将軍のスレイプニル 7

「し……信じ、らんない……」


 レイオット商店を後にしたリンは、終始震えていた。

 リンがその手に持っているのは、先程購入したばかりの縄である。普段より多めに、ただ縄だけを購入して店を後にした。店主のレイオットは、スレイプニルを捕まえると言ったソラに対して、ただ「そうか、頑張れよ。ありゃ強ぇぞ」と言っただけだった。


「どうしました?」


「どうしたも何も……なんで、縄がたったこれだけで金貨三枚もするのよ……」


 リンがその手に持っているのは、見た目だけならば普通の縄だ。

 普通に買えば、銅貨でも出せば買える程度の量である。そこに驚くのは、当然のことなのかもしれない。


「レイオットさんも言っていたでしょう。それは特殊な縄なんです。レイオットさんの店でしか購入することができない、特注の縄です。魔物の力でも決して千切ることができない、剛性にも弾性にも優れ火にも強いアラクネの糸を用いた縄ですから、むしろ安いくらいですよ」


「アラクネ……?」


「大迷宮の下層に出没する、蜘蛛の魔物です。冒険者が一度アラクネの糸に絡まれば、もう二度と抜け出すことはできないと評判ですよ」


「は……?」


 ソラの言葉に対して、絶句するリン。

 そもそも魔物を、動けないように拘束することがソラの――ひいては師のやり方において第一なのだ。魔物を懾伏させるまで、決して逃がすわけにはいかない。

 だが、魔物は人間よりも遥かに力が強く、また火を吐いてくる者もいる。そんな相手をただの縄で拘束することなどできず、師は試行錯誤を繰り返した結果として、アラクネの糸を用いるのが最善と考えた。そして冒険者に多大な犠牲を出した結果として、師ゾリューはアラクネを懾伏させ従魔とすることに成功したのだ。

 そして現在、レイオット商店の裏手で飼育されているアラクネから糸を回収し、その糸を用いて作られている縄――それが、この特注の縄である。

 この縄がなければ、ソラは一切の仕事ができないと言っていい。


「じゃあ……あたしも独立したら、あのお店で縄を買わなきゃいけないのね」


「ええ。ですから、経費がかかるんですよ。僕のやり方は、半分以上経費に消えます」


「じゃあ毎回、縄を再利用すればいいじゃない」


「縄はあくまで消耗品です。使い続ければ摩耗しますし、摩耗した部位は千切れやすくなります。千切れてしまえば魔物の拘束が途切れてしまいますし、そうなれば命の危機にもなりえます。金を惜しんで命を失うのは、一番の悪手ですよ」


「むぅ……」


 なんとなく、納得のいってないような渋面を作るリン。

 まぁ、自分が必死に捕まえたグリフィンが金貨四枚だ。それに対して、本日購入した縄が金貨三枚――納得がいかないのも当然だろう。

 ソラとて、独立したばかりの頃は何度も失敗を重ね、経費ばかりが嵩んだ時期もあった。将来的には、リンも同じ苦労をするはずだ。


「さて……あとは食料を購入しておきましょう」


「装備とかは?」


「僕は基本的に、鎧とかを装着しません。僕の身の安全はアレスとベルガに任せています。下手に鎧を装着して、動きが制限される方が不味いので」


「ふぅん……じゃ、経費で必要になるのって縄と……お香? お香はあるの?」


「『沈静の香』に使う香木も、レイオットさんのお店で買えます。今はまだ、以前に購入した分の余りがあるので、そちらを使います。干し肉もそうですね。懾伏に使う専門の干し肉は、レイオットさんのお店で買います」


「……じゃ、全部あのお店で買うのね」


「そういうことです」


 ソラのやり方を教える以上、今後のリンもレイオット商店で必要物資を買うだろう。

 レイオット自身は割と老齢だが、師の魔物売りのやり方を教わっている者は全員、あの店で購入しているはずだ。恐らく潰れることはあるまい。

 ソラはそう考えながら、適当な露店で干し肉を購入する。この干し肉は普通のもので、道中に食べたり懾伏中に自分が食べる方のものだ。値段は懾伏に使うものの百分の一以下である。

 あとは適当に今夜の食材を購入して、買い出しは終わりだ。


「それじゃ、家に帰りましょう」


「……あ、そうなの?」


「どうしました?」


「いや……ソラ、初めてスレイプニルを捕まえるわけだから、お師匠さんのところに行くもんだと思ってた。やり方とか、そういうの訊くんじゃないかなって」


「ああ」


 確かに、リンの考えも分からないではない。

 ソラは確かに、スレイプニルを相手にするのは初めてだ。そして、師ゾリューはかつてスレイプニルを捕まえた経験がある。それにあたり、師から助言を貰いに向かうのは当然の考えであるのかもしれない。

 だが、ソラは首を振る。


「それはできません」


「……なんで?」


「師は、ガルフォードさんに僕を推薦しました。僕ならば出来ると、そう推薦してくれました。つまりこれは、師から僕への試練なんです」


「……試練?」


「ええ」


 ソラは、師ゾリューから魔物売りのやり方を教わり、独立した。

 だが、あくまで教わったのはやり方だけだ。師と共に下層まで行き、ミノタウロスとゴブリンメイジ――アレスとベルガを懾伏させた。そして彼らを用いて、師が見守る中で何度も魔物を懾伏させ、カルロスに売った。

 その後、独立してから初めての魔物を相手にすることも多かったけれど、それも試行錯誤の繰り返しだ。


「魔物売りの技術は、自分で磨く必要があります。何もかも先達に訊いてばかりでは、何も成長しません。ですから、スレイプニルを捕まえるにあたってのやり方も、僕が試行錯誤を行う必要があるんです」


「……なんか、面倒くさい考え方ね」


「そうなんです。僕がやり方を尋ねに訪れたとしても、頑張れよ、くらいしか言ってくれませんよ。そういう人ですから」


「あー……なるほど。ソラが面倒なんじゃなくて、お師匠さんの方が面倒なのね」


「そういうことです」


 納得してくれたリンに対して、ソラは笑みを浮かべ。

 そして、小さく嘆息した。


「僕はなるべく、細かい部分までリンには教えようと思っていますので。分からないことがあれば、何でも訊いてください」


「うん。あたし、ソラが師匠で良かったわ」


 リンのそんな、素直な賞賛に対して。

 ソラはただ、苦笑を浮かべるだけで返した。

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