第18話

 冴山からの依頼を城ヶ崎個人として受けることになってから一夜明け、放課後に2人は城ヶ崎の教室で机を向かい合わせて勉強していた。図書室で勉強する案もあったが、それでは話すことが出来ないということで、教室で行うことになった。放課後の掃除も終わり、グラウンドから部活動を行う生徒たちの声が聞こえてくる中、2人は黙々と互いの勉強を進めていた。しかし、せっかく2人でやっているのだから会話の1つや2つしなければわざわざ教室で勉強せずにより静かな図書館でやるべきじゃないか、と心の内で密かに考えていた城ヶ崎は今回の件で初めて知り合ったということで、冴山のことをもっと知りたいと思っていた。

「冴山はどうして応援部に依頼したんだ?」

 応援部への依頼、それは普段の学生生活を送る者からすれば特殊なことだと彼は思っていた。だからこそ依頼主それぞれの理由が存在し、それを知りたいという欲求が湧くのは不思議なことではない。冴山はペンを動かす手を止め、ノートを見つめたまま沈黙してしまった。

「あぁ、悪い。言いたくないならそれでいいんだ、俺が気になっただけだから。」

 思っていたより寡黙な人物だと城ヶ崎は知り、今すぐ聞き出せるわけではないと踏み、勉強に戻った。

 時間は過ぎていき、夕暮れ時になった頃、相変わらず会話が無い2人はあれから一言も喋らずに勉強していた。いつ切り上げようかと頃合いを見計らっていた城ヶ崎と同じだったのか、冴山はシャーペンの先をノックしたままノートに当てることで芯をしまった。そして鞄にノートやら教材やらをしまっていくので、今日の勉強は終わったのだと悟った城ヶ崎も帰り支度を始めた。2人とも片付けが終わったところで冴山はついに口を開いた。

「今日はありがとうございました。明日からもよろしくお願いします。」

 冴山の機械的な挨拶にも不気味さすら感じていた城ヶ崎は彼と初めて会った日のようなぎこちなさが消えぬままに言葉を返した。

「よ、よろしく……。」

 挨拶などはそつなく出来るというのに勉強会で会話をほとんどしようとしないのが城ヶ崎には疑問であり、それが晴れぬまま城ヶ崎は下駄箱へと向かった。2人はそのまま帰宅する、と言っても冴山の方はそさくさと歩いていき明らかに城ヶ崎と2人で帰るような雰囲気ではなかった。しかも校門を出てからは2人別々な方向へと歩き出したので、城ヶ崎は完全に1人で帰ることになったのだが、道中は冴山のことについて考えていた。初対面の頃は不気味さすら感じていた冴山だが、2回目となる今日も彼の行動の不可解さには首を傾げるばかりだった。あんなに黙っているなら一緒に勉強しようと誘った意味は無いのではないか、と本末転倒になるようなことを考える彼だが、引き受けた以上途中で投げ出すのは気が引けた。と言ってもただ勉強しているだけなので、仮にずっと黙っていたとしても城ヶ崎にはデメリットは無い。ならば気楽に勉強していればいいかと前向きに捉えた彼は冴山に抱いた疑念を頭の隅へと追いやった。

 冴山との勉強会はそれからも毎日実施され、5日目となった今日も2人は黙って勉強していた。こうも話すことがないとまるでこの教室には自分しかいないのではないかと錯覚するほどになっていた城ヶ崎はひたすらにシャーペンを走らせていた。ふと彼は手を止め、持ってきた500mlほどの容量の水筒を鞄から取り出し、蓋を開けるとそれを口へと運んだ。夕方近かったが、さすが保冷用というべきか、中の水はまだ冷たかった。それが喉を通過していき、清涼感を味わった彼は蓋を閉め、水筒を鞄の中にしまった。そしてまたペンを取ろうとした時、冴山が視界に写った。彼はペンを動かさずに、ノートを開いたまま隣に置いた数学の教科書と睨めっこしているように見えた。

 (もしかして、分からない問題があるのか?)

 いきなり話しかけるのは躊躇われたが、もしかしたら会話の糸口になるかもしれないと考えた城ヶ崎は意気揚々となりそうになるのを抑え、平静を装って冴山に話しかけた。

「何か分からない問題でもあるのか?」

 冴山は昨日と同様黙っており、静寂な時間がまたも流れた。せっかく話しかけたというのにずっと黙っている彼をじっと見つめていた彼は今日もダメか、とため息を吐き、またペンを握り自分の勉強を始めようとしたその時だった。

