誓い

 ミューズ達はティのために住みよい屋敷にしようと奮闘した。


 ドアノブはティが前足を掛けるだけで開くものに替え、玄関付近に足を洗う水桶とタオルを用意しておく。


 スカーフを用意して使用人がそれぞれ刺繍をして、ティにつけた。


 ミューズも刺繍したものを贈ると、とても喜んでくれて外すのを嫌がっていたくらいだ。


 自慢のたてがみも使用人に触らせたりと距離を縮めていく。


 ミューズがいなくてもティに触れられる者も増えた。


「ティタン様が皆と馴染んでよかったのです」

 護衛騎士のルドとライカが来たおかげで、変な商人や強盗を画策する者も減っていった。


 時には力仕事のお手伝いをする二人を、使用人達もすぐに信用してくれた。


「これ、どうかしら?」

 部屋に呼ばれたマオにミューズが見せてくれたのは、子どもが勉強で使うような文字盤だ。


 とても大きなサイズで書かれており、見やすい。


「だいぶティ様の感情はわかってきたのだけれど、やはり細かい事は伝わりにくくて。これがあればわかりやすいかなと思ったの」

 布に書かれているため、丈夫で持ち運びしやすい。


「ティ様はこちらの言葉がわかっているので、文字を覚えれば会話出来るかもと思って」

 ミューズはティが人間だと知らないため、文字が読めるとまでは思っていないようだ。


 すいすいとティは前足で文字を選んでいく。


『あ、り、が、と、う』


「ティ様は文字も読めるのですね! すごいです!」

 長い文章では伝わりにくいだろうと、ティはゆっくり言葉を選んでいる。


『いつも感謝している』


「こちらこそ、私達を助けてくださり感謝しています。ティ様と会話が出来て嬉しいです」

 ティはマオをちらりと見ると、マオは「ゆっくりとティ様とお話してほしいのです」

 と退室していった。


 心を通わせるのは存外早そうだ。


『はじめ俺がこわかった?』


「会う前は少し怖かったのですが、会ったらとてもふさふさで優しい目をしていて、怖くなかったです。今ティ様といられて、とても嬉しいです」 


『俺も嬉しい』


「ふふふ、両想いですね」

 ティの頭に触れて撫で撫でする。


 柔らかなたてがみがミューズのお気に入りだ。


『俺の事は好き?』


「もちろん好きですよ。ずっと一緒にいたいくらい」

 契約書でもティと添い遂げてほしいとあった。


 誰かと結婚するくらいなら、ここでティと共に過ごしたいと思っている。


「私はずっと堅苦しい勉強ばかりでした。今のようにのんびりとティ様と過ごせるのは、とても幸せで嬉しいことです。しかし、残して来た領民達の事は気になります」

 カレンと結婚したユミルが領を継いだのだろうが、今どうなっているかミューズにはわからない。


『ユミルに未練はある?』


「まさか! あるはずがありません。確かに婚約者候補として何回かお話しましたが、彼は妹を選びました。好きという気持ちは、これっぽっちもありません」

 全力で否定する。


「それにユミル様はこの目も厭うておりましたので、結ばれるなど絶対にあり得なかったと思います」

 ミューズのオッドアイは他人からしたら不気味らしい。


 何度それでいちゃもんをつけられたか。


『俺はきれいだと思うよ』


「ありがとうございます。ティ様くらいですよ、そのように言ってくださるのは」

 ふわりと哀しげに笑うので、ティはミューズの手を優しく舐める。


「慰めてくださるのですね、ティ様は本当に優しい。私も自分の目が少し好きになりました」


『これからは俺がミューズを守るから安心して』

 キリッとした目で見つめられ、ミューズはほっこりする。


 ティは恐い猛獣どころか、頼りになる騎士だ。


 ミューズはその身をティに預ける。


「うれしいですわ、ティ様……」 

 おずおずとティはミューズの鼻に自分の鼻先をちょんとつけた。ひんやりと湿った感触がした。


『愛してる』


「まぁ!」

 驚いて両手で口元を覆ってしまった。


 まさかティから愛の告白があるとは。


 恥ずかしさなのかティは顔を両手で覆い、伏せてしまった。


 耳を見ると赤くなっているのがわかる。


「私も愛しております。ずっとお側に置いてください」

 二人はどちらともなく抱き合い、チェルシーが呼びに来るまで寄り添っていた。




『ミューズに愛を伝えた! 俺を愛していると返事もしてくれた!』


「落ち着いてほしいのです、早くて読めないのです」

 皆が寝静まった深夜にティはマオの部屋に来た。


 あの文字盤をマオの部屋にも置いたのだが、前足が忙しなく動くだけしかわからず、文字を把握出来ない。


 ふんふんと鼻息が荒く、興奮しているのだけはわかる。


「で、元は人間だと伝えましたか?」

 その言葉に耳がぺたりとなり、目の光が弱くなる。


『まだ言ってない』


「ですよね」

 あくまでミューズは獣のティが好きで、人間のティタンは知らないのだ。


 そこをどうするかが今後の課題だ。


「受け入れてくれればいいのですが、もしも受け入れてくれない時は……」


『ムリ。俺死んじゃう。もうミューズ以外考えられない』

