第9話 #8
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『すなっく緋色』を出る頃、時計は既に2時を過ぎていて新聞配達をしているバイクの音が僕らの帰路を急かすように鳴り響く。仕事ではこんな時間でも起きていることはザラにあるけれど、誰かと一緒に過ごしているのは初めての体験かもしれない。ましてやこんなに光り輝く街を歩いているのなんて、先月の僕には想像もつかない光景だろうな。
「いやぁ、楽しかったな! さっきのスナック!」
「そうだね。まさか、あんなに長い時間滞在することになるとは思わなかったけどね」
「いやー! もう1回、あの店に入った時間帯に戻ってくんねえかな!」
深夜なんてお構いなしにガヤガヤと騒ぐ街並み。それに溶け込むようにダイキの声は消えていった。僕とダイキはタクシーを待ちながら他の建物やぞろぞろと歩いている男の人たちの姿を青色のベンチに座って眺めている。
「ダイキ、本当に車1日止めてくの?」
「あぁ。アルコール抜けたらまた戻ってくるよ」
「なんか悪かったね」
「いいんだよ、オレも飲みたかったしそもそもこの街に誘ったのはオレだしな! 気にすんな」
「う、うん。ありがとう」
「おう」
ダイキの爽やかな笑顔を見ていると、顔も心もイケメンだなぁと改めて思えた。本人に言うと調子に乗るから絶対に言わないけれど。
「そういえばダイキとハルカさん、何か今日が初対面じゃないくらい馬が合ってたね」
「そうなんだよ! オレも話しててそう思った! ハルカの連絡先聞けたからオレはそれだけで十分だよ!」
「ダイキが女の人に連絡先聞くの、意外だね。いつも聞かれてそうなのに」
「まぁ確かに聞かれる方が多いな。けど、ハルカは絶対オレから聞こうって思ったんだよな。何でか分かんねえけど」
「よっぽど気に入ったんだね。良かったじゃん」
「そういうカケルもチハルといい感じだったじゃん」
「い、いやいや! 世間話してたぐらいだったし」
「多分お前は気づいてないと思うけど、チハル、結構お前のこと見てたぞ」
不意に放たれたダイキの言葉。それを理解するのに時間はかからなかった。けれど、それを理解するほど体は熱くなり心臓の鼓動は速くなっていく。
「ダイキのことだって見てたでしょ、チハルさん」
「何かな、見ている時の表情が違う気がしたんだよ。オレの話を聞いてる時はニヤニヤしながら笑う準備をする顔。みたいな。んで、カケルの話を聞いてる時は、恋してるみたいにうっとりしているような顔になってたんだよ」
「そ、それはダイキ、期待値上げすぎだから」
「まぁまだ知り合ったばっかりだしこれからだよな! カケルもチハルの連絡先聞いたのか?」
「い、いや。聞いてない……」
ちゃっかりダイキはハルカさんと連絡先を交換していたのを今さっき聞いていた僕は、本気で後悔している。僕にチハルさんの連絡先を聞く勇気があれば。ダイキみたいに積極的な行動が取れていれば。ダイキではないけれど、僕も叶うならさっきの店に入店した時間に戻ってほしい。そしてもう一度初めから、彼女を見つめたい。しばらく余韻に浸っていると、呼んでいたタクシーが僕らの目の前に停まり、ダイキと一緒に乗り込んだ。帰路を進んでいくと、徐々に夢から現実に戻されていく感覚になって体がずしりと重くなった気がした。
「ダイキ」
「うん?」
「今度またあのスナックに行かない?」
僕は自分の口からそんな言葉が出るとは、半日くらい前までは思ってもいなかった。僕の言葉を聞いたダイキは思いっきり口角を上げて笑った。
「絶対行こうぜ。何なら毎週末の恒例にするか?」
「あぁ、良いと思うけどシフトによっては夜勤とかも入るからなかなか難しいかもしれない」
