第24話

「先日はすいませんでした。」

 鹿島が応援部に戻ってきた翌日の学校で、3人は放課後に藤宮のもとを訪れていた。冴山と城ケ崎が藤宮の教室の前の廊下で彼女に謝罪をし、鹿島はその2人の後ろで突然の訪問に加え冴山と城ケ崎からの謝罪ということもあり、藤宮はムスッとした顔で目の前で頭を下げる2人を見つめ、ため息を吐いた。

「そんな真っすぐ謝られたら私も怒りにくいじゃない。」

 彼女は先日の件をまだ許してはいなかったようだが、2人の行動を目の当たりにしてその感情が消えていくようだった。2人は顔を上げ、鹿島が2人の隣から一歩前へ出た。

「今回の件は私の指導不足でもあります、ごめんなさい。」

 彼女も2人がしたように頭を下げた。一度に3人から謝罪される経験などそうあるものではないだろう、藤宮はばつが悪そうに頭を掻き、観念したように声を上げた。

「あ~もう、分かったよ。頭を上げてくれ。そんないっぺんに謝られると気恥ずかしくなる。」

 藤宮の感情は怒りから恥ずかしさへと変化しているようだった。

「あたしも悪かったよ。急に怒鳴っちゃって。」

 あろうことか藤宮が謝罪してきたことに一番早く反応したのは冴山だった。

「いえ! それは僕の失礼な言動のせいだったんです、藤宮先輩が謝ることじゃありません。」

 冴山は慌てて自分に非があることを強調した。これではキリがないと判断したのか、鹿島が話を変える。

「藤宮さん、もう一度応援部の部室に来てはくれませんか? 私たちはまだ依頼目的を達成できていません。」

 鹿島の懇願するような提案を藤宮は流れに身を任せるかのごとく承諾した。

「まぁ、いいぜ。」

 半分やけくそのように見えた彼女の返事だったが、もう一度チャンスが生まれたことに城ケ崎は安堵した。それから藤宮と応援部のメンバーは次に応援部の部室に集まる日程を決めた。春の大会まであまり時間が残されていないということもあり、2日後に集まることとなった。

「なんとかもう1回来てくれることになったわね。」

「そうですね、本当に良かったです。」

 藤宮と別れてからの鹿島は最近では一番というくらい大きい安堵の息を吐いた。冴山も自分の失敗をカバーできたことにほっとしているのは明らかだった。特に鹿島のこの反応を見るに、それだけ依頼人のことを大事にしているのだろうと城ケ崎は考えていた。ここで城ケ崎には1つの疑問が生まれていた。ここまで依頼人を大切に思っている彼女がどうして今回の依頼は最初から関わったりせず自分たちに任せたりしたのだろうか。もちろん城ケ崎の成長を促すためと言われればそれまでだが、冴山の指導まで自分に任せるのは変だと城ケ崎は考えていた。鹿島は何かを隠しているような気がし始めた城ケ崎はそれからも一人で黙って思考を巡らせていた。

「城ケ崎君、どうしたの? 難しい顔しちゃって。」

 考え始めてから数分経ったくらいだろうか、鹿島の言葉で我に帰った城ケ崎は声のした方を見ると彼女と冴山が不思議そうな顔で彼のことを覗き込んでいた。考えている間は当然2人の会話に混じっていないのだが、わざわざ彼女から声をかけられるほどに城ケ崎の顔が普段では見られないほど考え込む表情だったか、鹿島の優しさ、もしくはその両方だ。城ケ崎はえ、と腑抜けた声を出した。自分の世界に入り浸っていたためか、2人の会話に関しては何も聞いていなかったに等しい。彼は気まずそうに彼女たちに白状せざるを得なかった。

「すいません、ちょっと考えごとをしてて……。」

 城ケ崎は真剣な表情をしていた。彼の頭にはまだ鹿島に関する謎が解けずに立ちふさがっていた。

「まあ、2日後に関しては私が藤宮さんと話すから2人は見ていてね。いずれは2人が応援部を引っ張ていくんだから。」

 彼女はそんなことを平然と言っているが、それが城ケ崎には引っ掛かった。彼女はまだ2年生、来年もいるはずだ。3年生になってからは受験に専念するのであれば彼女の言う通りではあるが、英明学園の多くの部活は3年の夏を引退時期としている、無論それが応援部に必ずしも当てはまるわけではないが。

「それじゃ明後日ね。」

「城ヶ崎君、また明日ですね。」

 2人と別れ、城ヶ崎が1人で帰っている途中、この依頼を受けてからの鹿島のことを考えていた。一般的に見るならば彼の行為は好みの女子生徒について行われていればそれは青春、という言葉が相応しいだろう。では今、彼の思考回路で行われるそれは彼が人の気持ちを真剣に考えること、つまり人間関係について悩むということはまさしく青春の一片だろう。城ヶ崎は無意識ではあろうが、中学生の頃に諦めた青春をまさに彼は今経験している。彼はそれからも鹿島に関する謎を考えるがやはりただの憶測に過ぎず、今度はどうすれば彼女のことを知ることができるかを考え始めた。直接聞いても素直に教えてくれるとは思えなかったし、仮に教えてくれるほどのことならわざわざ隠そうとここまで悩むことにはなっていなかったかもしれない。ならば他に教えてくれる人を探すことに思考の方針を変えることにした。

