言葉にしても伝わらない

束白心吏

言葉にしても伝わらない

「愛してるゲームをしましょう」

「……何それ?」


 二学期が始まって早数日。夏休み明けのテストも終わり、気も抜けた頃の夜。交際していて現在お家に招いている女性、津木華つきはな咲姫さきが、風呂上がりの俺に対して突然そんなことを言った。


「愛してるゲームというのは愛しているとお互いに言い合うゲームです」

「それ何て構文かな」


 夏に頭をやられたかな? なんて思ったけど素面で言っている可能性も否定できず、まずはソファーに隣り合わせに座ることにした。そしてやろうと思った経緯を説明してもらった。


「私、聞いたんです。仲のいい恋人は『愛してるゲーム』を常日頃からやっている、と!」


 効果音が聞こえてきそうなくらいに堂々と胸を張って断言する。

 同時に女性特有の膨らみも揺れて、視界が下を向きそうだったので、頬を掻きながら明後日の方向に目を向ける。


「いや……それ、バカップルだけだと思うけど」

「なら尚更やりましょう!」

「なんで!?」


 どこに燃料投下の要素があったの!?

 咲姫は興奮気味に口を開く。


「バカップル、将来絶対に結ばれるカップルってことですよね!」

「人目を気にせずどこでもイチャつく人たちのことだからね!?」

「それもいいですね!」

「よくないよ!? TPOは弁えてようか!」


 駄目だ暴走が止まらない……というか誰よ彼女にそんな誤解を植え付けたの――俺知ってるかもしれないわ。


「……ちなみに、それらの知識って友人から仕入れたヤツとか言わないよな」

「! もしかして以心伝心って言うものですか!」


 更に目をキラキラさせて咲姫は言う。大当たりっぽいぞ。

 この常識知らずなお嬢様、割と友人の言葉ならすぐ信じる傾向にある。それだけ信頼できる相手なのかもしれないけど、悪用されてることを……迷惑被ってるの俺だけだから悪用じゃない? 冗談でもその判断は負けを認めてる気がするから止めようか。


「取り敢えず、風呂入らないの?」

「一回やったら入ります!」

 あ、これ絶対にやらないと入らないって言うやつだ。


■■■■


 一通り『愛してるゲーム』のやり方を教わった俺は、ソファーの前で正座して咲姫と向かい合う。咲姫もまた正座している。雰囲気に流されるような形でこの姿勢になった。何故だかは俺にもわからない。


「始める前に罰ゲームを決めましょう」

「愛してるゲームに勝ち負けあるの……?」

「先に照れたり笑ったりしたら負け、らしいです」

「曖昧だなぁ」


 笑うのもアウトなのかぁ……でも照れるよりわかりやすいし、照れるのみが敗北判定よりはマシなのかも?


「それで、罰ゲームを決めましょう」

「いいけど……必要か?」

「必要です!」


 咲姫は上体を前に乗り出して熱弁をふるう。何でも、罰ゲームがある方が真剣さが増して楽しめるのだとか。なお咲姫の友人が情報ソースとのこと。


「どういうのがいいんだ?」

「お互いにフェアなのは絶対ですよね……あ、敗者は勝者の命令を一つ絶対に聞く、というのはどうでしょう?」

「いいけど……変な命令はしないでくれよ」

「それは私のセリフです」

「いやしないからね!?」


 熱意に流されるようなかたちで罰ゲームも決められ、じゃんけんで先攻後攻を決める。最初は俺になった。


「愛してる」

「本当ですか?」

「愛してる」


 咲姫が疑ってかかってくるのはこの愛してるゲームのルールの一つだ。「愛している」という言葉に対して何か返事をしないといけないらしい。なおその返事にも「愛している」としか言えない。

 知れば知るほどバカップルのやりそうなゲームだなって思った。


「愛してます」

「もう一度言って?」

「愛しています」

「……」


 このやり取りを繰り返すだけ、それが「愛してるゲーム」というものらしい。


「むぅ……全然照れてくれませんね」

「咲姫だって照れちゃないだろ」

「私は……」

「? スマン。聞き取れんかった」

「何でもないです」


 なお今回は同じ返事は駄目というルールも追加されている。暗黙の了解かもしれないけど、明文化してかつ負けの判定を追加することで可及的速やかにこの悪しきゲームを終わらせ咲姫が風呂に入るよう促そうとしているのだ。

 余談だが、現在夜の10時である。


「愛してる」

「本当ですか?」

「ああ」

「じゃあ、キスしてください」

「はぁ!?」


 二回目の俺の番、咲姫の予想不可能な返しに思わず素っ頓狂な声が漏れた。

 こちらの動揺をよそに、咲姫は目を瞑り唇へのキスを待つかのような姿勢になって、俺に更なる追い打ちを仕掛けてくる。

 あ、あれ? 俺、愛してるって返せばいいんだよな? その前に催促された事ってやるんだっけ?

