隣をわざわざ抜け出させたのも、全てこの罠のため――。


「グォォォォォォォッ!!」


 そして。

 スレイプニルの動きは僅か数秒で停止し、八本の足が全て縄に絡め取られる。

 これが、魔物売りソラのやり方。

 決して相手を傷つけることなく、最低限の力で相手を拘束する――その技術である。


「ふぅ……少し焦りましたが、これで問題ないですね。アレス、ベルガは周囲の警戒を続けて。ベルガは状況によっては《束縛バインド》をかけてもらうこともあるから、準備だけはしておいて」


「キィ」


「……あ、あたしは?」


「特に何もしなくていいですよ。今日作った罠のやり方も、後ほど教えましょう」


「あ、うん……」


「さて、そういうわけでガルフォードさん」


 全ての準備が整った時点で、ソラはガルフォードを見やる。

 ガルフォードはあっさりとスレイプニルを拘束してみせた、ソラの鮮やかな手管にただ驚き目を見開いていた。


「え……あ、ああ。どうされた、ソラ殿」


「ここから、あなたの出番です。今から、スレイプニルを懾伏してもらいます」













「はぁ……ようやく捕まえたなぁ。おい、何人犠牲になった」


「死人は七人、怪我人は五人すわ」


「うし、想定より少ねぇな。さっさと上に戻るぞ。これで納品すりゃ終わりだ」


 魔物売りギルド『黒牙団』の集団が、そう話をしながら荷車を引く。

 荷車の上に載せられているのは、巨大な檻だ。その檻の中に捕らえられているのは、黄金の鬣に漆黒の馬体――巨大なスレイプニルである。

 しかしその体はボロボロであり、漆黒の体からは幾筋もの血を流し、八本の足に至っては全て折られているという始末だ。半死半生と言って、何の差し支えもない。


「んで、俺らの他にスレイプニル捕まえてんのはいんのか? いねぇなら帰るぞ。別に他の奴を殺せってのは、見かけたらってくれぇだ」


「向こうの方に、スレイプニルが入っていってんのは見ましたけど」


「おし、んじゃ五人くらいで向こう見に行け。捕まえてねぇなら、そのまま戻ってこい」


「了解っす」


 頭領であるガルフの指示に従って、数人が集団から離れる。

 そして数人のうち一人が、再び集団へと戻ってきた。


「頭領、まずいっす」


「おう、どうした」


「魔物売りのソラが、スレイプニル拘束してるっすわ」


「あー……あいつか」


 よく聞く名前に、ガルフは僅かに顔をしかめる。

 いつだったか、若い連中が獲物を横からかっ攫おうとして、逆にやられたという相手だ。

 にやり、とガルフは笑みを浮かべる。


「仕方ねぇな。依頼だしよ」


「頭領……?」


「全員で行くぞ。借りは返してやろうじゃねぇか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る