騎魔を求む少女 8

「従える……」


「僕たちの間では、これを懾伏しょうふくと呼びます。こちらに向けて敵意を剥き出しにする魔物から、まずその敵意を取り除きます……そのために使うのが、沈静の香です」


 ソラは荷物の中から、香炉を取り出す。

 当然、その中に入っているのは先日、レイオットの店で購入した香木だ。ソラは香炉を開いて、焚き火の中から炭を入れる。熱された香木は煙と共に、鼻につんとくる香りを周囲に充満させた。


「ケェェェェッ!!」


「きゃあっ!」


 瞬間、グリフィンの雄叫びと共に放たれる、四方への衝撃波。

 あくまで衝撃だけであり、動きを阻む程度の威力しか持たない。しかしその衝撃は少し離れたレジーナを、石壁まで吹き飛ばすには十分な威力だった。

 しかし、ソラは動かない。

 ただこの空間に、『沈静の香』が充満するのを待つ――その間、アレスが全てを受け止めてくれると信じて。


「――《火炎弾ファイアボール》」


「グゲェッ!!」


 そこへ恐らく、何者かが現れた気配。

 しかし、周囲の警戒を決して怠らないベルガが一瞬で魔術を編み、血を撒かないように火で燃やす。既に捕らえた状態で、これ以上の魔物を集める血の臭いは必要ないのだ。

 そして次第に、束縛から逃れようと体をよじれさせるグリフィンが、おとなしくなってくる。

 充満した血の臭いの中でも、『沈静の香』は魔物の心を鎮める。興奮は次第に落ち着いていき、ただ息遣いだけが空間に響き渡った。


「よし……もういいぞ、アレス。周囲の警戒を」


「ブモゥ」


 ソラの壁となっていたアレスが、グリフィンから離れる。

 敵対心が高い状態であれば、衝撃波が再び襲ってくる危険性が高い。だがある程度沈静さえかければ、その後は攻撃してこない――それを、経験則で知っている。

 あとは昂らせないように慎重に、香を焚きながらソラはグリフィンを見据えた。


「レジーナさん」


「いたた……めっちゃ腰打ったぁ……」


「こっちに来てください。決して、グリフィンから視線を外さないように。何があっても」


「え……あ、うん」


 ソラは目線を外さず、レジーナへ告げる。

 目線を外すというのは、即ち屈服を意味する。相手の気迫に対して、芽生えた恐怖心から視線を外す――魔物はそう判断する。

 だからソラは決してグリフィンから目を離すことなく、レジーナがどうしているのかも分からない状態で、そう告げた。

 自分がグリフィンから目を離さずとも、周りはアレスとベルガが守ってくれる――そんな信頼もある。


「僕の横に。グリフィンをしっかり見据えて。グリフィンと目が合ったら、絶対に目線を外してはいけません。絶対に」


「……二回言わなくても、分かるわよ」


「僕の師は、大事なことは二度でも三度でも言え、と言っていました。相手が一度で分かると思うな、自分が伝えている相手は史上稀に見る馬鹿だと思え、と」


「凄い教えね」


 ソラの言葉に、レジーナは肩をすくめる。

 実際、ソラの師は何度となくソラに大事なことを伝えてくれた。繰り返し繰り返し、何度も。それは前にも聞いた、と伝えたらその言葉が返ってきたのだ。

 そんな日々があったからこそ、ソラの心には師の言葉が刻まれているのだ。


「……」


 ソラの横に現れたレジーナへと、グリフィンが視線を向ける。

 ようやく外れた視線に、ソラはグリフィンから僅かに離れた。普段は一人きりのため、決して視線を外さずに準備しなくてはならないが、別に人がいるというのは便利でいいものだ。

 これが終われば、本格的に助手探しでもしてみようか、と思えるほど。


「では、これを」


「……何これ」


「見なくていいです。視線は外さない。それはただの干し肉です」


「干し肉?」


 ソラが手渡したそれに、レジーナは指先だけで触れる。

 実際、ただの干し肉だ。肉に塩をかけ、天日干しをしただけの保存食である。冒険者や旅人が、道中の食料として重宝するものだ。他にも穀物を細かくして団子にした保存食もあるけれど、ソラは大迷宮の中では干し肉の方を好んでいた。少量でもそれなりに咀嚼しなければならないため、満足度はこちらの方が高いのだ。

 レジーナが不思議そうに眉を寄せる。決して、グリフィンから視線を外すことなく。


「ええ。お腹が空いたでしょう。食べていいですよ」


「……それだけ?」


「これが、上下関係を分からせる方法の一つです。動けず何も食べられない相手を前に、自分は食事を摂る。何故なら自分はお前より上にいるからだ、と」


「そういうものなの?」


「そういうものなんです」


 ソラの狩り方は、決して乱暴なものではない。

 魔物に対し、上下関係を教え込み続けるだけだ。自分は強者であり、魔物は弱者。大迷宮の中では圧倒的に弱者である人の身で、それを示す。

 レジーナは戸惑いながらも、もぐもぐと干し肉を咀嚼し、飲み込んだ。

 その間も、グリフィンはただじっとレジーナを見据える。


「僕が一人で狩りをするときには、決して視線を外しません。その間は、アレスとベルガが僕の身を守ってくれます。ですから手探りだけで何でも出せるように、荷物は最低限で来ているんですよ」


「……へぇ。考えてるのね」


「ここからは長いですよ。僕がグリフィンを初めて懾伏したとき、三日かかりました」


「……あのさ、トイレとかはどうするの?」


「大迷宮にそんなものがあると思いますか?」


 にっこり、と。

 レジーナからは見えないことを承知で、ソラは笑みを浮かべた。












 レジーナがグリフィンを懾伏させるまで、丸二日かかった。

 彼女はソラが教え込んだように、決して視線を外すことなく、丸二日を耐え抜いた。食事と水は適宜ソラが渡し、レジーナはひたすら立ち続け、グリフィンと見合い続けた。

 ようやくグリフィンの目つきが蕩けてきたところで、ソラはレイオットの店から購入した燻製肉をレジーナに手渡し、彼女の手からグリフィンがそれを食べる――都合、それを五度ほど行って、ようやく懾伏は成功した。


「ふぅ……やっと出られましたね」


「……もうあたし、お嫁に行けない」


 ソラ、レジーナ、アレス、ベルガ――大迷宮に入ったときと同じ顔ぶれで、しかし違うのは、レジーナがグリフィンの首に縛った縄を持っていること。

 グリフィンは一度懐けば、その後は忠誠を尽くすと言われている騎魔だ。騎魔屋から買い求めた個体であっても、七日もすれば主人を認識し、決して裏切らない。

 そして、このグリフィンはレジーナに懐いている。

 この後も、決して裏切ることはあるまい。


「それでは、まず僕の家に行きましょう」


「え……そうなの?」


「ええ」


 ソラは苦笑を浮かべて、レジーナを見る。


「シャワーくらいは貸しますよ」


 そんなソラの言葉に、レジーナの頬が朱に染まった。

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