第7話 #6


 「つまり、ダイキくんとカケルくんは20年くらい一緒にいるってことだ?」


ハルカさんが大きな目をさらに大きくさせて驚いている。チハルさんは僕とダイキに興味があるのか、僕らの方をじっと見つめている気がする。直視は恥ずかしいので視界の隅っこでチハルさんの気配を感じ取る。


 「そうだな。よくよく考えれば人生のほとんどを一緒に過ごしてるな」

 「ほぼ夫婦みたいな年月だね」


チハルさんはそう言って、ふふっと笑いを溢しながらグラスに入った炭酸水を飲んだ。


 「男同士って喧嘩とかはしないの?」


ハルカさんが目を大きくしたまま僕を見つめた。


 「そうですね、おれは喧嘩とかしたくないって思っちゃうんで」

 「まぁ確かに。結構エネルギー使うからね」

 「この際、ダイキくんに不満に思ってることとかぶちまけちゃう?」


ハルカさんが、今度はからかうように笑って僕の方を見た。


 「うーん。何も不満に思うことはないですけどね。むしろ、おれの仕事終わり、ご飯に誘ってくれるしショッピングとかも計画してくれるんで助かってますよ」

 「カケルは昔から受け身体質だもんな」

 「えー! 男2人でショッピングとかめっちゃ萌える!」

 「ほんとほんと! この服は似合いそうだなぁ! とかやるの?」

 「あー、わりとやったよな? この前」

 「そうだね。それこそこの服もダイキに選んでもらったやつなので」

 「あ、そうなんだ! カケルくん、かっちりした格好してるから案外気合い入れてきてるのかと思ってた」


チハルさんが僕の全身を足元から目線まで眺めた。僕はその仕草ひとつで鼓動が荒れる。本当に心臓に悪い。


 「いや、むしろ気合が入ってるのはダイ……」

 「まあまあ! 綺麗な女の人と話すときはこっちもそれなりの格好をしないと! って思うじゃん?」


ダイキが僕の声を遮るように被せて言った。ダイキは不自然に笑顔を作っている。


 「そういうダイキくんは大っきめのパーカー着たりしてダボっとしたスタイルですけど」


チハルさんがニヤリと右側の口角だけ上げてダイキの方を見た。


 「これはオレの勝負服なんだ! ギャップ萌えを狙ってさ!」

 「そういうのって自分で言わないもんじゃない!?」


チハルさんとハルカさんが同じタイミングで口を大きく開けて笑った。


 「まぁそういう配慮は嬉しいよね、チハル」

 「うん。そうだね。私も美味しいお酒作らないとって思っちゃう」

 「チハルはお酒、作ってないじゃん」


ダイキやチハルさんの笑い声が響く店内は、僕の現実からかけ離れている空間に来たことを思わせてくれるようだった。久しぶりのお酒を飲んでいることも相まっているのか、僕も大分気分が良くなってきている。


 「じゃあそろそろ次はカケルくんの話ね」


チハルさんが目を輝かせて僕の方を見る。天井のシャンデリアが反射しているのか星空がそこにあるようにキラキラと光っている。僕はやっぱりそれを直視することは出来なくて目を逸らした。


 「そ、そうですね。何、話そうかな」


僕はしばらく考えていたが、やっぱり話す話題を見つけることは出来なかった。さっきまで賑やかだった店内が、空間が変わったように静かになった。僕は余計に焦って全く話をすることが出来ない。やばい。素直にそう思った。すると、


 「カケルくんってさ、ずっと敬語で話してるよね」


チハルさんが輝く目を向けたまま僕の方を見てそう言った。


 「あ、はい。2人とも歳上だし、何より初対面だし」


僕がそう言うと店内は嘘のように静まり返った。タイミングが悪く、ミクさんとヒデさんの会話も止まっていてエアコンが出している風の音だけが聞こえていた。僕は慌てて視線もあちこちに行った。すると、チハルさんがぷっと笑ってその沈黙を破った。


 「真面目だなぁ! 隣のダイキくんとは正反対だね」

 「ほんとに! そんな遠慮しなくていいんだよ! まぁ目の前にこんな綺麗なお姉さんが2人いるから緊張しちゃうのは分かるけど!」


ハルカさんはそう言って色気を表現しているのか、体を捻ってボディラインを強調するようなポーズを取った。


 「お前ぇらがそういうの言うのは10年早ぇよ」


ガハハと豪快な笑い声を店内に響かせながらヒデさんが茶化すようにそう言った。顔を赤くしたハルカさんがそれに対してヒデさんは黙っててと一蹴していた。


 「カケルくんは今、どんな仕事してるの?」


チハルさんは割って入るようにそう言って僕を見た。


 「おれは製造業の仕事をしてます」

 「へぇ。工場とか?」

 「そうです」

 「何作ってるの?」

 「車の部品です」

 「車、好きなの?」

 「いや、そんなにですかね」

 「仕事は楽しい?」

 「いや、楽しくはないですね」


チハルさんの一問一答形式のやりとりで僕は話題を広げることが出来ないまま質問に答えていく。僕のそっけない返答に対して、彼女は大袈裟だと思えるほど首を大きく動かして相槌を打っている。


