第26話

「夏の大会に出られないってどういうことですか?」

 城ヶ崎は藤宮の言った言葉に驚き、反射的に質問していた。高校3年の夏の大会、それは多くの運動部に所属する高校生にとって特別な意味を持つ。まさに高校生活の集大成、青春を凝縮させたような単語なのだ。それを証明するように毎年全国各地で様々なスポーツの全国大会が開催されるが、特に有名なのは甲子園だろう。試合がある日には常にネットニュースに途中経過が載っており、その日の夜には試合のハイライトや対戦校の特色、裏方の苦労などが特集されている。そして選手たちの活躍などを見て視聴者は画面の前で彼らを応援し、時に涙を流すのだ。それほど特別な高校最後の大会に出られないとはどういうことか、藤宮は悔しさややるせなさを滲ませるように語り始める。

「あたし、前に靭帯やっちゃってさ。もう治ったと思ってたんだけど最近また痛くなってきてるんだ。医者に診てもらったらまた再発するって言われて、春の大会まではバレーボールをやってその後は治療に専念することになってんだ。」

 そう語る彼女の口調からは夏の大会に出られないことへの諦めが感じられた。それほどまでに靭帯の怪我というのは恐ろしいものだと城ケ崎は分かっていたし、左隣に座る鹿島もえっ、と声を上げ、藤宮のほうへ同情するような視線を送っている。彼女も怪我が原因でバレーボールを辞めたゆえに何か思うところがあるのだろうと城ケ崎は推測した。

「春の大会に出ないで足を治してから夏の大会に出るのはダメなんですか?」

 冴山が聞きたくなるのも当然だった。靭帯の怪我は治るものだ。しかし、仮に治療に時間を割けばどうなるか城ケ崎はなんとなく察していた。

「そうするとレギュラーになれないだろうな。あたしがいない間に新チームができてそのチームで連携を高めているだろうからな。」

 藤宮はそのことを分かっているからこそ春の大会に懸けていたのだろう。その気持ちの強さは先日の冴山への怒りを見れば明らかだった。だがそれを知ったところで何か解決策が思い浮かぶ訳でもなく、藤宮は思い出したかのように鼻を時折すすり、目には涙を浮かべていた。恐らく彼女はその事実を知った時、かなり落ち込んだということは考えるまでもなかった。城ケ崎はどうにかして彼女を励まそうと必死に脳をこねくり回すが、彼女が置かれている状況を考えると安直な言葉は励ましにはならないという壁が立ちふさがってしまっていた。彼はふと鹿島の方を見ると何か言いたそうな歯がゆい横顔が見えたが、城ケ崎がいる手前何も言わずにいるのかそれとも城ケ崎と同じでかける言葉が見つからないのかは分からなかった。城ヶ崎は無意識に鹿島に頼ろうとしているのではないかと気づくと彼女の横顔を見るのを止めた。これは自分と冴山で解決しなければと考えるも現実はそう簡単に上手くはいかないのだと痛感させられる。考える時間は永い時間に感じられ、焦りが鰻登りに強くなっていった。何か手はないかと考えるうちに、藤宮が涙ながらに話し始めた。

「あんたら、あたしが前に進む後押しをするって言ったよな。あれ聞いた時、本当は嬉しかったんだ。」

 彼女は急に本心を吐露し始めた。嬉しかったと聞いて城ヶ崎は少しだけだがホッとした。だが彼女は城ヶ崎にとって予期せぬことを伝え始める。

「悪かったな、あんたらに八つ当たりするようなことして。分かってたはずなんだ、応援部に来たところで何も変わらないって。なのにすがるようにここへ来ちまった。」

 城ヶ崎は藤宮に謝罪させていることが申し訳なくなっていた。それは違うのだと、力になれなかった自分が悪いのだと訂正するために慌てて口を開いた。

「それは、……」

「迷惑かけて、ごめん。依頼は取り消してくれ……。」

 城ヶ崎の言葉を遮るように藤宮は感情をあえて捨てたように冷たく言い放ち、席から立ち上がった。そさくさと部室の扉へ向かおうとする彼女を見て城ヶ崎は叫んだ。

「それは違います!」

 ガタッと勢いよく椅子から立ち上がった城ケ崎は力を込めてこの言葉を伝えていた。彼は部室を去ろうとする彼女を見た時、どこか以前の鹿島茜を思い出していた。初めて藤宮が応援部の部室を訪れたあの日、彼女は全てを城ケ崎と冴山に任せて立ち去った。彼女の真意を知っている今となっては彼女の行動は理解できるが、その瞬間は心がモヤモヤしたという言葉がぴったり当てはまるような何か取り返しのつかないことになってしまうのではないかという漠然とした不安が城ケ崎を襲った。ここで彼女に何の言葉もかけなければ彼女はずっとこのことを引きずってしまうのではないかという確信めいた直感が働いていた。

