第20話

 中間試験も無事終了し、城ヶ崎は早速冴山と一緒に部室へ向かった。鹿島はまだ試験が終わっていないようで、部室には2人以外誰もいなかった。彼女を待つ間彼らは中間試験の手応えなんかを話していた訳だが、その声を同等かそれ以上の足音を立てて走ってくる人物がいた。その足音は部室の前で消えたかと思うと、次はドアが勢いよく開いた。

「城ヶ崎君、新入部員いる?!」

 開口一番に挨拶ではなく冴山のことを聞くほどに彼女は興奮している様子で、よほど待ちきれなかったのだろう。2人を見るや否やこちらに早足で近づいてきた。そして冴山の両手を彼女の両手で挟むように掴み、それを自分の顔に近づけると目をキラキラと輝かせながら彼に話しかけた。

「君が新しく入る冴山君ね、応援部にようこそ! 入部してくれて本当に嬉しいわ。」

 彼女のハイテンションさに冴山は固まってしまい口をパクパクと動かしていた。彼女の興奮は冷めることなく、彼の手を離してからはピョンピョンと部室内を飛び跳ねていた。これほど彼女の喜んだ顔を見るのは城ヶ崎にとっては自分が入部した時以来だと感じていた。彼女はやはり応援部のことを大事にしているのだと改めて城ヶ崎は実感していた。それと同時に急激に湧き上がった緊張からか固まってしまった冴山をなんとかしなければとフォローを入れようとする。

「鹿島先輩、冴山が戸惑ってますよ。」

 城ヶ崎の言葉にハッと我に帰った彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、一度咳払いをすると棒立ちの冴山に向き直った。

「自己紹介がまだだったわね。私が応援部の部長、鹿島茜よ。よろしくね。」

 彼女はいつもの調子に戻ったように見えた。その天真爛漫さは物静かな冴山を物怖じさせることはなく、緊張していない様子だった。

「はい、よろしくお願いします。」

 彼の様子を暫く間近で見ていた城ヶ崎からすればそれは紛れもなく冴山の変化の現れであり、喜ばしいものだった。

「部員も3人になったことだし、何かお祝いしたいわね。」

 彼女は手を合わせ、嬉々として提案した。

「部員が増えてお祝いするなんて応援部くらいですね。」

 城ヶ崎は鹿島の提案に対して軽く笑いながら反応する。彼は決して彼女の発言を馬鹿にしているのではなく、廃部の危機にある応援部らしいと言えるようなお祝いを面白おかしく感じているのだ。彼女の天性と思わせるような明るさは城ヶ崎の心を変え、彼が受けた影響は伝播し、冴山をも変えた。彼は彼女に深く感謝していたし、彼女と共にいる応援部としての時間はまだ短い期間の付き合いにも関わらず城ヶ崎にとってかけがえのないものだ。

「それじゃあ、明日なんてどう?」

 彼女からの唐突な提案ではあるが、応援部以外で放課後に用があることはほとんど無い城ケ崎にとってはさして問題では無かった。

「俺は大丈夫です。」

「僕も行けます。」

 そして冴山も同じようだった。明日の予定が決まったところで部室の扉が開けられた。3人が一斉に扉の方を見ると、そこには白衣姿の応援部顧問である佐久間先生が立っていた。

「あら、君が冴山君?」

 彼女は部室に入るや否や冴山に話しかけた。冴山はいきなり知らない教員に話しかけられ困惑した表情を浮かべていた。城ケ崎と鹿島は目を見合わせ、彼に佐久間先生の話をまだしていなかったことを思い出した。

「まだ紹介してなかったわね、応援部の顧問をやっている佐久間先生よ。」

「えー、私のこと紹介してなかったの? 一応顧問なのに。」

 彼女は鹿島が自分の紹介をしていなかったことに少なからずショックを受けている様子だったが、まじめに落ち込む様子は見せず、鹿島に文句があるような態度をふざけているようにとった。