「そっか。夜勤もあるんだもんな。また調整しようぜ。2人のあの感じだと、店が開いてる日は2人とも出勤してそうだしな」
「スタッフは数えるぐらいみたいなこと言ってたもんね」
「まぁでも良かったよ、今日」
「そうだね。ダイキもハルカさんと知り合えたしね」
「まぁそれもあるけど、今言おうとしたのは違う内容」
「え?」
「ダイキの顔色、だいぶ良かったからさ」
「か、顔色?」
「そう。前も言ったと思うけどさ、お前の顔を見てたら何か危ない気がしたんだよ。変なこと考えてないといいけどなぁ。みたいに思ってさ。生気が無くなってるみたいな感じだった」
「うん」
心当たりはある。とてもある。僕はダイキの声に耳を傾け続ける。
「でも昨日と今日のお前見てたら、だいぶ安心した。あぁ、前のカケルの顔に戻りつつあるなって。それに、可愛い女の子にも気に入られてたしな!」
「き、気に入られてないって!」
「ハハ。車内は静かにしろよ。カケル。公共の場だぞ」
「う……。ダイキがそういうこと言うから」
「けど確実にチハルもカケルと喋ってて楽しそうにしてたよ。オレ、仕事柄色んな人間の表情を見たりするけど、あのチハルの顔は良い表情してた」
「そ、そうなんだ…….」
「だからさ! カケル! 今度はお前も連絡先、聞けよ! 仲良くなったら4人で出かけたりするのも楽しそうじゃん」
「ま、まぁね。いつかね」
酒が回っているのが影響しているのか、僕は普段よりも口数が多い。ダイキも楽しそうに話すものだから、話題は尽きることなくダイキが降りる場所の目的地に着いた。また近いうちに会う約束をしてダイキはタクシーから降りていった。僕だけを乗せてタクシーが再び動き出した。僕はスマホの画面を開くと、『すなっく緋色』を出る前に記念に4人で撮った写真を見返していた。4人ともいい感じに仕上がっているようで、全員へろへろとした表情をしながら赤い顔で笑っているのがそこに写っている。空から舞い降りた天使のように美しく映るチハルさんが僕の隣で笑っている。僕はこの写真を一生見ていられる気がした。そんなことを思いながら写真を眺めていると、僕が運転手に伝えた場所に到着していた。
家のドアを開けて中へ入ると、毎日使っている柔軟剤や髪を整えるために使ったヘアスプレー、家を出る前に使った香水の匂いが僕を現実世界へ戻すように漂ってきた。僕はタバコのにおいを纏った服をそのまま洗濯機の中へ入れ、部屋着であるグレーのスウェットに着替え、普段のルーティンである洗顔と歯磨きを終えてからベッドの中へ潜り込んだ。電気を消して目を瞑ると、僕の脳内はテレビの電源が勝手に入ったように様々な光景が頭に浮かんだ。七色に光っていたあの街を歩いていた時、僕とダイキの目の前には男女問わず、群れを作ってじゃれ合っている光景を見た時。あと、『すなっく緋色』にいた時、そして、チハルさんの目を見て話していた時。僕にはどの瞬間も初めての経験で、とてつもない冒険をしてきた気分だった。
「今日と昨日は、久々にいい日だったな」
1人だからこそ漏らすことの出来たその声は、あっという間に消えていって僕の部屋の空気になった。窓の外から聞こえる小鳥の囀りが朝の訪れを急かすように聞こえ、僕は光が部屋に入ってこないように真っ黒なカーテンで部屋全体を覆い、異なる世界線の夢の世界へ飛び込むように目を閉じた。このまま現実世界から離れて、さっきみたいな時間を過ごしていたい。生きている時間も仕事のない夜の時間だけでいい。それか、数少ない友人と一緒にいるだけでいい。それ以外は、うん。生きていたくはない。僕は現実から逃げるように意識が遠のいていった。
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