「ここが……分からない……です。」

 今にも消えそうな小さな声が聞こえた。2人以外誰もいないこの空間だからこそかろうじて聞き取れた城ヶ崎は冴山の方をもう一度見た。すると恥ずかしがっているのか、少し顔を赤らめている彼が城ヶ崎に教科書を差し出し、ペンで分からないであろう問題を指し示していた。城ヶ崎は冴山がずっと自分のことを無視していたのではなく、単に話しかける勇気が無かったのだと理解した。謎が解けた気分の城ヶ崎は微笑みながら、冴山の分からないと言っていた問題を見た。

「ここは……。」

 5日目にしてようやく初めての会話が成立したことに喜びを感じていた城ヶ崎は進んで冴山に問題の解法を教えた。この会話を皮切りに2人は少しずつではあるが、城ヶ崎がリードする形で喋る機会が増えていった。

 冴山と会話をするようになってから数日経ち、試験まであと1週間ほどとなり、教室では焦りを見せる者や普段通り友人と談笑したり、1人で机に向かって勉強したり様々な生徒が散見された。城ヶ崎はというと冴山と放課後勉強していることもあり、特に焦るような状況ではなかった。しかしもちろん全員がそんな余裕を持っている訳ではなく、特に瀬良は城ヶ崎に弱音を吐いていた。

「なぁ城ヶ崎、俺に勉強を教えてくれよ。」

 尻に火がついているのか、瀬良は明らかに焦っていた。城ヶ崎とは違い部活動に励んでいる分、余裕が無いのはおかしいことではないので、何とか力になれないかと城ヶ崎は考えていた。そこで彼はふとあるアイデアを思い浮かべた。

「瀬良、今日放課後空いてるか?」

「あぁ、部活は試験終わるまでもう無いからな。」

 キョトンとした表情をしている瀬良は城ヶ崎が何を言おうとしているのか分からずにいるようだった。

「分かった、じゃあちょっと待っててくれ。」

 そう言って城ヶ崎は席から立ち上がり、教室を出る。瀬良は訳も分からず彼の後ろ姿を目で追っていた。

 城ヶ崎は冴山がいる1年C組の教室に顔を出した。休み時間ということもあって少々騒がしくなっている教室の中を見渡し、1人席に座って勉強している彼を見つけた。

「冴山、今いいか?」

 城ヶ崎は彼に話しかける。冴山は城ヶ崎の顔を見ると、表情1つ変えずに言葉を返す。

「城ヶ崎君、どうしましたか?」

 相変わらず仏頂面を貼り付けたような表情だが、城ヶ崎はもう慣れており、以前のような不気味さはもはや感じずにいた。

「同じクラスに瀬良って奴がいて、今日の放課後一緒に勉強したいって思ってるんだけどいいか?」

「はい、僕は構いませんよ。」

 即答で返事が返ってきた。瀬良が加わることへの嬉しさや、逆にそれを拒否するようなそぶりなど、何かしらの反応をするものだと予想していた城ヶ崎は感情を一切見せない冴山に面食らったような気分だった。

「それじゃ、そういうことでよろしくな。」

 城ヶ崎はそれだけ伝えて自分の教室に戻った。自分の教室に入ってからは瀬良に冴山のことと放課後に勉強しないかと誘った。

「おう、頼むぜ。」

 瀬良は二つ返事で城ヶ崎の提案に乗った。

 その日の授業が全て終わり、掃除当番による清掃も済んだ後、教室にいるのは城ヶ崎、瀬良、冴山の3人だけだった。

「なんか、誰もいない教室ってわくわくするな!」

 これから勉強するというのに瀬良はやけに上機嫌だった。城ヶ崎はいつものように机を動かして向かい合わせの状態にすると、それに加えて別の机を2つの机の側面に繋げるように配置した。そして城ヶ崎と冴山は向かい合わせに、付け足された机には瀬良が座った。

「それじゃあ、始めるか。」

 城ヶ崎の合図に始まり、3人は各々の教材やらノートやらを鞄から取り出して勉強を始めた。

 3人が勉強を始めてから30分ほど経った頃だろうか、勉強会の様子はこれまでのものとは些か異なっていた。冴山は1人黙々と勉強を進めているのだが、城ヶ崎は瀬良に問題の解き方を教えようとしているのだが、彼にも分からず、行き詰まっていた。

「ここは……。」

「うーん、分かんねえ。」

 瀬良は頭を抱えており、城ヶ崎も分からないなりに思考回路を回転させていた。しかし埒があかなくなってしまったので、藁にもすがる思いで冴山の力を借りることにした。

「冴山、この問題できるか?」

 一か八かではあったが城ヶ崎は冴山に2人の分からない問題を見せた。その問題をしばらく眺めると、冴山は自分のノートにその問題の解き方を書き記した。

「こうすれば解けると思います……。」

 3人以外に誰もいない教室だから聞こえるほど小さな声で冴山は自分の解法を2人に見せた。

「なるほど、そう解けばいいのか。」

「おぉ、俺にも分かったぞ! ありがとう、冴山!」

 冴山の解き方が記されたページを見て2人は感嘆の声を上げた。それに加えて瀬良は彼の名を大きな声で呼び、感謝を伝えた。冴山はそれを聞いても仏頂面な訳だが、ほんの少しだけ口角が上がったように城ヶ崎には見えた。

