第8話 #7
「ご、ごめんなさい、ハルカさん。順番間違えちゃって」
「ううん、いいよ! それだけカケルくんがチハルのこと、聞きたいんでしょ?」
「い、いやっ! そういうわけじゃ……!」
ハルカさんは悪戯を思いついたように笑うのはクセなのだろうか。知り合ってまだ数時間ぐらいなのに、ハルカさんは、この不自然に左の口角が上がって笑う笑顔が印象に残っている。僕はそんなことを考えている余裕があるのに、スマートな返事をすることが出来ずにいた。
「カケル、慌てると自分の髪の毛触るんだよな。特に焦ってる時は後頭部の髪をシャカシャカするんだよ」
「へぇ。それはいいこと聞いたな。でもシャカシャカって何?」
「まぁそのうち分かるよ」
今度はチハルさんもハルカさんみたいにニヤッと口角を上げて僕を見た。ダイキはまた余計なことを話す。僕は絶対に髪の毛を触らないように意識した。すると、僕の頭の中でそれは突然閃いた。
「あ、チハルさん。分かりました」
「うん? 何が?」
チハルさんは、その大きな目を丸くして僕を見つめた。僕は咄嗟に目線が合わないように彼女の顎元に視線を逸らした。
「チハルさんのクセはありますか?」
「私のクセかぁ。どうだろ? ハルカ、分かる?」
「照れてたり、楽しんでる時は瞬きの回数が多くなる!」
「え? ホントに?」
「わりとガチだよ。知らなかった?」
「うん。約30年生きてきて今初めて知った。カケルくん、そうらしいです」
「な、なるほど。じゃあハルカさん、今のチハルさんは普段よりも瞬きの回数は多いですか?」
「いい質問だね! 控えめに言ってめっちゃ多いよ!」
「えー! 嘘だ! じゃあ私、1分で1回しかしないから」
「ハハ! そんなことしたらドライアイになっちゃうよ」
「だってクセってさ、言われたら抵抗したくならない?」
「まぁ分からなくもないけど」
「というわけで! 私の目元はあまり見ないでね! カケルくん!」
「それは見ててねって言ってるってことですか?」
「違うよ!」
僕らは全員同じタイミングで笑った。それぞれの笑い声が響き合っている。それぞれ違う声色で笑う声は、何だかみんなで歌を歌っているような気分になった。気がつくと僕も自然と笑顔になっている。久しぶりに人前で口を開けて笑っている気がする。
「あ、じゃあチハルさん、もうひとつ」
「何? 今度はオーソドックスなのがいいな」
「きょうだいはいますか?」
「おー。オーソドックスなのが来たね。うん、姉が2人いる。5つ上と2つ上。私は末っ子なんだ」
「3姉妹なんですね。末っ子感、全然無いですけど」
「そうなの。私、姉妹のなかで一番しっかりしてるっていつも言われるんだ。自分でもそう思ってるしね」
「兄がいそうだなって思ってました」
「ふふ。見事に外れたね。カケルくんは?」
「おれは1人ですね」
「へぇー。私は弟がいる気がしたなぁ」
「本当ですか? 初めて言われました」
「ホントだよ。カケルくんもしっかりしてそうだし。あ、ちなみにダイキくんは上がいるでしょ?」
「え? 何で分かったの?」
「ふふ。絶対そうだと思った。弟っぽいもん」
「マジかぁ。同学年じゃ兄貴分っぽいって言われてたんだけどな」
「ふふふ。けど私たち、年下の男の子は可愛いって思うよ!」
ハルカさんはチハルさんを見ると、2人にしか分からない会話をしたように目を合わせ合って笑っていた。
「あ、オレ当てようか? ハルカは弟がいるだろ?」
「お、すごいじゃん! 正解! ちなみに弟は28歳だからキミたちよりかは年上だね」
「すごいなぁ」
「ん? どうした? カケルくん」