「だって先生あんまり部室に顔出さないから顧問らしくないんですもん。」

「仕方ないでしょ、私は保健室の先生なんだから。そうやすやすと部室には来られないのよ。それに私は放任主義だし。」

「だから先生はあんまり顧問らしくないですよ。」

 鹿島は頬を膨らませ反抗するような口ぶりだ。このやりとりを聞くだけでもこの2人がただの生徒と教師という立場ではない特別な関係なのではないかと城ケ崎は考えていた。2人の会話を間近で俯瞰していると、トントンと冴山が城ケ崎の肩をたたいた。

「先生あんな態度をとって大丈夫なの?」

 人間関係に疎い冴山にとって目の前で繰り広げられる2人の会話は彼にとってはまさに未知との遭遇だったようだ。たしかにこの会話は特殊な関係と言えるだろう、最初に見たときは彼も戸惑ったものだった。城ヶ崎がこれを見るのは初めてではなかったが、やはり2人の関係は不思議に見えた。

「とにかく、明日の放課後に校門集合ってことでよろしくね。」

「は、はい。」

 先生との会話にうんざりしたのか、適当に会話を切り上げた彼女はそこで先生から逃げるように部室から飛び出していった。城ヶ崎と冴山はそんな彼女の後ろ姿を見ながらもただ立ち尽くしているだけだった。

「あーあ、帰っちゃった。」

 佐久間先生は残念そうに部室のドアを眺めたかと思うと2人のほうへ向き直った。するとそれまでの何か面倒くさがるような雰囲気が薄くなったような口調で2人に語りかけてきた。

「新入部員の2人、茜ちゃんのこと頼んだよ。」

「は、はい……。」

 彼女はそう言い残して部室を後にした。あんなに気さくな先生だというのに、城ヶ崎には最後の一言だけは何か意味が込められているような気がしてならなかった。

 鹿島との約束の時間である翌日の放課後、城ヶ崎含む3人は学校帰りに近くのイタリアンを主に提供するファミレスに足を運んでいた。平日の夕方ということもあり、店内の客はまばらだった。当然待ち時間というものはなく、すぐに店員に席へと案内された。そこで3人はそれぞれの品を注文し、料理が来るまでの間は応援部のことなどを話していた。そんな時間はあっという間に過ぎ去り、料理やドリンクバーから持ってきたソフトドリンクがテーブルに並ぶと3人はお互いにグラスを持ち上げた。

「それじゃ、中間試験の無事終了と応援部への冴山君の入部を祝しまして、乾杯!」

 鹿島の掛け声と共に2人は口々に乾杯と言ってグラスを中身が溢れない程度に当て、ゴクゴクとドリンクを喉へと流し込んでいった。それから3人は各々の料理に手をつけ始めた。城ヶ崎はトマトソースのスパゲティを、冴山はさっぱりとした味が特徴の和風スパゲティを食べているが、2人の向かい側に座る鹿島は夕飯がまだだというのに4等分に切り分けられたピザ1枚と野菜サラダ、さらにサイドメニューにあったフライドポテトを臆することなく食べ始め、最初のひと口を食べた時には幸せそうな表情を浮かべていた。

「鹿島先輩って結構食べる人なんですね。」

 城ヶ崎は率直な感想を述べると、彼女は食べる手を止めた。

「そうかなぁ、このくらい余裕だよ。あっ、そういえば冴山君は応援部について何か質問ある?」

 彼女は自分が人より食べることに何の恥じらいというものは無いかのようだった。

「応援部は廃部の危機にあると聞いていましたがそれはもう解決したということでいいのでしょうか?」

「そうね、それは解決したと言っていいわ。」

 彼女は誇らしげに応援部の状況を一言で言い表した。応援部の部員不足は城ヶ崎が入部した時から言われていたことであり、だからこそ鹿島は城ヶ崎を入部させるために泣き落としなどという一か八かの賭けに出たのだ。そこまで追い詰められていた応援部が城ヶ崎と冴山の入部によりここまで持ち直したことはまだ入りたての城ヶ崎には嬉しいことであり、以前から応援部にいた鹿島は彼以上に喜びの感情が大きいだろう。