 「お金のために働いてるとか?」

 「まぁそんなところですね」

 「チハル、カケルは夜勤もやってんだ」

 「そっかぁ。私たちと同じ時間、働いてるんだ。偉いね」

 「うーん、まぁ慣れてはきますからね」

 「夜勤ってさ、3時ぐらいの時間、時計見ちゃうと地獄に感じない?」

 「あぁ、まだこんな時間かってなりますね」

 「そうそう。早く朝日を拝みたくなるんだよね」


チハルさんは、うんうんと頷きながら手元にあるグラスに再び口をつけた。その時、僕は今だ、と思った。


 「チハルさんは何時まで働かれてるんですか?」

 「長い時は朝の8時半ぐらいまでここにいたりするよ。お客さん、寝ないで騒ぐ人とかたまに来るからさ。すごいよね、体力。素直に尊敬するよ」

 「でも、チハルさんもその人たちの相手をするんだったらずっと起きてるんですよね?」

 「まぁね。でも私は、話を合わせてお酒を作る時間がほとんどだからエネルギー消費量は少ないよ」


えへへと笑うその顔がさっきよりも赤くなっているように見えた。僕はその顔をまじまじと眺めることが出来ていた。見惚れてもいた。そして、チハルさんに質問出来た僕を素直に褒めたくなった。


 「おれは凄いと思います。それ」


話の流れでチハルさんを褒めてしまった。チハルさんの仕事は僕には到底出来ないことだと思った。同じ勤務時間でも僕が相手をしているのは機械だ。人間を相手にそんな長時間相手にするなんて僕にとっては神業みたいに思える。チハルさんは僕の目を見ると、またへらっと笑った。


 「何か久々にまじまじと褒められたなぁ。ありがとう」

 「いえ、素直に思ったので」

 「てかさ、今はカケルくんのことに対して知る時間だよ。私の話はいいから」

 「ホントだ! 気づいたらチハルの話になってた! カケルくん、もっとエピソード話して!」

 「え、えぇ。そうですね……」


何を話そうかまた考え込んだけれど、さっきよりも頭が落ち着いているのかすぐに話そうと思うことが思い浮かんだ。


 「ダイキとは中学、高校とバスケ部で一緒でした」


僕の声を聞いたチハルさんとハルカさんは同じタイミングで顔を見合わせて笑った。


 「そうだと思った!」


2人は声まで揃えてきたものだから、仲の良さが伝わってくるとともに何だか笑えてきて僕の顔も少し力が緩んだ。無意識のうちに歯を食いしばっていたみたいで力を抜くと奥歯の方に少し痛みを感じた。


 「だろ? よく言われるのがバスケやってそうと、その後決まりにくる流れがチャラそうなんだよ。外見で判断すんなって言いたいよ」

 「うん。ダイキくんはどう見てもチャラそうだよ」

 「いやいや。オレ、こう見えてめっちゃ真面目だから! まだ童貞だし」

 「いや、それは絶対うそだー!」


ハルカさんが手を叩いて笑ってからカウンター越しにダイキの右肩を軽く叩いた。


 「いやホントだから!」

 「はいはい。今はカケルくんが話す番だから。カケルくんもバスケ部っぽいよ。髪型とか」

 「髪型ですか?」


チハルさんは大きく頷いて僕の髪の方へ視線を向けていた。


 「いたって普通な気がするんですけど」

 「サラサラのマッシュヘアがさ、激しい動きをする時だけバサって髪の毛が逆立ったりしそうじゃん? 私、その瞬間がめっちゃ好きなんだよね」

 「いやそれ、チハルのフェチの話じゃん! カケルくん関係無くない?」

 「ふふふ。冗談半分だよ。けど、ダイキくんもカケルくんも身長が大きいからバスケ部って分かるよ。何センチあるの?」

 「ダイキが190ぐらいで、おれが181だった気がします」

 「2人ともデカすぎでしょ! 私たち、ヒール履いてるけど見上げちゃうよ」

 「無駄にジャンプばっかりしてたもんな」

 「そうだね。ジャンプ力を鍛えるメニューがやたら多かった気がする」

 「すごいなぁ。シンプルにプレーしてるとこ見てみたくなっちゃう」


不意にチハルさんがシュートフォームを表現したようなぎこちない動作を見せた。下ろした右手が彼女の手元にあったグラスに当たってテーブルから落としそうになって慌てていた。この人はある意味、あざとい。たが、許せてしまう。そう思えるほどに可愛く思える。


 「あはは。危なかった。慣れない動きはするもんじゃないね」

 「チハルはよく皿とかグラスとか割っちゃうもんね」

 「そんなに割ったことないでしょ?」

 「いやいや。先月5枚以上は皿割ってるから」

 「嘘だ。私の記憶にはございません!」

 「都合のいい記憶だね」


じゃれあう2人を見ていると、自然とまた顔が緩んだ。


 「今度はチハルさんの話が聞きたいです」

  

いいよ、ハルカの番だけどカケルくんの指名だから私が先にしてあげる。彼女はそう言いながら目にかかっている前髪をゆっくりとかき上げた。

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