第15話
鹿島が工藤への嫌がらせをしていた上級生に会った日から一夜明け、今日も城ヶ崎は工藤の朝のランニングに付き合っていた、と言ってもいつも通りただ眺めているだけなのだが。それでも工藤は相変わらずそれでいいと思っているようだった。暫くして予鈴が鳴り、タオルを首にかけ、汗を拭きながら持参したスポーツドリンクをゴクゴクと勢いよく飲む彼と城ヶ崎は一緒に教室へと戻っていく。下駄箱で靴を履き替える時に城ヶ崎は思い切ってある話題を切り出す決心をした。
「なぁ工藤。」
自分の声がいつもよりもぎこちなく、震えているのが分かった。
「何?」
工藤はそんなことを気にも留めないかのように純粋な目で城ヶ崎を見つめる。変に緊張している城ヶ崎が馬鹿に思えてくるほど工藤の表情は普段通りだった。
「お前がどうして応援部にこの依頼をしたのかずっと考えてたんだ。それで最近、少しだけ分かったような気がした。」
「ふーん、城ヶ崎君はどこまで考えたの?」
工藤は穏やかな声で、城ヶ崎の出した答えを待っているようであり、その様子を見て城ヶ崎はゆっくりと口を開いた。
「まだなんとなくだ、なんとなくなんだが……お前は努力しているところを誰かに見て欲しかったのかなって……。顧問の先生に練習しているところをアピールしたいっていうのはついでで、本当は近くで誰かに見ていて欲しかったんじゃないかって……。」
工藤が嫌がらせにあっている事実を自分が知っていると彼に悟られてはならないと城ヶ崎は考えていた。なぜなら白銀からの話によれば、顧問に相談しようという同級生からの提案を悉く断ってきたというのだから、もしかすると工藤はそれを他人に気遣いされることが嫌なのかもしれないからだ。だがこの嫌がらせを受けている時期にわざわざ応援部に、と言うより城ヶ崎に依頼をしたのは、自分の努力を誰かに見て欲しかったからだという1つの仮説を彼は立てた。自分の努力を見てくれている人間がいるのは心強いものなのではないかと考えたからだ。無論これが合っているかは分からない、それでも彼は工藤に聞きたくなったのだ。応援部として、友人として彼の理解者に一歩でも近づくために。城ヶ崎の仮説を聞いて工藤はしばし黙った後、無言のまま上履きに履き替えた。その工藤が黙っている時間が城ヶ崎には長い時間に感じられ、工藤が果たしてどんな反応をするのか彼には想像もつかなかった。昨日ほどではないものの緊張していた城ヶ崎はゴクリと唾を飲み込んだ。周りの生徒はそれぞれ慣れた手つきで靴を履き替え、各々の教室へと足を運ぶ中、2人だけがまるでその流れに抗うように、そこだけゆっくりと時間が過ぎているような感覚になっていた。上履きを履き終えた工藤は城ヶ崎の方を見つめ、ついに口を開いた。
「そうだね、正解だよ、城ヶ崎君。」
あっさりと城ヶ崎の導いた答えを肯定した工藤に彼は拍子抜けした。こんなにすんなりと自分の考えが的中するとは思っていなかった彼は工藤を見つめたまま固まってしまった。
「さ、教室行くよ。」
何を言えばいいか分からぬまま中途半端な反応を取ってしまう。
「あ、あぁ……。」
不気味なほどに工藤は普通だった。そんな彼を見て城ヶ崎は言葉では言い表せない違和感を感じていた。その違和感を口で表現出来ないまま彼は工藤に流されるように2人で並んで教室へと向かった。胸の奥につっかえたモヤモヤを払拭できないまま教室に辿り着くと、いつものように瀬良たちが彼らに話しかけてきた。瀬良の明るく気さくな性格のおかげか、瀬良繋がりで知り合った友人も増えていた。それは城ヶ崎には良いことなのだが、その友人たちのことがどうでもよくなるほどに今は工藤のことが気になって仕方がなかった。