「そう言えば応援部は鹿島先輩の2学年上の先輩たちが創部したんですよね、どんな人たちだったんですか?」

 城ヶ崎は思い出したように彼女に部の創立当時について質問した。今までは依頼数を増やすことや依頼をこなすことが精一杯で聞くことができなかったからだ。彼女はまた食べる手を止め、口の中にあったピザを咀嚼してから喉へと流し込み、コップの中に入っていたコーラをゴクゴクと飲み干すとようやく口を開いた。

「私が1年生で入学した時に3年生だった先輩たちね。同じクラスだったかで仲が良くて、別々の部活に入ってたらしいんだけど、退部してから集まって応援部を創ったっていうふうに聞いてるわ。」

 彼女が話した内容は城ヶ崎のまだ知らない事実が含まれていた。応援部という奇妙な部活がどのようにして創られたのか興味を持つことは彼にとって不思議なことではなかった。

「どうして応援部を創ろうと考えたんでしょうか?」

「それは私が部活紹介の時に話したことと一緒よ。生徒たちのメンタルケア、そのために創部したと言っていたし、それを私は引き継いだわ。」

 彼女にとってこの信条は応援部の核となる部分であり、譲れないものなのだろうと城ヶ崎は捉えた。

「そういえば城ケ崎君はなぜ応援部に入部したんですか?」

 冴山からの予想だにしていなかった質問に城ヶ崎は狼狽えた。しかし、自分の入部した理由が鹿島とさほど変わらないことを思い出し、変に隠す必要も無いと考えるといつもの口調で話し始めた。

「俺は中学の頃野球部だったんだけど、高校で野球するつもりはなかったんだ。でも何か部活はやりたいって思ってた時、応援部に目が留まった。」

 冴山は興味深そうに城ヶ崎の話を聞いている。改めて城ケ崎は思うのだが、冴山の変わり具合はまさに二重人格を疑うほどだった。ささいなことで人間はこうも変わるものなのか、それとも素がこうなのかと彼は心の内で疑念を抱くほどだった。

「へぇ、そうなんですね。」

 冴山は応援部の先輩部員である鹿島と城ケ崎の話を満足げな顔をして聞き終えると、また食べかけのスパゲティに手を付け始めた。満足げな表情と言ってもそれはしばらく勉強会を通して冴山と接していた時間が比較的多い城ケ崎だからこそ分かることであり、彼をあまり知らない人からすれば彼のこの表情の変化を見抜くのは簡単なことではないだろう。

「城ケ崎君てさ……。」

 その声のトーンの低さから彼女が一体何を言おうとしているのか分からなかった。少なくとも彼女のそんな表情を城ケ崎は初めて見たし、彼には彼女がこの会話の流れでなぜそのような暗い顔を浮かべるのか見当もつかなかった。城ケ崎と冴山はぽかんとした表情で鹿島を見つめた。2人の目を見て鹿島は戸惑ったように視線を泳がせ、再度口を開いた。

「その、城ケ崎君は野球部に未練はあるの?」

 彼女が発した質問に城ケ崎の心に何かチクリと刺さった。城ケ崎がそもそも英明学園に来たのは野球への未練があったからだと自覚していた。それでももう一度野球をやる勇気は湧くはずもなく、なんとなく興味をもった応援部に入部した。では自分にはもう野球への未練は存在しないのか、彼はそれを自身に問いかけるが、答えは曖昧としていて言葉で言い表すことは難しかった。

「無いですね。応援部が楽しいので、未練とかを考えたことはあまり無かったですね。」

 城ケ崎は微笑みながら答えた。彼の中から未練は完全に消えていた、もしかすると未練の存在を忘れられるほどに応援部としての時間は彼にとって心地よいものとなっているのかもしれないとも考えられた。どちらにせよ、自分がこんなに明るくいられるのは応援部の、さらに言えば鹿島のおかげだと彼は自覚していた。彼のそんな笑顔をみて冴山もそれが伝染したように微かな笑みを浮かべる。それは鹿島も同じだった。

 

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