魔物売りのお仕事 2

 ケルピーの動きを封じる《束縛バインド》――それが効いているうちに、ソラは行動を開始する。

 ゴブリンメイジのベルガが行使する《束縛バインド》は、決して長い拘束のできる魔術ではない。魔術抵抗力の低い相手ならば丸一日でも拘束しておけるだろうが、ケルピー相手だとそれほど長くは保たない。ソラは経験則からそれを知っていた。

 荷物の中から出した、細い縄――それをまず、ケルピーの体に巻き付ける。


「ヒヒィンッ!!」


 自分の体が思うように動かないことに、憤りの嘶きを上げるケルピー。

 しかしソラはそんな嘶きにも心を動かすことなく、冷静に縄を周囲の岩へと引っかけ、そのまま四方に動き回る。この間にいつ《束縛バインド》が切れてもいいように、アレスは常にケルピーの息の届く位置だ。

 縄を四方に掛け、最後にケルピー自身へと巻き付いている縄へ結びつける。そしてさらに取り出した縄をケルピーの四肢に掛け、僅かにでも足が動かないように縛り付ける。

 分かりやすく言うならば、これは蜘蛛の糸だ。

 ケルピーが動こうにも、周囲一面に張られた縄のために体を動かすことができない。四肢を動かそうとすれば、その足に引っ張られて他の足まで動いてしまうため、身動きがとれない。そんな状況を作り上げる。

 師から学んだ、魔物狩り――その最善の方法は、決して傷つけないことなのだ。


「ふぅ……」


 周囲一帯に縄を張ってからソラは、ようやく一心地つく。

 きっちりと縛り上げた縄は、確実にケルピーを束縛している。そして現状、他の魔物がこちらに来る気配もない。冷静に状況を確認してから、ベルガの方を見た。


「ベルガ、《束縛バインド》解除」


「キィ」


 継続して魔力を注ぎ続けていたベルガが、ようやく終わったとばかりに杖を振る。それと共に、ケルピーの足元に生じていた影も消えた。

 だが、ケルピーは動かない。動かそうにも身動きがとれず、戸惑いの嘶きを上げた。そしてどうにか縄を引きちぎろうと、体をよじらせる。


「それを千切るのは無理だよ。アラクネの糸を混ぜた、特注の縄だ。地獄の業火でも燃やせない」


「ヒヒィンッ!!」


「さて、それじゃ落ち着こうか」


 次にソラは荷物の中から、香炉を取り出す。

 その中に香木を入れ、焚き火の中から炭を一緒に入れる。次第に、香炉から鼻をつんと刺す香りが漂ってきた。

 ソラはそれをケルピーの前に置く。動けないケルピーの、その鼻先に入るように。

 沈静の香。

 血の臭いと戦闘で興奮した魔物を、落ち着かせるための匂いだ。人間であるソラにはただの不快な香りだとしか思えないそれは、大迷宮にしか存在しない香木――『理性の木』を乾かし、熱することによって生じた煙が鎮静効果を発揮するものだ。

 激しく身をよじれさせ、暴れるケルピー。しかし香りがその周囲に充満し、その香を吸っているうちに、次第におさまっていく。

 そして数分もしないうちに、ケルピーはじっと動かなくなった。


「……」


 だが、魔物売りの仕事はこれで終わりではない。

 沈黙の香を焚いたからといって、魔物がすぐに大人しくなるわけではないのだ。下手にここで手でも出そうものならば、そのまま食いちぎられる可能性もある。そのため、しっかり魔物が鎮静するまで待っている必要があるのだ。

 この間に、他の魔物が襲ってくれば、その魔物にも対処しなければならない。それを倒して血飛沫が上がれば、その血の臭いでケルピーも再び興奮する。そのため、周囲で殺してはならない。

 だから、なるべく出てくれるなよ――そう願うも、それが叶ったことは一度もない。


「グオオオオォッ!!」


「ちっ、サーベルタイガーだ! アレス、追い返せ!」


「ブモゥ!!」


 ソラの指示と共に、現れた巨大な牙を持つ虎――サーベルタイガーに対して、アレスが棒を振り上げる。

 大迷宮という危険な場所に入るというのに、アレスが剣でも槍でもなく斧でもなく、棒を持っている理由。それこそが、できるだけ殺さずに追い返すからなのだ。勿論、ここでアレスも傷を負ってはいけないため、彼は少しも肌を晒さない全身鎧を着用している。

 ベルガも周囲を確認しながら、いつでも魔術が発動できるように準備をする。《火炎弾ファイアボール》ならば血を流すこともなく、焼け焦げさせ血を防ぐため、主に大迷宮の中ではそちらを活用しているのだ。


「グルルルゥッ!!」


「ブモゥ!!」


 アレスが棒を一振りすると共に、サーベルタイガーが吹き飛ぶ。

 魔物とて、馬鹿というわけではない。勝ち目がないと判断すれば、距離をとった瞬間に背を向けて逃げる。それを理解しているがゆえに、アレスはそこから深追いせず離れない。そして他の魔物が現れないように、再び中央に戻る。

 ソラはその間も香を焚き、ケルピーを見据える。そして荷物の中から水筒を取り出し、一口含む。

 ここからは、長い戦いになる――そう覚悟して。


「……」


 他の魔物の襲撃に対して、アレスとベルガが対処する。

 アレスの攻撃でも怯まない相手には、ベルガが《火炎弾ファイアボール》を放つことで怯ませ、少し離れた位置まで吹き飛ばす。その間、ソラはケルピーを屈服させることを第一に行動する。

 それが、魔物売りとしてのソラたちの動き方だ。


「……そろそろかな」


 ケルピーの目がとろんとしてきたあたりで、ソラはケルピーの目の前へと干し肉を下げる。

 すんすん、とケルピーがその香りを嗅ぐと共に、ゆっくり口を開く。しかしソラはそのまま干し肉を下げて、自分の口へと入れる。

 ソラが手を出し、ケルピーに示す。そして指を下げると、ケルピーが口を閉じる。

 主従関係を、まず分からせるのだ。

 ソラが主で、ケルピーが従。示された手にケルピーはぶるるっ、と鼻息を鳴らし、そのまま目を伏せる。

 再び干し肉を鼻先に近付け、それでもケルピーは口を開けない。

 それを確認してから、ソラは「よし」と一言告げた。


「ブルル……」


 ケルピーはソラの手から干し肉を受け取り、そのまま咀嚼する。

 それからソラの差し出した手に対して、自分の頬をすり寄せた。ここまで至って、ようやくソラの仕事は終わりだ。


「よし。アレス、縄を外す。不測の事態に備えるように」


「ブモゥ」


 服従させた――そう確認して、束縛を解いてから魔物が襲ってくるということも珍しくはない。

 そのためアレスを壁に、慎重に縄を外していく。ケルピーの体が自由を取り戻して、それでもなお動かなかった。


「ふぅ……」


 根比べを終えて、ソラは大きく溜息を吐いてから笑みを浮かべた。

 状態のいいケルピーなら、金貨一枚くらいで売れるかな、と。

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