第21話
応援部の廃部危機を脱した記念に3人で打ち上げを行ってから数日が経ち、今まで続いた怒涛の依頼ラッシュを乗り越え、冴山の加入により応援部廃部の危機を脱し、部室には静かな時間が戻ってきていた。以前と異なるのは部室内にいるのが2人から3人に増えたこと、そして窓からグラウンドを眺めたり、スマートフォンをいじるほかに、勉強するときに聞こえるシャーペンがノートの上を滑る音が絶え間なく鳴り続けることくらいだった。鹿島は相変わらずグラウンドを必死に走るサッカー部員たちを黙って眺めていた。城ケ崎はそんな彼女を時折見ながらも机に向かって課題を済ませたり、スマートフォンをいじったりとその時々で彼の過ごし方は様々だった。それに対し冴山は城ケ崎と共に近くにある机の上にノートや教科書類を開き黙々と勉強をしていた。部室で課題をやることもある城ケ崎だが、冴山は明らかに課題以外の内容も勉強しているため、彼は勉強好きなのだという印象を抱いていた。依頼が来なければこんなふうに時間を過ごすのかとボーっと城ケ崎は考えていた。そしてまだ知り合って約1ヶ月だというのに、この時間に居心地の良さすら彼は感じている。そんなことを考えていると、部室に近づく足音が近づいて来ているのが分かった。それは応援部の部室の前で止まり、次に扉の開く音が彼ら3人の静寂を壊す。
「こんにちは、依頼に来たんですけど……。」
1人の女子生徒が特に緊張した様子も見せずに入ってきた。城ヶ崎は彼女たちの上履きを見ると、その色から彼女が鹿島先輩と同じ2年生であることが分かった。そこまで考えたのはいいものの、部室で各々の時間を過ごしていた3人はぽかんとした表情を浮かべていた。なぜなら今日依頼人が来るという話を誰もしていなかったからだ。
「あれ、誰か依頼届受け取った?」
鹿島が2人に聞くが、彼らは同時に首を横に振った。つまり彼女たちは依頼届を出すこと忘れていたということになる。
「すまない、依頼届を出すの忘れてたみたいだ……。」
その女子生徒が申し訳なさそうな表情で謝罪してきた。
「別に大丈夫ですよ、今は他に依頼人もいないし、このまま受けます。」
彼女は明るい表情を浮かべ、快く彼女を迎えた。それに冴山と城ケ崎が異論を唱えるわけもなかった。3人は部室内にある4つの机を移動させ、応援部の3人が向かい合えるように設置し、それぞれが椅子に座った。鹿島が真ん中に、その両脇を冴山と城ヶ崎が挟むように座った。
「それで、今日はどんな依頼を?」
いつもの調子で鹿島が質問をする。すると応援部3人の向かい側に座る女子生徒が口を開いた。
「私は女子バレー部2年の藤宮夏凛ていいます。今日来たのは私の応援を頼みたいからです。」
彼女は少しだけ緊張した面持ちで話し出した。個人の応援というのはこれまでも城ケ崎が経験してきたもので、それは鹿島も同じだろう。応援部からすればありふれた依頼内容だった。依頼人である藤宮が3年生であることから、鹿島が担当するものだと城ケ崎は考えていた。
「分かったわ。せっかくだし城ケ崎君、この依頼頼めるかしら?」
城ケ崎の予想とは裏腹に鹿島は彼にこの依頼を任せようとしていた。理由は分からなかったが、特に断るようなことでもなかったため、城ケ崎は戸惑っていた。彼女の方を見ると、普段見ている表情となんら変わらないように見えた。
「は、はい。分かりました。」
城ケ崎は動揺を隠せないまま彼女の提案を承諾した。そして彼の返答を聞いた鹿島はまた藤宮に向き合い、依頼内容についてさらに事細かく質問し始めた。
「今回の依頼なんだけど、藤宮さんの応援というのは具体的に何をして欲しいとかあるかしら?」
「いや、そういうのは無い。ただ……。」
彼女は言い淀み、その言葉の続きを言うべきか迷っているようだった。
「実は私今度の春の大会でベンチメンバーとして出場するんだ……。」
悔しそうに彼女は告白した。その言葉の真意を城ケ崎はなんとなく察していた。彼がやっていた野球でもベンチメンバーというものは存在する。そこに属する部員というのは複雑な心境を抱くものだと彼は理解していた。しかし鹿島は経験があるのか、特に何か反応をするわけでもなく平然と彼女の話を聞こうとしていた。
「それが今回の依頼とどんな関係があるんですか?」
「それは、正直自分でもよく分かんねぇんだ……。」
彼女の発言を聞いていけばいくほど城ケ崎は取るべき方針が見えずにいた。今までの依頼ならばやることは明白であり、その上で依頼主の悩みを解消していくことが基本だったのだが、それが分からないとなれば、彼にとっては未知の世界だった。だがそんな彼の緊張とは裏腹に鹿島は全く動じた様子を見せずにいつもの笑顔を浮かべながら彼女の話を聞き続けた。
