騎魔を求む少女 9

 レジーナがグリフィンを従えさせて、既に三日が経た。

 結局、レジーナは大迷宮から帰ってきた日の夜、ソラの家に泊まっていった。ソラとしても、別段寝台は余っているわけだし、人に料理を振る舞うのも滅多にない経験だった。

 そして翌日の朝、レジーナは出て行った。グリフィンで全力で空を翔れば、隣国まで二日もあれば到着するだろう。そろそろ到着した頃だろうか。


「ふぅ……」


 そんな昼下がりに、ソラは特に何もすることなく茶を啜っていた。

 目の前にあるのは、師から教わった魔物売りとしての覚え書きだ。騎魔にできる魔物の種類と、その魔物に応じた懾伏の方法。沈静の香を使用し、上限関係を刻みつけることはどれも同じだが、魔物の種類によって封じておかねばならない場所もあるのだ。

 時々は、こうして復習しなければ忘れてしまう。


「ん……ベルガ、ありがとう」


「……」


 空になったカップに、ベルガがお茶を注いでくれる。

 アレスの方は特に何をするでもなく、ただリビングの一角に腰掛けている。そもそも会話の通じない彼らと、話をすることもない。だが、同じ空間にいることが当たり前である空気は、心地の良いものだ。

 しかし――と、ソラは覚え書きを見ながら思う。


「……本格的に、助手を雇うか考えるべきですかね」


 師より教わった、様々な魔物の懾伏方法。

 その中で実践できているのは、僅かに七種類だ。ソラが教わった騎魔の種類の中でも、半分以下である。それ以外の魔物については、今のところ手を出していない。

 グリフィンだって、一人で拘束するのは難しい。以前はそのせいで、何度も失敗する嵌めになった。そのたびにソラを守ってくれたのは、アレスとベルガだった。

 先日レジーナと共に潜ったとき、どれほど感じたことだろう。

 自分以外の誰かがいることが、こんなにも頼もしいと。


「まぁ、でも……魔物売りになりたいって人は、あまりいないんですよねぇ」


 ソラは小さく呟いて、溜息を吐く。

 魔物売りは、あまり人気のある商売ではない。同じ魔物を相手にするのならば、そもそも冒険者になるからだ。面倒な手順を踏んで、わざわざ魔物を生きたままで捕獲するくらいなら、最初からいくらでも倒せる冒険者になるだろう。

 冒険者と比べ、やり方を教わらなければなれない職――それが、魔物売りである。


「うん……?」


 こんこん、とそこでソラの家――その扉が叩かれた。

 こんな家を訪ねる人物がいるとは珍しい。そう思いながらソラは立ち上がり、扉まで歩く。普段、来客のほとんどないこの家は、呼び鈴すらついていない。


「はい、どちらさま……」


「あたしよ」


「……レジーナさん?」


 ソラが開いた扉の向こうに立っていたのは、レジーナ。

 つい一昨日、お達者で、と別れを告げた相手だった。


「どうしたんですか、いきなり」


「入っていいかしら?」


「ええ、いいですけど。ベルガ、お茶を沸かして」


 ソラの言葉に対して、ベルガがぐっ、と右手の親指を立てて返す。

 既に薬缶を火にかけており、準備は万端といった様子だ。当然ながら、目深にフードを被っているためその表情は分からない。

 レジーナはつかつかと遠慮なくソラの家に入ってきて、そのまま椅子に腰を下ろした。


「ふぅ……ごめんね、いきなり」


「隣国に行ったんじゃなかったんですか?」


「ううん。行かなかった」


「えっ?」


 思わず、ソラは眉を寄せる。


「色々考えてさ。あたし、このままでいいのかなって」


「どういうことです?」


「だからさ……無理やり結婚させられるからって、家出して。それで国境を越えて逃げて、あたしの人生は誇れるのかなって」


「……そう僕に言われても」


 ソラは、国を捨てる危険について話したはずだ。

 まともな職につくことはできないだろうし、悲惨な末路が待っている。だがそれでも、彼女は自分らしく生きたいからと結論づけたはずだ。


「でもさ、ソラを見て思ったのよ」


「僕を?」


「恐ろしい大迷宮に、ソラは挑んでるじゃない。命の危険があると分かってて、それでも魔物を捕まえに行くじゃない。そういう覚悟が、あたしに本当にあるのかって」


「まぁ、それが僕の仕事ですからね」


 要領を得ない言葉に、ソラは肩をすくめてそう答えるしかなかった。

 事実、食い扶持を稼ぐための仕事なのだ。それほど賞賛されるようなことではない。


「まぁ、その……さ」


「ええ」


「あたしも、魔物売りになってみたい。ううん……ソラみたいな、魔物売りになりたい」


「……」


「だからさ、ソラ」


 じゃらっ、とレジーナは懐から金貨を五枚取り出し、示す。

 つい二日前まで、金貨一枚半しか持っていなかったはずのレジーナが、何故――。


「あたしを、弟子にしてほしい」


「……本気ですか?」


「本気よ」


「正気ですか?」


「正気よ」


 うぅん、とソラは腕を組む。

 レジーナの心境にどんな変化があったのか、ソラには分からない。だが、それほど人生観を変える何かが、あの懾伏にあったのかもしれない。

 それが何故、魔物売りになりたいという考えに変わったのか――。


「……このお金は?」


「グリフィンを、売ってきたわ。カルロスさんのところ。金貨四枚で買い取ってくれた」


「なるほど……」


「それに加えて、あたしの持ってた金貨も一枚つけるわ。これであたしを、ソラの弟子にしてほしい」


 はぁぁ、と大きく嘆息。

 苦笑を浮かべながら、改めてソラはレジーナを見た。


「僕に言ってくれたら、カルロスさんは金貨五枚で買い取ってくれましたよ」


「えっ!? それ本当!?」


「もう今更ですけどね。売ってしまったものは仕方ありません。魔物を売るのが、魔物売りの仕事ですから」


 ソラは立ち上がり、レジーナに手を差し出す。

 ソラからすれば、丁度欲しかった人手だ。独り立ちするまで、弟子という形ではあるけれど、ひとまず助手として雇い入れることに問題はない。


「僕は厳しいですよ。それでもいいなら」


――儂は厳しいぞ、坊主。それでもいいなら来な。


 かつて、師がソラに言ってくれたことと、全く同じことを告げ。

 そんなソラの手を、レジーナは取った。


「うん、ありがとう……ソラ」


「ええ、レジーナさん。では、これからですが……」


「えっと、それなんだけどね」


 レジーナはそう言って、懐から木の札――自身の身分証明を取り出す。

 そこに書かれているのは、ハンでの名前だ。


「あたしのことはこれから、リンって呼んで」


「リン?」


「うん。この街では、そういう名前で生きようと思ってる」


「なるほど」


 人生をやり直すのに、ハン以上の場所はない。

 そして彼女はここで、第二の人生を送っていくのだ。貴族令嬢レジーナ・ノーウェルではなく、魔物売りの弟子リンとして。


「では……これからよろしく、リン」


「うん」


 こうして。

 騎魔を求む少女はその奇縁に導かれるように、魔物売りの弟子となった。

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