第16話
週末を挟んだ後の月曜日というのは学校に対する憂鬱感がほとんどで、友達に会うことへの楽しみもあるが、焼け石に水のようなものだろう。城ヶ崎は月曜日の朝を1週間の中でも特に面倒になる気持ちを人並みに抱えながら登校していた。しかし、彼の心の内では普段とは異なる感情も渦巻いていた。今日はサッカー部の練習試合に参加するメンバー発表がされる日なのだ。城ヶ崎は工藤の友人として、応援部としてこの日を待ちかねていた。だが緊張しているわけではない、なぜなら工藤のセンスや努力はサッカー部の生徒も分かっているし、先日鹿島と話をした上級生も恐れをなしているほどだった。ならばメンバー入りは必然と言える、だからこそ工藤が応援を城ヶ崎に依頼した理由が彼には未だ分からずにいた。これを解決するには彼と直接話すしかないと考えた城ヶ崎は朝から工藤との会話を注意深く行い、彼の様子を観察することにした。
「今日発表だったよな? 練習試合のメンバー。」
城ヶ崎は自然な流れでグラウンドから教室へと向かう途中で話を切り出した。これからも工藤が朝練を続けるかは不明だが、少なくとも今日で城ヶ崎が付き合うのは最後になる予定だ。
「うん、今日まで朝練付き合ってくれてありがとう。」
工藤も今日で城ヶ崎の依頼が終わり、もう練習に付き合うことはないと考えているらしかった。
「いやいいんだ、応援部だしな。にしても意外だったぞ、松永から俺に依頼が来た時は。」
改めて城ヶ崎は工藤の意図に関する話題を切り出した。もしかすればこの会話でヒントを得られるかもしれないと考えたからだ。
「はは、そうかなぁ。」
工藤は先週見たような笑顔を見せる。それが城ヶ崎には作り笑いのように感じられた。先日の鹿島とサッカー部の上級生との一悶着があってから城ヶ崎は心なしか、人の演技というものに対して敏感になっているような気がしていた。今見た彼の表情も作り笑いなのではないかと疑いを持っている城ヶ崎はさらに踏み込むように会話を続ける。
「そりゃそうだろ、工藤は英明に来るにしては天才って感じがするぞ。それくらい周りと実力差があるしな。」
英明は確かにスポーツに力を入れている学校だが、推薦制度というものは存在せず、あくまで受験を経て入学してくる生徒だけで部活をするというのが学園の方針になっているし、多くの生徒はレギュラーの枠を減らしたくないために推薦制度の導入を嫌がる者がほとんどだろう。それゆえに推薦を取らない学校の中では英明は間違いなく強豪校の部類に入るのだろうが、スポーツ推薦で入学する生徒がいる学校に勝つことはほとんど無い。無論、その才能溢れる選手に勝ちたいというモチベーションを持って練習に励む生徒だっているだろうが、仮に城ヶ崎が運動部に入っていたとしたら、そうはならなかっただろう。だからこそ天才が同じ部活にいることを好ましく思わない者もいる。今回の例で言えば、サッカーというスポーツはチーム競技ではあるが、それ以前に試合へ出るためのレギュラーにならなければならず、熾烈な競争が起きるのは明白だ。その枠を勝ち取るために生徒たちは躍起になって練習をするわけだが、松永のような才能のある選手がいれば、もう1枠埋まってしまった、もしくは自分のポジションを奪われると焦る生徒がいるのはおかしい話ではない。バスケ部の前島の時には部内の空気がピリピリしていたというが、それはサッカー部でも同じことであり、そして彼は嫌がらせの標的になってしまったのだ。
「そんな訳ないよ、僕には才能なんて無い。」
珍しく力なく笑った工藤を見た城ヶ崎は内心驚いていた。いつも明るい彼のこんな表情は初めてだったからだ。そしてこれが演技ではなく、工藤の本音なのではないかとも感じている。彼を傷つけてしまったと瞬時に悟った城ヶ崎は慌てて謝った。