「そう言えばよ、2人ってどういう関係なんだよ、別のクラスなのに。」

 打ち解けてきたと思ったのか、瀬良が2人にそんな質問を投げかける。

「あぁ、それは……。」

 つい話そうとしたところで城ヶ崎は口を閉じた。

「?」

 不自然な言葉の途切れ方だったので瀬良には恐らくはてなマークが浮かんだことだろう。今は個人的なものだが元は応援部へ来た正式な依頼だ。そのことを無闇に瀬良にはなしていいのか城ヶ崎は悩んでいた。しかし以前に松永の依頼を受けた時も今と同じような状況に陥った経験があったことを思い出した彼は何か言って誤魔化さなければと焦った。

「少し前に冴山から一緒に勉強しないかって頼まれたんだ。」

 最初に冴山が応援部へ来たことを伏せて城ヶ崎は冴山との関係を瀬良に話した。不自然な間が空いたことや、さらに城ヶ崎自身がぎこちなく答えたことで瀬良に疑念を抱かせるのではないかと恐れた彼だが、それは杞憂だった。

「へぇ、そうなのか。それじゃあなんで冴山は城ヶ崎に頼んだんだ?」

 瀬良は彼に続いて冴山にも聞いた。冴山は人と話すことがあまり得意なようには思えなかったので城ヶ崎は心配しているのだが、案の定冴山はペンを動かす手を止めずに沈黙してしまった。そんな冴山を瀬良はじーっと見続けている。まるで睨めっこでもしているかのようにお互いの行動を変えない2人に城ヶ崎はこの状況を変えようと口を開いた。

「冴山はあんまり人とは話さないぞ。俺だってこの勉強会の時間に冴山と初めて話したのは5日目の時だからな。」

 冴山にそれまで会話がうまく出来ていなかったことを引きずらせないようあえて彼は誇らしげに語った。冴山が黙っているのが人付き合いが苦手だからなのか、勉強への集中力が凄まじいのかは定かではないが、未だ謎が多い人物のように城ヶ崎の目には映っていた。

「ふーん。」

 瀬良はそんなものか、というふうにすぐに切り替えて勉強を再開した。彼の大雑把な性格故に険悪な雰囲気にならなかったことに城ヶ崎はほっと安堵の息を吐いた。

「僕は……。」

 また静寂な時間に戻ろうとした瞬間だった。この勉強会が始まってから城ヶ崎とまともに会話するのに5日かかったというのに、彼自ら声を発したことに城ヶ崎は耳を疑った。

「?」

 城ヶ崎は驚きを隠せずに動揺するような表情をしているが、彼とは初対面である瀬良は冴山が何を言おうとしているのか分からずその続きを待っているようだった。

「僕は応援部に依頼してたんですけど、出来ないって言われて……そしたら城ヶ崎君が個人で引き受けてくれることになったんです。」

 冴山はこれまでの経緯を包み隠さず瀬良に話した。相変わらず緊張しているように見えたが、どこか勇気を振り絞っているように見えた。その証拠に彼の声は若干だが震えているのだ。

「へぇ、そうだったのか。なんで応援部は依頼断ったんだ?」

 瀬良は疑問が尽きぬのか、再度城ヶ崎に質問した。もう冴山が自分から打ち明けた以上隠すことは何も無いと判断し、彼は話すことにした。

「あくまで応援部は応援しかしないからだよ。勉強を手伝うのはルール違反てことで断ったんだ。」

「で、それだと可哀想だからってことで城ヶ崎が引き受けたのか?」

「か、可哀想とは思ってねぇけど……。」

 瀬良に図星を突かれたような気分になり、照れ隠しをするように彼は目を逸らした。確かに冴山が依頼を断念して部室を去ろうとした時の表情と後ろ姿を見て不憫に思ったのは本当だが、それを事実だと認めることを城ヶ崎は恥ずかしがっていた。瀬良は良いものをみた、というふうにニヤリと笑うと城ヶ崎の肩をポンポンと叩いた。

「やっぱ城ヶ崎は良い奴だな。」

「う、うるせぇ……! 早く勉強に戻るぞ。」

 城ヶ崎は瀬良の腕を振り払い、またペンを走らせ始める。そしてそんな2人を見て冴山はほんの少し微笑むのだった。

  

 

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