「鹿島さんのこと知ってる人と言ったら……。」

 城ヶ崎は最寄駅から家に帰る途中、独り言を呟きながら自分と鹿島の交流関係を振り返り、彼女の過去を知っていそうな人物を1人だけ思い出した。

「佐久間先生か……。」

 まさか、というより当たり前の人物ではあるのだが、城ヶ崎との接点は応援部の顧問だというのに一切無いと言っていい。ならばこれを機会に話すべきか、と開き直るように考えをまとめた城ヶ崎はそのまま帰宅した。

 翌日、藤宮ともう一度話し合いを行う日の前日にあたるこの日、城ヶ崎は休み時間を使って保健室にいる佐久間の元を訪れていた。コンコンというノックの音の後にはーい、という軽快な声が聞こえてきたので、城ヶ崎はドアを開いた。

「こんにちは、応援部の城ヶ崎です。」

 城ヶ崎の顔を見るなり佐久間は少しばかり目を見開き、保健室に来た生徒へ向けるテンションにしては些か明るかった。

「おう、城ヶ崎君か。珍しいね、ここに来るなんて。どこか怪我でもしたの?」

 彼女はそう言葉では心配しているようだが、どこか軽い調子で話していた。だがそれはこれまでの彼女の経験から来るものか、それとも彼女の天性のものなのかは彼に知る由もない。

「実は鹿島先輩のことで聞きたいことがあります。」

 城ヶ崎は勇気を出して佐久間に話を切り出そうとした。彼女は相変わらず能天気に見えたが、それにかまうことなく彼は続けた。

「実は今女子バレー部の藤宮先輩という生徒の依頼を受けているんですが、鹿島先輩の様子が変なんです。」

「どんなふうに変だと思うの?」

 何か茶化すようなことを言われるのではないかと心配していたが、意外にも彼女は城ケ崎と同じように真剣だった。それは城ケ崎にとっては嬉しい誤算だった。彼はそのままここ最近の鹿島の動向について説明した。最初に依頼主と会った時に全て城ケ崎と冴山に任せたこと、それから応援部に顔を出さなくなり、急に現れたかと思えば今度は全て自分でやるから見ていてほしいと言われたこと、そして何かを隠しているようなきがすること。それら全てを話している間、城ケ崎は周りが見えていなかったようだった。話し終わった後、城ケ崎がふと佐久間の顔を見ると、彼が初めて見るほどに彼女はじっと彼を見つめていた。しばしの沈黙それが気まずくなりかけた瞬間、彼女は口を開いた。

「城ケ崎君は、茜ちゃんが隠しているかもしれないことを知ってどうするの?」

 彼女は穏やかな表情で聞いてくる。これはあの佐久間先生でさえ真剣になることなのだと悟った城ヶ崎は言うべき言葉を考える。そして迷いながらも導き出した単純な答えを決意を持って告げた。

「俺は先輩の力になりたいです。」

 真っ直ぐと彼女の目を見る。すると彼女はふぅ、と息を吐いた。そして軽く微笑んで城ヶ崎には語りだした。

「私はね、茜ちゃんと君は似ていると思ってる。」

 唐突にそんなことを言われ戸惑った城ヶ崎だが、少し考えればそう思われる要因は簡単に思い浮かんだ。

「それは俺と鹿島先輩は元々運動部だったことですか?」

 城ヶ崎の仮説を肯定するように彼女は頷いた。

「そう。でも違う点があるんだよ、それは自分のやっていた競技に未練があるかどうか。」

 佐久間の顔からは穏やかさというものを徐々に消えていき、真剣な眼差しと声色へと変化していった、まるで何か大きな秘密でも話すかのように。

「未練、ですか……。」

 城ヶ崎は野球に未練があるかどうか自分に問いかけた。そしてその答えは1年弱という月日が経った今でも変わらなかった。彼に未練は無い、あの失敗という経験から野球から距離を置き、もしかしたらと心の片隅で存在していたほんの微かな希望のようなものを抱いて英明学園に来ても彼の心は変わらなかった。それを悲しいことだと彼は考えていない。そこまで無理して野球をやる意味を彼は見出せなかったのだから仕方のないことだと割り切っていた。だがそれは城ヶ崎の場合であって、佐久間の言うことが正しいならば鹿島はまだバレーボールに未練があるということだと城ヶ崎は解釈した。

「鹿島先輩はまだバレーボールに対する未練があるということですか?」

 佐久間は彼の理解が間違っていないことを表すように再び頷いた。

「そう、彼女はまだ未練があるんだ。聞いたことあるんじゃない? 彼女が応援部に入った経緯を。」

 彼女は確認するように城ヶ崎に問いかけた。そして城ヶ崎は鹿島との会話を思い出すことができた。

「中学の頃に怪我をして、燃え尽きていた彼女は張り紙を見て応援部に入ったんですよね。」

 城ヶ崎は頭の中で考えていたことを口に出してみると不思議と彼女に未練があることは当然だと思うようになった。城ケ崎のように自分のせいでチームメイトに迷惑をかけたというのは同じだろうが、彼女がそれでバレーボールを辞めるかは彼には分からなかった。