「悪い……工藤は努力してたよな。」
彼が努力しているところを直接見ていたにも関わらず、軽率な発言だったと城ヶ崎は反省する。そして同時に工藤が彼に依頼した理由がなんとなく分かったような気がしていた。彼は自分が天才だと思っておらず、人よりも努力ができるというだけだということを知って欲しかったのではないだろうかと彼は考えていた。
「大丈夫だよ、慣れてるから。」
彼はいつもの調子を無理矢理取り繕うようにまた笑った。今まで貼られた『天才』というレッテルに苦しんできたことを窺わせる発言に直感は確信へと変わっていく。
「それはそれですごいな。」
ずっと考えさせられていた謎がようやく解けそうだと思った城ヶ崎は工藤の言葉に彼の真似をするように普段通りを装って言葉を返した。
いつもの学校での1日が始まり、昼休みに入った。教室で弁当を食べる生徒や学食へ食べに行くものが多くいる中、城ヶ崎は後ろの席に座る瀬良の机に弁当を広げ、向かい合いながら昼食をとっていた。そしてそこには城ケ崎の隣の席に座る工藤も混じっていた。
「もうすぐ春の大会でよ、前島先輩めっちゃ気合い入っててビビったぜ。」
瀬良がバスケ部の様子について意気揚々と語り出し、城ケ崎は各運動部が出場する春の大会が近づいてることを思い出した。瀬良の所属するバスケ部には以前依頼を受けた前島という生徒がレギュラーとして出場することになっている。
「へぇ、それは楽しみだな。」
「うまくいくといいね。」
2人はそれぞれバスケ部の健闘を祈るように言葉を返した。城ヶ崎は応援部の応援した生徒が試合に出場する、という初めての経験をするのだ。彼が直接応援した訳ではないが、バスケ部ではないというのに自然と応援したいという気持ちが湧いてきており、これが応援部の醍醐味というものかと彼は思った。
「応援部に依頼してから調子も上がってるみたいだし、城ヶ崎には感謝だな。」
瀬良は笑顔を浮かべるが、それは自分に送られるべき言葉ではないと彼は考える。
「いやいや、俺は何もしてないよ。」
確かに彼は応援部ではあるが、実際に依頼をこなしたのは鹿島だ。まだまだ彼女には程遠いと感じている城ヶ崎はもっと努力しなければならないだろう。
お互い弁当を食べ終えたところで、ふと城ヶ崎は工藤の方を見た。彼はそろそろ食べ終わるように見えたので、今日中に自分の導き出した答えが合っているかを確かめたかった彼は、口を開いた。
「松永、ちょっといいか?」
「うん、いいけど……。」
一体何を言われるのか見当がつかないのか、彼は戸惑いながらも城ヶ崎についていき、それを瀬良は頭上にはてなマークを浮かべるような顔をしながら教室から出ていく2人の後ろ姿を眺めていた。
城ヶ崎はグラウンド近くに設置されている駐輪場に工藤を連れてきた。昼休みということもあり、グラウンドではキャッチボールをしたり、サッカーをしたりする生徒が汗を流している。
「で、話って何かな?」
何故呼ばれたのか分からないでいる工藤は城ヶ崎には疑問を投げかける。
「この前、工藤が俺に依頼をした理由を当てただろ? あれから考えたんだけど、実は違う理由なんじゃないかなって思ったんだ。」
工藤が先週のように演技をするのではないか、と注意深く彼は観察する。
「いや、あれは合ってるよ。僕は友達に自分の努力を見て欲しかったんだ。」
彼の言葉はいつも通りに聞こえ、自分の思い違いではないかと城ヶ崎の脳裏をよぎる。しかし1度得た確信はそう簡単に捨てられるものではなかった。
「もちろんそれもあるだろうけど、それだけじゃないだろ?」
城ヶ崎は一歩踏み込むように工藤に食いついた。松永の表情が曇り、それが図星を突かれたことによる表情なのか、言いがかりをつけられて困っている表情なのか城ヶ崎には分からなかった。だがここまできた以上城ヶ崎は引き下がろうとはしなかった。