 床に伏せ、ぱりぱりと絨毯で爪研ぎをしている。


「僕の部屋で爪研ぎははやめてほしいのです。八つ当たりダメです」

 ふぅっとため息をついた。


「まずはティタン様を知っているか、それとなく聞いてみるのです」



「第二王子のティタン様ですか? もちろん存じておりますよ、私が社交界デビューをした際に、お外の警護をしていたところ見惚れていたら、色々なお話をして頂きました」

 お恥ずかしい、とほんのり頬を赤らめ、思い出しているようだ。


「あの頃の私は騎士様に憧れておりました。たくましい筋肉、鍛え抜かれた身体……素晴らしいですよね。ティタン様とはその日しか会話ができなかったのですが、とても誠実な方というのが伝わってきました」

 パートナーのいないミューズはダンスの時間が嫌で、ずっとそばで話をしてもらっていたのだ。


 目の色の事で好奇の目に晒されるのにも、疲れてしまっていた。


「とても優しくお気遣い頂きました。会場を勝手に離れた私を怒る父からも、自分が引き止めたからだと庇ってくださいましたの。学校ではエリック様派が多かったのですが、私にはティタン様が一番でした」

 嬉しそうに話すミューズに対して、マオは沈痛な表情をしてみせた。


「そのティタン様なのですが、現在病気にて療養されていると公式で発表されてるのです」


「そんな!」

 知らずにいたのだが、そんな大変な事になっていたなんて。


「そんな忙しい時に、私のために時間を割いて頂いていたなんて……本当に申し訳ないです。ティ様のお世話以外にも何かお返しできることがあればいいのですが」

 おろおろとしてしまうミューズに、ティが安心させようとすりすりとする。


「もしやこのティ様は、ティタン様の友達なのでしょうか? それならば、王族の方がとても大事にしている理由がわかります。きちんと世話が出来る方を必死に探していたのも、ティタン様の為になりますものね」

 ぎゅうっとティを抱きしめ、慰めるようにたてがみを撫でた。


「安心してください、ティ様。きっとティタン様は無事にティ様も迎えに来ます。私が知っているティタン様は、とても誠実で実直で真面目な方でした。けしてあなたを一人にしませんし、私もついております。だから元気を出してください」

 ティが顔を赤くし、恥ずかしさで虫の息になっていた。


 マオが助け舟を出そうかとしたが、面白そうなので止める。


「ティタン様のことはお好きですか?」

 寧ろ煽った。


「そうですね、お慕いしております。私が会ったどの殿方よりも素晴らしいお方です」


 (早く元気になってもらいたい)

 きっと元気になれば三人で仲良くなれると思うし、ティとも離れずに済むと考えたのだ。


「では婚約を結ぶ手続きをします。ミューズ様は間もなく成人とされる十八歳ですね? 決定権も大丈夫なはずです」


「えっ?」

 ルドを呼び、すぐ王家に伝達するよう伝えた。


「今すぐ準備させて頂きます。ミューズ様、ティタン様をよろしくお願いします」

 ルドが目を潤ませ、深々と頭を下げた。


 尊敬する主人が幸せになるのだと聞き、涙がこみ上げたのだろう。


 廊下では聞いていたライカも男泣きしている。


「待ってください、あの、ティタン様に婚約者は……」

 唐突に進む話にミューズはついていけなかったが、そこだけはとマオに確認した。


「いません。ずっと片思いの方がいたのです」

 だが、彼女は嫡子でティタンは騎士団に務めていた。


 彼女が欲していたのは側で支えるパートナーだ。


 婚約者候補の男性もいると知り、ティタンは恋心を封印していたそうだ。


「その方が結婚したら諦められるだろうと、それまでは特定の婚約者を持つのは相手に失礼だと、断っていたそうです。第二王子なので、国内外問わず話はあったのです」


「そうでしたか……」

 しかし、婚約者を探すどころか病気になってしまい、下手したら治らないかもしれないと言われてしまった。


「求婚してきた令嬢に現状を伝えると、皆にお断りされたのです。実際にお目通り頂いた令嬢達も、皆逃げてしまったのです」

 お目通りということは、病気をおして会ったのだろうか。


「ティタン様の容態は? お目通り出来るくらいなのですか?」


「会うことは出来るのです。ただ容姿が変わってしまったため、多くの令嬢は受け入れられなかったみたいなのです。ミューズ様は大丈夫だと思いますが」


「ティタン様はとても心優しい方でしたもの、多少容姿が変わったからといって魅力が減るわけではないと思います」

 自分の目も受け入れてくれた人だ。


「人を見た目でどうこう言うなんてことは致しません。ぜひ、私もティタン様に会いにいこうと思います」

 あの時に助けて頂いたのだから、せめて少しは心を軽くしてあげたい。


「だそうです。どうします?」

 マオは相変わらず伏せているティを、ぽんぽんと叩く。


「私と一緒にティタン様のもとに行きましょう。二人で会ってティタン様に元気になってもらいましょう」

 ニッコリ笑顔のミューズに、ティは『うん』とだけ伝えて倒れてしまった。


 もはやキャパオーバーだ。

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