僕は心の声が漏れていたようで、チハルさんは僕の声を拾ってそれを届けてくれたように僕を見つめてそう言った。チハルさんと目が合うと緊張するのは変わらないけれど、さっきよりかは落ち着いて話すことが出来そうだった。
「おれって、普段まず仕事以外の人とほとんど関わらないし、ましてや歳上の女の人と話したことだっていつぶりって感じで、今話している登場人物もチハルさんもハルカさんもみんなおれよりも歳上の人で。何だかこの時間の全部が初体験って感じです」
僕の言葉はちゃんと日本語になっていなかったのか、再び4人の間には沈黙が訪れた。けれど、その心配はすぐにかき消された。
「ふふふ。やっぱりカケルくんは歳下だ。何かもうペットみたいな感覚になっちゃう」
「ぺ、ペット? 絶対けなしてますよね」
チハルさんのその発言と笑顔は、僕の心臓を再び跳ねさせるには十分すぎる威力を持っていた。彼女は僕の言葉に対してゆっくりと首を横に振った。
「違うよ。可愛いなぁってことだよ」
僕の心臓の鼓動は徐々に、そして確実に上がっていく。生まれて初めて言われたその言葉は、なんとも言えないくすぐったさがあった。どういった反応をすればいいのか分からない僕の脳内は、文字通りパンクしたみたいに働かなくなった。
「ふふ。照れてるね」
「え?」
「髪。さっきのクセの話」
「あっ……!」
「ふふ。ホントに無意識なんだね」
気がつくと僕の右手は見事にうなじの所にあった。ダイキの言っていた僕のクセは、僕が思っていた以上に僕の中で浸透しているようだ。
「可愛いって言われたことないんで。褒めてるんですか?」
「もちろん。何で言われたことないのか逆に不思議だよ」
「オレはもちろんだけど、カケルも学校じゃカッコいいで通ってたからな」
「カッコいいも言われたこと無いんですけど」
「お前は鈍感だからなぁ! まぁその方がカケルらしいけど」
「何だそりゃ。ダイキ、たまに話盛ったりするからなぁ」
「へへ! まぁ今となっちゃそれも懐かしい思い出だ」
「学生時代かぁ! 懐かしいなぁ!」
ハルカさんがダイキの空いたグラスに再びあの飲み物を入れながら感慨深そうに頷いていた。
「じゃあさ! 次はハルカのこと、教えてよ!」
ダイキがカウンターから身を乗り出してハルカさんの顔の近くに自分の顔を近づけてそう言った。ハルカさんは動じることもなく、大きな口を開けて笑った。
「近いよ! ダイキくん! 聞こえてるし!」
「ハルカは学生時代、どんな生徒だったんだ?」
ハルカさんの声を受け流しながらダイキはその距離のままハルカさんに尋ねた。ハルカさんは持っている瓶の蓋を閉めながら視線を斜め上の方へ向けた。
「んー、一言で言うなら怖いもの知らずって感じかな?」
「うん。その表現がいちばんハルカらしいね」
「ヤンキーだったみたいな?」
「違うよ。真面目に授業受けてたし! 何だろ、友達は大切にしてたから、そこが傷つけられたら居ても立っても居られないタイプだったかな」
「友達想いなんですね」
ハルカは昔からカッコよかったんだ。と、チハルさんがハルカさんの肩に手を回してもう片方の右手でピースサインを作って僕らに向けた。それからひと口お酒を飲んでからだってね、と徐に口を開いた。
「私ね、学校の女の子たちに陰でよく嫌がらせされてたんだ。私、髪の毛が生まれた時からピンク色だったから色んな生徒に目をつけられてさ。先輩の女の人とかもいたなぁ」
「チ、チハルの髪、その色生まれつきなのか!?」
「……ふふ。そうだよ。信じられないでしょ」
「チハルの髪の色が地毛だって初めて知る人って、大体今のダイキくんみたいな反応するよね?」
「本当だよ。まぁしょうがないけどね」
「逆にカケルくんみたいに反応がない人は珍しい!」