「工藤、お前は辛かったんじゃないのか?」
城ヶ崎がその一言を放ったほんの一瞬、工藤は体を強張らせた。その彼の動きを見逃さなかった城ヶ崎は自分の考えが間違っていないことを悟り、彼にかけるべき言葉を伝える。
「工藤、お前は天才なんかじゃない。」
工藤は目を見開き、じっと城ヶ崎を見つめている。その目から視線を逸らさずに彼はさらに続けた。この言葉は今朝自分が工藤に対して言ってしまった無礼への戒めの意味も込められていた。
「お前が努力してるのを俺は間近で見てきた。だから分かる……お前は頑張ってる! 誰がなんと言おうとお前は天才なんかじゃない、人より努力が出来るすごい奴だ!」
これが城ヶ崎の導き出した結論である。工藤を見た者の多くが彼は天才だと言ってきたのだろう。だがそれは工藤がいた狭いコミュニティでの話であり、彼のいる世界が広がれば、彼より優れている選手などいくらでもいる。そのことに気づいていた彼は天才と呼ばれることをずっと引きずっていたのだろう。工藤は天を仰ぐと口を開いた。
「参ったなぁ、そんなこと言われたら、照れるじゃないか。」
彼は上を向いたまま話を続ける。
「最初は嬉しかったんだ、天才だって言われるのが。冗談半分で言ってたのかもしれないけど、もしかしたらって思い上がっちゃったんだよね。」
『天才』という言葉に憧れを持つのは普通のことだ、人よりも優れていると言われれば誰でも気分が良い。そして工藤はその『天才』という言葉に浸っていたのだろう。
「でね、ちょっと有名なサッカークラブに入ったんだ。そしたら、周りは僕なんかよりも全然上手くてさ、僕は天才じゃないんだって思い知らされたよね。」
工藤は苦笑いしているが、それ目には涙が浮かんでいた。恐らく当時の悔しさを思い出しているのだろうと城ヶ崎は推測する。
「でも悔しくてさ、それからは人一倍練習するようになったんだ。それで英明に来て、試合で天才たちに食らいついてやろうって思ってた。」
工藤は拳を強く握り締め、感情的になりつつあり、そんな彼を城ヶ崎は初めて見た。
「それなのに……。」
言葉の語気は強まり、怒りが滲み出ていた。そしてこの怒りは嫌がらせが原因なのだと城ヶ崎は悟った。彼は気にしていなかったのではなく、気にしないように努めていたのだ。
「僕にポジションを奪われるって思った先輩が嫌がらせしてきたんだ。奪われるって思ってるなら自分だって練習すべきなのに……。」
初めて引き出せたかもしれない工藤の本音、それは正論であり、彼に落ち度は無い。そしてそれを相談しなかったのはこの問題が大きくなることで部活動になんらかの支障をきたすのではないかと恐れたから。それほど彼はサッカーというものに自分の青春をかけており、それを嫌がらせ程度のことで邪魔されたくはなかったのだろう。
「だから僕は行動で示すことにしたんだ。先輩がやっていることは惨めなことだって、僕は頑張ってるんだって。」
これが朝のランニングを校庭でやるようになった理由、顧問へのアピールというのはついでで嫌がらせをしてくる先輩に行動で示すことが本来の目的だったのだ。そしてそれをわざわざ城ヶ崎に依頼してまで付き合わせた理由を城ヶ崎は理解していた。
「俺はお前の努力を見届けられたか?」
城ヶ崎は工藤に聞いた。工藤は彼の目を見ると、ニコッと微笑んだ。
「うん。ありがとう、城ヶ崎くん。」
これまでの悔しさを溢れさせていた彼の表情とは打って変わって笑顔を見せる工藤と、城ヶ崎はいつものように言葉を交わしながら教室へと戻っていった。
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