「なるほどね、分かったわ。あなたの応援をして、少しでも前を向けるよう努力するわ。」
彼女はそう言うと、藤宮は安堵したように息を吐きありがとうございます、と言って今日は部室を後にした。彼女の安堵した表情を見ることで城ケ崎はより一層不安が強まっていった。いつもならもっと依頼主の話を聞くようなところなのだが、それを鹿島は許さなかった。応援部に依頼をする、たったそれだけで安心する生徒はこれまでもいた。それが応援部の強みであると思えるが、それは同時に彼にとっては重圧でもあった。そんな不安を抱えながら、藤宮がいなくなったため、城ケ崎は何をすればいいか分からず3人で相談しようと考えていた。
「今回の依頼、何をすればいいと思いますか?」
城ケ崎はどこか懇願するように鹿島に尋ねた。それを聞いた鹿島は椅子に座ったまま考えるような素振りを見せることなく即答した。
「あの手の依頼は時々あったわ。明確に正しい応援の仕方というものは無いし、逆にほんのささいなことをするだけで満足する場合もあるわ。だからそんな身構えなくていいのよ。」
彼女は城ケ崎を心配させまいと思っているのか、いつもの明るい声色で話していたが、どこか突き放すような冷たさを感じていた。確かにほんのささいなことで依頼主の悩みが解決することはあった。冴山の件はまさにその典型的な依頼だろうと城ケ崎は考え、彼女の言っていることが間違いではないであろうということを彼なりに理解していた。だがそれでも彼女との間にいつもは無いはずの距離を感じていた。今までの彼女なら答えを与えることはなくとも話を聞き、その上で何か言葉をかけていた。しかし今回は違う、一方的という言葉は言い過ぎであろうが、どこか自分を壁で遮っているような気がしてならなかった。
「そうだ、今回の依頼は冴山君の指導も含めて2人でやってみない?」
彼女はさらに城ケ崎に冴山の指導すら任せてきた。仮に今回の依頼で冴山の指導を兼ねるのであればさすがにそこまで自分にやらせるのはおかしいと思った城ケ崎は思わず異を唱える。
「いくらなんでもそれはキツくないですか?指導なら先輩がやった方が……。」
城ヶ崎は冴山の前であることを忘れて弱音を吐いた。しかしそんなことを考えるのも忘れてしまうほどに鹿島の言動が理解し難かったのである。冴山は2人の会話の邪魔になるべきでないと判断したのか、黙って事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。
「そうかなぁ、冴山君の依頼の話を聞く限り彼と距離が近い城ヶ崎君がやるのが適任だと思うよ?」
彼女の言うことは確かに一理あった。人間関係に疎かった冴山と城ヶ崎の距離感はかなり近く、冴山が彼と話す時の様子は他の人の時と比べて歴然としていた。だからこそ経験よりも親しみやすさがある城ヶ崎に任せることは選択肢の1つとしてあり得るだろう。しかしそれなら冴山の依頼を解決したことに一体何の意味があったのだろうか。冴山が周りに心を開きだした今こそ冴山のコミュニティを広げていくことのほうが彼にとって間違いなく得策だろうと城ヶ崎は考えていた。
「いや、指導をするというなら経験豊富な鹿島先輩がやるべきです。それに依頼主は3年生です、尚更先輩の方が適任じゃないですか?」
今までの応援部の方針を見るに城ヶ崎の言っていることは的を得ていたし、彼自身も自分の言っていることが合っているという確信があった。それにも関わらず彼女は強情な態度をとり始める。
「いや、城ヶ崎君がやるべきだと思うわ。これは決定事項よ、それじゃよろしくね。」
彼女は少々強引にそう言って鞄を持つと足早に部室を飛び出していった。
「ちょ、先輩!」
彼の叫びが虚しくも部室内に響き渡り、続いて静寂だけが訪れた。3人でいた時とは全く異なる重苦しい静寂だった。彼女の行動が理解できず、城ヶ崎が立ち尽くしていると、さすがに気まずくなったのか冴山が口を開いた。
「城ヶ崎君、僕への指導は別の機会にでもいいですよ。今回は城ヶ崎君がどんなふうに依頼をこなすのか見るだけでも得られるものがあると思いますし。」
冴山は出来るだけ彼の負担にならないようにと気を遣っているようだった。そんな彼の表情はいつもの仏頂面のように見えるがどこか悲しげだった。そんな彼の表情を見るのは城ヶ崎にとって心苦しく、せっかく依頼を経て心を開き出してきたというのにここで彼の歩みを止めてしまうのは勿体ないような気がしていた。それに加えて応援部員として成長するためにも冴山には少しでも早くこの活動に慣れて欲しいという思いも城ヶ崎の内にはあった。
「大丈夫だよ冴山、俺は指導もやるつもりだから。」