僕は多分、感情がみんなには伝わっていないだろうけれど正直ダイキよりも驚いている。地毛がピンクの人なんかいるのだろうか。てか、チハルさんの顔もハーフと言われる方がしっくり来る。だが、仮にハーフだとしてもこんな幻想的な髪の色が地毛の人など存在するのだろうか。
「だからね、いつもハルカが守ってくれてたの。取っ組み合いの喧嘩とかもあってね、よく生徒指導の部屋に行ったりしてたんだ」
「あぁー! 懐かしい! その話! 私の意見を聞くつもりのない教師しかいなかったら心底嫌いだったなぁ! 特にトップの小宮山の顔! 今思い出しても殴りたくなる!」
「な、何か目の中に火が見えるぞ、ハルカさん」
ダイキも少し萎縮しているようで、呼び方が瞬間的に変わっていた。でも確かにハルカさんの目を見ていると、曲がったことは嫌いそうなイメージが出来る。この人の目の前に僕の職場の山中さんと対面させると、どんな化学反応が起こるのか素直に見てみたくなった。
「ハルカさんは、チハルさんにとって正義のヒーローみたいですね」
「うん。ホントにその通り。私の中では今もヒーローだよ」
「あはは! ヒーローも悪くないけど、私もしっかり女の子だからヒロインの方がいいなー!」
「んー、残念だけどヒロインの座は私がもらうかな」
「相変わらず負けず嫌いだね! チハル! じゃあ引き分けにしてダブルヒロインになっちゃおう!」
「お、アリだね。最近のマンガやドラマも主人公は1人じゃない作品も多いし」
ハルカさんとチハルさんは2人だけの世界に入って笑い合っている。ハイタッチを求めるハルカさんの顔は、しっかりと赤く染まっている。
「フフ」
「何? カケルくん」
「いや、何かおれたちにちょっと似てるなって思って。おれもよくダイキに助けられていたから境遇が似てるなって思いました」
「カケルくんにとってはダイキくんがヒーローってわけか」
「じゃあカケルくんもヒーローになっちゃってダブルヒーロー、ダブルヒロインで悪をやっつけようよ!」
学生時代、その猛威を振るい人々を魅了したのだろうハルカさんは右腕を高々と上げた。それを真似するようにチハルさんが右腕を控えめに上げた。
「ほら! ヒーロー勢! 何してんの! 同盟組むよ!」
ハルカさんはそう言ってさっきよりも目を大きく見開いて僕らの方を見た。
「悪って何のことだよ」
ダイキが呆れたように息を吐きながら笑って2人と同じように右腕を上げた。
「あとはカケルくん! キミも私たちの同士だよ!」
チハルさんが僕を見ながらそう言って笑った。僕はつられるようにチハルさんと一緒ぐらいの高さまで右腕を上げた。
「よし! これからこの4人で悪に立ち向かうよ!」
「だから悪って何だよ」
「んー?? 理不尽な大人とか? 私の髪の毛を地毛だと判断しなかった生活指導の先生とか?」
「ものすごく根に持ってますね、チハルさん……」
僕らの笑い声は絶えることなく店内に響く。4人でワイワイやっていると、いつの間にか僕の手にみんなの手が触れていて驚いたとともに、数時間の間にこの人たちととても距離が縮まった気がする。照れ隠しをするように視線を流して時計を確認すると、すでに4時間ぐらいこの空間にいることを知った。僕は驚きを隠しながらトイレの方へ歩き出した。仕事をしている時もこれぐらいすぐ過ぎていけばいいのに。本気でそう思った。それと同時にこの時間が終わってほしくない。本気でそう思って今さっき座っていた椅子の方へ戻った。グラスを確認すると、僕のグラスの中には再びオレンジ色の液体が注がれていた。
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