「そう。茜ちゃん、入部した時はすごく暗かったのよ。」

 佐久間の言った意味が一瞬理解できなかった。あの鹿島茜が暗いところを想像できなかった。突然のカミングアウトに城ヶ崎が動揺していることお構いなしに佐久間はさらに彼女の過去について話しだした。

「でもその時の3年生の先輩たちが茜ちゃんの話を聞いて励ましたのよ。それからちょっとずつ茜ちゃんは明るくなって今みたいな子に変わったわ。」

 佐久間の話すことが城ヶ崎には信じ難い内容だったため、彼は耳を傾け続けた。あれだけ明るく、城ヶ崎の心の傷を癒すきっかけをくれた彼女がそんなに暗かったとは思えなかった。しかしその自分がいたからこそ依頼人に寄り添って相談に乗られるようになったのかもしれない。

「それは私にとっても、その先輩たちにとっても嬉しいことだったわ。でもね、茜ちゃんはそれでバレーボールをまたやりたいと密かに願うようになったんでしょうね。」

 彼女の言葉からはその事実を最初から知っていたわけではないことが窺えた。

「茜ちゃんは先輩たちから任された応援部の部員を集めて廃部にさせたくないという気持ちと、バレーボールをもう一度やりたいという気持ちが彼女の中でぶつかっちゃったんでしょうね。」

 バレーボールをやりたければ応援部を辞めればいいはずなのだが、彼女と知り合ってまだ1ヶ月ほどしか経っていないにも関わらずその決断をしないだろうということが城ケ崎には容易に理解できた。なぜなら彼女が応援部にかけている情熱は本物であることが彼の目からも明らかだったからだ。

「きっとバレーボール部の子から受けた依頼を君たちに任せようとしたのはバレーボールへの未練を思い出さないようにするためだったんじゃないかな。」

 佐久間は穏やかな声で城ケ崎に自分の推測を話した。そして彼女は彼に問いかけた。

「ねぇ城ケ崎君、茜ちゃんがもしバレーボール部に戻りたいって言ったらどうする?」

 佐久間からの問いに城ケ崎は黙ってしまった。もし鹿島がバレーボール部に行くことの後押しをするというのなら応援部が城ケ崎と冴山の2人だけになってしまう。そうなれば鹿島茜という頼もしい先輩を失うだけでなく部員不足による廃部の危機に陥っていた状態に逆戻りしてしまう。そしてその危機を脱するために城ケ崎は奔走することを余儀なくされるだろう。ただ興味本位で入っただけの部活にそこまでする義理は城ケ崎には無いだろう。彼は佐久間の話を聞いた直後、自分に難問が待ち構えていることをついに理解した。だが彼に引く下がる気はない。彼は彼のここ最近の様子を振り返るにあたって自分の変化にも自然と目を向けていた。そして城ケ崎は気づいていた、彼が入学当初のような悲観的な思考をし、努力というものを卑下していたにも関わらず、応援部での経験は彼を変えつつあった。努力が実らなかったとしても前を向いたり、迷い、苦しみながらも必死に努力する姿を見てきた城ケ崎には努力が虚しいものだと思えなくなっていた。努力は美しい、と心から思えるほどではないが他人の努力を素直に応援できるほどまでに城ケ崎は変わっていた。彼は鹿島の応援部に対する想いを引き継ぐ決意を固めると佐久間にそれを伝えた。

「俺は、鹿島先輩の背中を押したいです。それが俺の彼女への恩返しです。」

 恩返し、という言葉を使うには彼と彼女の関係は浅いものかもしれない。しかし、彼の過去に刻まれた心の傷を少しでも癒したのはまさに彼女であり、そのことを城ケ崎は自覚していた。それゆえに彼は鹿島に感謝していたからこそ彼女の背中を押すことにした。彼の決心を聞いて佐久間は嬉しそうに微笑んだ。

「そうか、それは良かったよ。」

 彼女は安心したようにそうつ呟くと、城ケ崎の目を見た。

「頑張れよ、城ケ崎君。茜ちゃんのことは任せたよ。」

 大切なことを託されたような気がした城ケ崎は身が引き締まるような思いになり、勢いよく返事をした。

「はい! 失礼しました。」

 城ケ崎は気合のこもった声で返事をすると保健室を後にした。彼がいなくなった後、佐久間は自分の元から立ち去る城ケ崎の姿を思い返していた。彼女は応援部創部当初から顧問となっていた訳だが、ただ名前だけ貸しているような状態であり、部室に顔を出すことはほとんど無かった。それは当時の部員たちともお互い納得しているような状態だった。それには理由があり、一番は部室内で先生がいることで生徒が依頼じにくくなるのではないか、と考えていたからだった。しかし、応援部の部員が鹿島一人だけとなるとさすがの能天気な彼女も鹿島のことが心配になっていた。そして今年の2月、佐久間は鹿島に話をするために部室に顔を出した。

 

 


 

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