城ケ崎は冴山に余計な気遣いをさせまいと平静を装った。彼に嘘をついているような気がしたことは気が引けたが、ここで冴山との関係をギクシャクさせることは城ケ崎にとって最も避けたいことだった。必死の嘘の甲斐あってか冴山は嬉しそうに微笑んで見せた。
「よし、それじゃ藤宮さんにどんな応援をすべきか考えないとな。」
そう言って城ケ崎と冴山は各々の座席につき今後の応援についての策を練り始めた。今年度の応援部初の本格的な共同応援が始まった。そんな2人を夕陽が窓から照らしていた。
2人が部室で今後について考えているのと同時刻、鹿島茜は下駄箱付近にある自動販売機近くの白い洋風を感じさせる椅子に座り、カバンを膝の上に載せ、両腕をそれを抱きかかえるように回していた。ここらは部活終わりの生徒がよく訪れる場所で、自動販売機の他にもパンの販売機も設置されており、何か買ってその場で生徒同士が喋りながら飲み食いするというのが定番の風景となっている。しかし今は部活が終わるには早い時間帯であるため、彼女以外そこには誰もいなかった。半ば無理矢理部室を飛び出してきた彼女は先ほどから何度もため息をつき、土足で歩くことが可能となっている灰色の床をボーっと眺めていた。
「あら茜ちゃん、どうしたの?」
ふと彼女の聞きなれた声が聞こえ、鹿島は声のする方へ顔を上げた。するとそこには白衣姿の保健室の先生兼応援部顧問を担っている佐久間理恵子が珍しいものを見るような目で彼女を見ていた。鹿島は気まずいことでもあるのか口をもごもご動かし、結局黙ってしまった。
「こんな所にいるなんて珍しいじゃない。」
何かを感じ取ったのか、佐久間は彼女の隣の椅子に腰かけた。鹿島は佐久間と目を合わせたがらず、また床を眺め始めた。そんな何も話したがらない彼女を見て佐久間は自ら口を開いた。
「茜ちゃんがそんな態度とるの、いつぶりだろうね……。」
佐久間は過去を思い出すように彼女に語りかけるが、鹿島は鞄を抱きかかえる力を少しだけ強めて顔をうずめ、何も語ろうとはしなかった。
「応援部で何かあったの?」
佐久間は図星を突いているとは知らずに優しい口調で質問した。そしてさっきよりも強く鞄を掴む彼女を見て佐久間は自分の読みが当たっていることを理解した。普段なら鹿島を煽るような口調が多い彼女だが、今日は違うようで、優しい口調を変えぬまま、顔を彼女の頭に近づけて自身の推測を述べていった。
「もしかして女子バレー部から依頼を受けたの?」
その一言で観念したのか、鹿島はうずめていた顔を上げて視線を自分の隣へと移動させると佐久間と目が合った。簡単に自分のことを言い当てられたことへの恥ずかしさからか、若干頬が赤くなっている。
「もう! どうしてそんなに分かるんですかぁ!」
彼女は佐久間に対して文句を言い、頬を膨らませ力強い視線で睨もうとするが、図星をつかれたことで心理的劣勢に立たされているためか怒っている様子には見えず、まるで幼稚園児が親に子供っぽく怒りを表しているようだった。そんな彼女を見て佐久間はいつもの調子で腹を抱えて笑い出すかと思えば、少し微笑んで彼女を見つめる。
「そりゃ分かるわよ。茜ちゃんとは長い付き合いだもの。」
先生というよりかはまるで親かのような振る舞いに鹿島はたまらず目を逸らした。彼女自身このような佐久間を見るのは久々、もしくは初めてなのだろう。意味が無いと判断したのかもう顔を鞄に埋めるようなことはしなかったが、またもや黙ってしまった。佐久間はそんな彼女を見て、またもや口を開いた。
「やっぱりバレーボールをまだやりたいって気持ちがあるんじゃないの?」
佐久間は懲りずに鹿島に語りかける。鹿島は勢いよく彼女の方へと視線を動かすと、思わず叫んだ。
「そんなことしたら応援部はどうなるんですか?!
部長は他の部との兼部は出来ないんですよ!?」
もし彼女が今女子バレー部に入部すれば恐らく応援部を退部しなければならないかもしれなかった。2つの部活を兼部するという案は可能かもしれないが、部長や副部長など役職に就いている生徒が兼部をするということはこの学園では認められていない。そもそも英明学園において運動部に入っていながら、他の部と兼部をする生徒自体ほとんど皆無だった。それにもし彼女が兼部をするために応援部の部長を辞めることになったとしても応援部への参加は厳しくなるだろう。なぜなら女子バレー部が兼部を禁止している可能性が高いからだ。今鹿島に突きつけられようとしているのはまさに彼女がずっと避けてきた究極の選択だと言えた。
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