「藤宮さんがここに来たのは僕らに八つ当たりするためじゃないでしょ!何かして欲しいって思ったからじゃないんですか?」

 城ヶ崎は藤宮に何かをしたあげたい一心でぶっつけ本番で話しているような状態だった。今日話すまでどんな言葉をかけるべきか考え続けてきた。だが彼女の真意が分からないため、言うべき言葉は思い浮かばなかった。しかし今彼女の言葉を聞いて少しずつではあるがトンネルの出口が見えてきたような気分になりつつあった。

「きっと先輩は誰かに打ち明けたい気持ちがあったんじゃないですか?だから応援部に来たんでしょ?」

 城ヶ崎の言葉を聞いて藤宮は扉の前で立ち止まっている。後ろ姿だけでは何を考えているのか解らず、不安に駆られる城ヶ崎だが、彼女が立ち去らないのは良いことだと頭を切り替えてさらに続ける。

「先輩が最初に来た時の印象は強気で、男勝りな性格でした。でも今なら違うと分かる。先輩はすごく悩んだはずです。それはきっと同じ部活の人にも相談出来なかったことでしょ?」

 彼は内心では彼女が今にも振り返って怒りだして部室から跳び出してしまうのではないかという恐怖が絶えず心を侵食しているが、それに負けじと自分を奮い立たせている、自分の言葉が彼女に届くことを信じて。彼女はただ立ち止まって城ヶ崎の言葉を聞いているようだった。

「誰にも相談できないことを打ち明ける、その受け皿になるのが応援部です。藤宮先輩、俺たちに打ち明けてくれませんか?」

 城ヶ崎は祈るような気持ちで藤宮に自分の想いを伝えた。しばしの沈黙がその場に流れたかと思うと、藤宮はゆっくりとこちらへ振り向いた。彼女の目には先程よりも多くの涙が溜まり、城ヶ崎と目が合うと同時に両方の瞳からは一筋の涙がそれぞれ流れた。彼女は黙って席に戻り、涙を袖でゴシゴシと拭うと話を再開した。

「あたしが怪我の再発を知った時、何も考えられなくなったよ。自分はもうバレーボールができないんだって……。」

「でもよ、諦めきれなくて春の大会を最後にするって決めてそこをあたしの集大成にするって決めた。そのために練習してきたけど、まさかのレギュラー落ちさ……。」

 彼女は途中から天井を見つめていたが、城ヶ崎にはそれが涙が溢れないようにという彼女の気持ちの現れのように思えた。だがそれも意味が無いと悟ったのか、また城ヶ崎たちと目を合わせるように視線を落とした。案の定、彼女の瞳からは涙がまた溢れてくるわけだが、それを気にするような素振りは見せなかった。

「それですげーパニックになって、自分でもよく分かんねぇけどここに来てたんだ。」

 それが彼女が依頼届を提出せずにここに来た理由だと城ヶ崎は理解した。そしてわざわざ応援部に来たのは誰にも相談していないからではないかと確認するために質問をする。

「今までバレーボール部の誰かに怪我の再発を話したことは無かったんですね?」

「あぁ、怪我のせいで春の大会が最後だなんて知ってたら変に気を遣う奴が出てくるかもって思ってな。」

 彼女は怪我の再発を知った時、パニックになったと言っていたが、そんな状態でもバレーボール部への配慮ができるのは余程部員たちのことを大事にしていることが伺えた。だからこそ彼女はレギュラー落ちしたことへのショックを吐き出す場所が無かったのだろう。

「僕も……前は藤宮先輩にデリカシーの無い発言をしてしまったけど、応援部として先輩の力になりたいと思っています。今溜めてること、思いっきり吐き出しませんか?」

 応援部に入部してから彼女を傷つけてしまったという自責の念があるであろう冴山は声を震わせながらも背一杯の誠意を彼女に向けているようだった。彼女はそんな彼を見て今度は怒りではなく、微笑みを浮かべる。そして彼女は最後に目元の涙を拭うと笑顔でこう言ってのけた。

「じゃ! もう暫く付き合ってもらうぞ!」

 彼女の顔にはもう春の大会が最後となることへのやるせなさや悔しさは感じられなかった。そして意気揚々と話し始め、それを城ケ崎は心の底から安堵した様子で耳を傾けるのだった。

 

 

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