将軍のスレイプニル 3
「ふぅ……」
疾風のように現れ、疾風のように去っていった客に対して、ソラは大きく溜息を吐いた。
ベルガが「おや、お客様はお帰りですか?」とでも言いたげに首を傾げる。客が来たということで、どうやらお茶を出すための湯を沸かしていたようだ。残念ながら、湯が沸く前に帰ってしまったが。
「ねぇソラ、良かったの?」
「……うん? どうしました?」
「だって、白金貨五十枚よ。大金じゃない。こんな機会、逃して良かったの?」
「いくら大金を積まれても、できないことはあるんですよ」
リンの言葉に、冷静にソラはそう答える。
白金貨五十枚に対して、惜しい気持ちはないこともない。だが、かといってソラに今までのやり方でない方法でスレイプニルを捕まえろと言われても、無理な話だ。
そのためソラなりに譲歩して出した案が、ロックウェル自身でスレイプニルを捕まえることだったのだが――。
「ふぅん……でも、変な人。そんなに大迷宮に入るのが嫌だったのかしら」
「貴族なんてそんなものですよ。金貨さえ積めば、自分じゃない相手が面倒な仕事を全部請け負ってくれると思っていますから。彼も白金貨五十枚出せば、スレイプニルを差し出してくれると思っていたのでしょうね」
「……ソラ、実は貴族嫌い?」
「残念ながら僕は今まで、貴族が好きだという平民に会ったことがないですよ」
貴族――グランシュ王国において、身分の上で君臨する存在だ。
生まれた家が貴族だったというだけで、生涯の安寧が約束される。生まれついての支配階級であり、彼らにとって平民は自分に平伏し尽くすものである。
当然ながらそんな支配階級に対して、平民が良い感情を抱くはずもない。
そんなソラの反応に対して、リンは少しだけ眉を寄せて顔を伏せた。
「……なんか、ごめん」
「リンは今や、ただの魔物売りの弟子ですからね。貴族の生活に戻りたいと言うなら、別に止めはしませんが」
「今そういう話、してないから」
「まぁ、大金を稼ぐ機会は逃しましたが、別に掴む必要のないことです。僕以外にも、魔物売りは大勢いますからね。そういう連中に頼むでしょう」
「でも結局、スレイプニルは難しいんじゃないの?」
「いいえ」
リンの質問に、ソラは首を振る。
同じ魔物売りであるといえ、同業の者とソラのやり方が、全く同じというわけではない。
「カルロスさんと契約をしている他の魔物売りもいますが、僕のやり方は特殊なんですよ。同じやり方をしている同業者は、一割もいません」
「えっ、そうなの?」
「ええ。僕のやり方は師から教わったものですが、他の魔物売りもそうというわけじゃありませんからね。特にカルロスさんと契約している魔物売りのギルド……『黒牙団』なんかは、完全に魔物を商品としか見ていませんからね」
「なんか、名前だけ聞くと山賊みたいね」
「似たようなものですよ」
ふん、とソラは嫌悪を隠さずにそう告げる。
そんなソラの態度が珍しかったのか、リンが僅かに首を傾げた。
「その人たちは、どうやって魔物を捕まえるの?」
「彼らのやり方は分かりやすいですよ。荷車に大きな檻を乗せて大迷宮に入って、そこで魔物を半死半生まで痛めつけて、檻の中に閉じ込めます。そして、檻ごと騎魔商に売りつけるんです」
「えっ……」
「一度、獲物を掠め取られたこともあります。僕が懾伏させようとしている途中に襲いかかってきて、半殺しにしてから檻の中に閉じ込めて、奪ったんですよ。さすがに腹が立ちました」
ソラとは違う魔物売り――その中でも、『黒牙団』はかなり悪質なやり方をしている。その事実は、ハンの街でも有名だ。
冒険者が必死で戦っている途中に乱入して、半殺しにして魔物を奪うなんてことも日常茶飯事。それに冒険者が文句を言おうにも、『黒牙団』は常に十数人単位で大迷宮に潜っているため、数の差が圧倒的なのだ。そのため結局、泣き寝入りすることしかできない。
現在は百人を超える魔物売りが所属しているギルドらしいが――。
「……ひどいわね」
「悪質と有名ですからね。まぁ、今は僕とかち合うことはほとんどありませんけど。さすがに獲物を奪われて腹が立ったので、アレスをけしかけて全滅させました」
「……へ?」
「殺してはいませんが、動けなくなった彼らを魔物がどうしたのかは知りません。僕はそのまま帰ったので」
「……」
にっこり、とソラが笑みを浮かべる。
あれ以降、『黒牙団』はソラが狩りをしている最中、邪魔してくることがなくなった。恐らく数人は生き残って、ギルドの方に報告したのだろう。そもそも向こうが悪い、とソラは開き直っている。
「ふぅん……じゃあ、あの人『黒牙団』に依頼しそうね」
「あそこなら、多分受けますよ。スレイプニルを囲んで半殺しにして、檻に入れて引き渡すだけで白金貨五十枚ですからね」
「でも、半死半生のスレイプニルとかどうするの?」
「教会に行って、癒してもらうのが一番でしょうね。ただ、その前に主人としっかり認識させておかないと、背には乗せてくれません。下手に主従関係を築かずに癒したら、スレイプニルが檻を破って大暴れする可能性もあります」
そうなっても知りません、とソラは肩をすくめて告げる。
ふぅん、とリンは感心したように腕を組んだ。
「でも、将軍も大変なのねぇ……わざわざスレイプニルを捕まえなきゃいけないとか」
「参考までに、先代将軍のスレイプニルを捕まえるのを手伝ったのは、僕の師匠らしいですよ」
「あ、そうなの?」
「捕まえる協力をした、って話していたのを聞いたことがあるくらいですが。もう何十年も前のことで、それ以降スレイプニルを捕まえたことはないらしいですけどね」
「へー」
ソラの師――全ての技術を叩き込んでくれた彼が、スレイプニルについては「あれほど、てめぇの無力を感じたことはねぇ」とだけ言って、詳しい話はしてくれなかった。勿論、それは当時の師が若かったこともあるだろうが。
まぁ『黒牙団』に依頼する以上、ソラが今後スレイプニルを捕まえる協力をすることはないだろう。
「……ん?」
そこで、ごんごん、と再びソラの家の扉が叩かれた。
今日は随分と来客の多い日だ――そう嘆息しながら立ち上がり、扉まで向かう。
「はい?」
「ああ、失礼します。魔物売りのソラさんですか?」
「ええ、僕がソラですが」
なんだか、この光景は見た気がする。
目の前にいるのは、先程と違って黒い髪を短く揃えているも、体格は変わらない偉丈夫。
かっちりとした軍装に真紅のマント――ただ、表情はロックウェルより柔らかく。
「私はグランシュ王国副将軍、ガルフォードといいます」
まさか、同じ目的の客が一日に二度来るとは。
ソラは思いながら、ベルガの沸かした湯が無駄にならずに済んだ、と笑みを浮かべた。
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