 急いで先程の記憶を掘り返す。

 しかし残念かな。俺の記憶力はそれほどよくないし、さらっと思い出してみても行動に移すかを言及する部分はなかった……たぶん。

 でもまあ、咲姫がこうしてスタンバイしてるんだし? する……だよな? してから「愛してる」と言えばいいのか? 想像するだけでもくっそ恥ずかしいな!?

 やっぱこれやるカップルはバカップルだわ……とやってる自分達もその内に入っている可能性から目を瞑って内心愚痴る。

 とはいえやらねば続かない。俺は意を決して顔を咲姫に近づけていく。近づくに比例して心臓の音が煩くなってくる。耳まで熱い。負けだよなぁとは思うけど、一矢くらいは報いたいというちっぽけなプライドで迫り──


──ピロン♪


 ──スマホの通知音で我に帰った。

「──あ、私のスマホですね」

 ちょっと見てきます。と断りをいれて咲姫は席を立つ。それで気が抜けたのか、俺は自然とソファーに上体を倒した。

 これ、俺の負けだよなぁ……自分でもわかるくらいに照れてるし、顔まで熱いったらありゃしない。



「それじゃあ続きを──あれ? どうしたんですか、知流ともる君」


 長く感じたメッセージのやり取りを終わらせて咲姫が戻ってきた。顔を向ければ、俺の格好を見てこてんと首を傾げていた。


「俺の負けですってポーズ」

「……別に、席外してる間に笑ってもカウントしなくていいですよ?」

「そっちじゃないから。照れたからだから」

「それもですよ……」


 また、小声で何事か呟いた。この流れで何だ……?


「違うよ。咲姫が目を閉じてる時、普通に照れたから、俺の負けってこと」

「照れたんですか?」

「そりゃあ、まあ」

「具体的にはどのあたりですか?」

「お、押しが強いな……」


 それこそ顔がくっつくのではないかと思うくらい咲姫は近づいて聞いてくる。その目は俺の言葉の続きを楽しみに待つかのように輝いている。

 言うのは恥ずかしいけど……ここで言わなかったら俺のポリシーに反する。深呼吸を一つして、ゆっくりと口を開いた。


「愛してるって言うのもだけど、キスしてって言われた後の咲姫の表情がその……可愛すぎて、キスするのを想像しただけで、限界だった」

「そ、そうですか……」

「……」

「……」


 沈黙が流れる。気まずい。非常に気まずい。引かれてないか? 怖くて咲姫の顔も上手に見れない。


「あ、その、じゃあ私、お風呂に入ってきますね!」

「あ、ああ! ごゆっくり!」


 咲姫の声量に感化されたように、俺も大声で返して後ろ姿を見送る。

 心なしか、咲姫の黒髪から少し覗いていた耳は真っ赤に染まっているように見えた。


■■■■


「それじゃあお願いしまーす♪」


 風呂上り。咲姫は律儀にタオルを渡して無邪気に笑い、俺の足の間に座ってくる。

 仄かに香るシャンプーの匂いに平常心をかき乱されそうになりながら、俺は咲姫の髪の毛を丁寧に拭いていく。なお、これが咲姫の命令である。


「ふふっ」


 大人しく髪を乾かされていた咲姫は突然笑い出した。


「きゅ、急に笑ってどうした?」

「……数か月前の私なら、こんな関係になって、こんなことするとは夢にも思わなかっただろうな、って」

「あー、それは確かに」

「懐かしいですね……」


 咲姫は窓の外に視線を向ける。カーテンと網戸越しに夜を明るく照らす丸い月がくっきりと見える。

 思い返せば、咲姫と初めて話したのはこの頃の、こんな日の夜中だった。今でも鮮明に思い出せる。深夜のコンビニから帰る途中に通りかかる公園のベンチに人影が見えて、確認したらうなだれて座っていた咲姫の姿を。

 だけどそれを俺達は語って振り返ることはしない。ただ、各々で思い出すだけ。

 そうして思い出している内に髪を乾かし終わった。咲姫はタイミングよくこちらに振り向く。


「ありがとうございます。とても癖になるような心地よさでした」

「そりゃよかっ――ん!」


 突然、咲姫が俺の口を塞いだ。

 それがキスだと理解するのにそうそう時間はかからなかった。しかし理解した頃には咲姫は顔を離していた。


「髪を乾かしてくれたお礼です。ドキドキしました?」

「……スッゲーしました」


 色香漂う笑みを浮かべる咲姫に素直にそう告げると、全身をこちらに振り向かせて抱き着く。


「そうやって素直に言ってくれるところ、大好きですよ」

「俺も、そうやって素直に好意を告げてくれるところ、好きだよ」

「ふふふ……あ、知流君の心臓、凄いドキドキしてますね」

「……恥ずいんで指摘するの止めてもらっていいですか?」

「私も恥ずかしいからおあいこです」


 隠すように俺の胸に顔を埋める咲姫は、耳まで真っ赤にしながらそう言った。

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