第2話 白瀬さんの言葉

 社内5階の休憩スペース。自販機の前に簡易型ベンチが置かれただけの場所。

 だが、ここが今の上木にとって唯一、こころやすらぐ場所だった。


 缶コーヒーを1本買い、一息つく上木。

「はぁ・・・」と、溜息を吐き、コーヒーを一口だけ飲む。

「向いてないのかな・・・?」

 嫌でも思い出す田中課長との面談。あの体育会系の態度。他の社員でも、田中課長が苦手な人は多いと聞く。逆に田中課長を好きな人や、気が合うという人がいれば会ってみたい。いや、そんな人には会ってみたくない。前言撤回。


 今更ながら、大学時代にもっとしっかり就活をすべきだった。

『後悔、先に立たず』と言うが、その『後悔』には、ぜひさきに告知して欲しかった。こんなことなら、バイトの方が今より良い仕事があるのではないか?そんなことさえ考える。

 人と会話することに抵抗感はない。が、それ以上のことができない。広告代理店に勤めるからには、単純に会話する以上のスキルが求められる。プレゼンや、先方との交渉。やるべきことは多い。

 最初は何とかなるだろう。そう思っていた。それが大きな間違いだと気づくには時間がかからなかった。

 同期入社の社員達は徐々に成果をあげていた。そんな中で、自分だけが取り残される。それがどんなに苦しいことか。


「上木君」

 不意に女性の声がした。それに反応し、顔をあげた上木。

 すると、自販機の前に黒髪のショートヘアの女性がいた。歳は上木と同じ20代。大きな瞳が特徴的で、端麗な容姿と少し長身で、いかにも『仕事のできる人』というオーラを出している。事実、この方は仕事ができる人なのだ。


白瀬しらせさん」

「元気ないね、上木君」と、言い彼女は交通系ICカードで缶コーヒーを買った。

 白瀬しらせ心花このか。それが上木の目の前にいる女性の名前。彼女は上木の同期社員。成績はトップクラスで、田中課長といわず、部長や社長からも一目置かれている。上木からすれば高嶺の花なのだ。


「また、田中課長に何か言われたのね?」と、尋ねてきた白瀬さん。

 恥ずかしくて顔を下げる上木。すると、白瀬は上木の隣に座った。まさか、彼女が自分の隣に座るなんて思っていなかった上木。緊張して顔が強張る。

 そんな上木の様子を見た白瀬。


「田中課長って苦手・・・」

 白瀬は缶コーヒーを開けた。

「えっ・・・?」

 上木は白瀬を見る。

 彼女は買った缶コーヒーを一口飲んで、「美味しい」と呟く。


「人間はね、頑張ってできることには限りがあるの」

 白瀬は上木を見て微笑む。

「『限界ボーダーを作るな』って言う人が世の中にはいるけど、それって暴言だと思うのよ、私」

「・・・」

 黙って白瀬の言葉に耳を傾ける上木。

「私は、派の人間だから」

 白瀬の言葉に思わず胸が詰まる上木。涙ぐみそうになるのを、歯を食いしばって堪えた。


 残ったコーヒーを一気いっきに飲み干す白瀬。

「アドバイスね。頑張ることよりも、自分の弱点を見つけること。そして、自分の得意も見つけること。自分を探すなんて大嘘よ。やるべきことは、自分と向き合うこと。そっちの方が上木君のためになるから」

「ありがとう、白瀬さん・・・」

 無理に笑ってみせる上木。


「さて、田中課長と向き合ってきますよ!好きじゃないけど、相手にとって不足無しってね。私も面談なんだよ、今日」

「そうだったんだ。頑張って―」と、言いそうになった上木。だが、すぐに訂正し、こう言う。

「白瀬さんの底力を見せてよ。応援する」

「ありがと」

 白瀬さんは空き缶を投げる。缶は景気よくリサイクルボックスに入った。

「幸先がいいね」

「本当に。じゃあ!行ってきます!」

 白瀬さんは休憩スペースを離れた。


 それを見送る上木。遠くなる白瀬さんを見つめながら彼はこう言った。

「本当、俺って不器用だな・・・」

 もっと気の利いたことを言いたかったが、あれが今の自分の精一杯。

「さて、僕も仕事をしなきゃ・・・」

 上木も残った缶コーヒーを飲み干すと、缶をリサイクルボックスに投げてみる。

 残念ながら、缶はボックスの淵に当たって、床に落下した。

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