騎魔を求む少女 4

「これでいいかしら?」


「見違えましたね」


 素直に、ソラは戻ってきたレジーナに対して、そう言葉を述べた。

 服装は先程までの、貴族のご令嬢が着ている絹の服から、冒険者のよく着ている革の服へと変えている。それもなるべく女性らしさを抑え、急所にはそれぞれ革鎧も装着しているほどだ。

 さらに髪型は頭頂部で一つにくくり、馬の尻尾のように後ろに垂らしているものである。少なくとも、先程までのレジーナとは全く違う姿になったと言っていいだろう。


「あと、役所にも行って戸籍をもらってきたわ。呆れるくらい、簡単に終わった」


「それがハンのいいところで、悪いところなんですよね」


「ほんと。あたし、もっと色々聞かれると思ってたもん」


 レジーナの言葉に、ソラは苦笑する。

 ハンの役所は、本当に役所かと思えるくらいに空虚だ。ほとんど客もおらず、たまに来る相手は戸籍の発行だけである。それも紙に名前と年齢さえ書けば、ハンに在住しているという形で証明書が発行され、身分証が与えられる。この間、五分とかからない。

 ハンに住む者は、他者の事情を訊かない――それが、不文律として存在するために。

 人生をやり直すのに、ハン以上の場所はない。そう言われる所以である。


「とりあえず、身分証は持っていてくださいね」


「……こんな木の板が、身分証になるの?」


「エルトで身分証がどんな形なのかは知りませんけど、ハンではそうなんですよ」


 すっ、とソラも自分の身分証――木片に名前だけを刻まれたそれを見せる。

 戸籍を発行する回数が多いからか、ハンでの身分証はこの木片だ。大迷宮に挑む者は基本的に、これを持ち歩く。死体となったとき、誰の死体か分からなくなるからだ。

 もっとも、火で焼かれて名前が分からない死体が多いというのも、問題ではあるらしいが。


「ふぅん……まぁ、いいわ。それで、あとはあたし、何をすればいいの?」


「ああ、いえ。入るのは明日なので、今日はゆっくりしていていいですよ。宿はあります?」


「へ? え……う、ううん、ないわ。騎魔を買って、すぐに出ようと思ってたから」


「でしたら、ここに泊まっていきます? 夕食くらいは出しますよ。たいしたものは用意できませんけど」


 ふあぁ、とソラは欠伸を噛み殺して、そう尋ねる。

 もう夕刻が近く、今から大迷宮に挑むわけにいかない。万全の準備を整えて、朝一番に入るのが大迷宮の鉄則だ。少なくともそうすれば、眠気に耐える時間は最低限で済むから。

 人数の多いパーティだと交代で休むこともあるらしいが、僅かに三人しかいないソラのパーティにおいて、眠ることはできない。


「……いいの?」


「構いませんよ。アレスもベルガも、ベッドは使いませんから。一つ余っています」


「それじゃ……お言葉に甘えて」


「シャワールームも使っていいですよ。明日からは、しばらく体も拭けませんから、しっかり洗っておいてください」


「……ええ。それじゃ、先に浴びさせてもらうわ」


 ふぅ、と小さく息を吐いてから、ソラはキッチンへ向かう。

 アレスもベルガも、食べるものは基本的に生肉だ。そのため、料理をするのはソラだけである。最初はベルガに任せてみたこともあったのだが、残念ながら味が分からない様子だった。

 仕方なく、ソラは自分が食べるものだけ自分で作るという生活をしている。それが思わぬ客人だったといえ、料理を振る舞えるというのも少し嬉しかった。


「……」


 とんとん、と野菜を刻みながら思う。

 よくよく考えたら、とんでもない提案をしてしまったのではないかと。

 アレスとベルガも一緒に暮らしているとはいえ、この家の家主は男であるソラだ。

 そんなソラの家に、さほど年齢も変わらない女性――レジーナを泊めるのである。何か下心でもないか、と疑われるのではなかろうか。

 しかも、シャワーまで浴びろと――。


「ねぇ、シャワールームの水の魔石、どうやって動かすの?」


「わぁっ!? え、えっ……あ、火の魔石が一緒に並んでますから、適温にして使ってください」


「ええ、ありがとう」


 鍋にシチューを煮ながら、ソラは小さく嘆息する。

 今、女性が自分の家でシャワーを浴びている――それを想像してしまった自分に、自己嫌悪して。











「へぇ、美味しいじゃない」


 ソラの作ったシチューを食べながら、やや濡れた髪のレジーナがそう言う。

 ソラからすれば、師以外の人間に初めて振る舞った料理だ。


「大迷宮に入ったらしばらく、まともな食事はできませんからね。入らない日は、こうして料理をするようにしているんです」


「そうなの?」


「干し肉を囓るのがせいぜいで、火の通った料理は作れません。そんなことをしている間に、魔物に襲われますからね」


「へぇ……あたし、本当に出来るのかな」


「僕の言うとおりに動けば、必ず」


 照れ隠しのように、ソラはそう説明しながらシチューをすする。

 大迷宮の外――地上でしか、まともな食事がとれないというのは事実だ。食材を持って大迷宮に入るわけにいかないし、まともに食べている時間もない。そのため、鞄の中にすぐに食べることのできる干し肉を入れている。

 そして、摂ることのできる水分も最低限だ。飢え、渇くぎりぎりまで食事も水分も摂取せず、ただ狩るのが大迷宮での生き方である。


「あれ? そういえば、ご家族の方は食事は?」


「ああ、アレスとベルガはもう済ませました」


「そうなの? そういえばあたし、今晩お世話になるのに、まだ挨拶もしていなかったわ」


「別に挨拶とかはいいですが……アレス、ベルガ」


 リビングに座っていた全身鎧アレス、ソファに腰掛けていたフードのベルガ、両方が立ち上がって歩く。アレスは自身の重量に加えて鎧の重さがあるため、歩みを進めるごとに家が揺れるようだ。

 そんな彼らが、ソラの少し後ろで歩みを止める。


「ああ、先に言っておきますが、彼らは従魔です」


「えっ……従魔?」


「はい。騎魔ではない、僕に従うだけの魔物です。僕は彼らと一緒に、大迷宮に入っています。アレス、兜を取って。ベルガも、フードを」


 アレスがその頭を多う、角の生えた全面兜を取り。

 ベルガがその目元すら見えない、長く隠したフードを取り。

 それぞれ現れた顔は――牛のそれと、ゴブリンのそれ。


「ひぃっ!?」


「僕に従っていますから、大丈夫ですよ」


「み、ミノタウロスに、ゴブリン……!?」


「ええ。僕がまだ駆け出しの頃、師匠と一緒に捕まえた魔物です。頼りになる相棒ですよ」


 もういいな、とばかりにアレスは「ブモゥ」と鳴き。

 レジーナを一瞥してから、再び兜を嵌めてリビングに座った。

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