いつもの日常、と言うにはやけに胸苦しさを感じる不快とも言える時間が続き、城ヶ崎は必死に朝の時間で感じた違和感が何なのかを模索していた。工藤は確かに城ヶ崎の答えが正解だと言った、それなのになぜ彼はあんなにもリアクションが薄かったのか。以前なぜ応援部に依頼したのかを聞いた時は言葉を濁し、恥ずかしがった。ならば正解を言い当てられた時は多少照れたり、喜んだり何かしらの反応を見せるのが普通だ。それにも関わらず工藤は普段通りの笑顔を浮かべていた。それは何故か、それが分からないまま他に不思議な点が無かったか考えるためにあの時間のことを思い出す。そこで彼の脳内ではあの時感じた感覚が思い起こされた。城ヶ崎が彼の考えを述べた時、工藤は答えるまで間を空けた。その点はあの普段通り過ぎる対応の陰に隠れているが、普段の物事をはっきりと言う工藤としては変だと言える。あの空白の数秒、たかが数秒と言えばそれまでだ、だがしかし、城ヶ崎はあの時間は何か意味を持っているものだと考えていた。その時間に何かを思考したが故にあの普通の振る舞いをするに至ったのだろう。確証は無い、本人に聞く勇気も無い、それに工藤が正解だと言った以上、これは城ヶ崎の思い過ごしかもそれない。それでも彼の中では何かが引っかかっていた、真実は別のところにあると。
(なぜ工藤は演技をしたんだ……?)
演技、その単語が思い浮かんだ時、城ヶ崎は昨日の鹿島茜を思い出していた。彼女は先輩と対峙した時、虚勢を張って彼女の伝えたいことをまっすぐに伝えた。もしこれが今朝の工藤に当てはまるとしたら、工藤の真意はまだ分からないということだ。彼が応援部に依頼した本当の理由は実はまだあるのだろう、それを城ヶ崎は知りたいと思った。知らなければならない訳ではないが、ここまで工藤と関わった以上、彼は気になってしまっていた。だが、これは詮索すべきではないのかもそれない、工藤は本当は誰にも知られたくなくて、城ヶ崎の出した答えに適当に相槌を打って誤魔化したかったのかもしれない。ならば城ヶ崎が今考えていることは工藤からすれば迷惑かもしれないのだ、だから城ヶ崎はここまで熟慮してなお工藤本人に聞くのを躊躇おうとしていた。
(何もしないのが良いのかもな。)
答えは分からない。だがもしかしたらこれ以上踏み込めば工藤との関係を壊しかねない、ならば手を引くべきだ。しかも工藤とは知り合ってまだ1ヶ月も経っていない、何故城ヶ崎がここまで考える必要があるのか、彼自身も分からなくなっていた。
時間は過ぎ、放課後となり、城ヶ崎は今日も部室に来ていたが、ただボーっと椅子に座って立て肘をついていた。
「はぁ……。」
無意識に彼はため息をこぼした。それを窓からグラウンドの様子を眺めていた鹿島は彼に聞いた。
「どうしたの? ため息なんかついて。」
城ヶ崎の事情を知らない鹿島は当然のように彼のため息の理由を知りたがった。彼はバツが悪そうに、諦めて彼女に相談する決意をした。ただの思い過ごしかもしれないこの考えはもしかしたら笑われるかもしれないと彼は思っており、人に話すことが恥ずかしかったのだ。しかし彼1人ではもう手詰まりだと自覚していたため、ここは恥を捨てるべきだと判断する。
「実は、今朝工藤に応援部に依頼した理由を言ってみたんです、その時の反応が気になってるんですよ。」
城ヶ崎はついに自分の考えを他人に打ち明けた。
「彼はあなたの話を聞いてなんて言ったの?」
「正解だって言ったんです。でもそれが俺には、嘘臭く見えたんです。なんか、演技してるなっていうか……。」
歯切れの悪い物言いで、彼は合ってる確信の無い説を口にする。しかし自信が無いせいか覇気なんてものは一切感じられず、彼は口籠もっていた。
「城ヶ崎君て結構勘良いんだ。」
「はい? なんか言いましたか?」
彼女がつぶやいた言葉を城ヶ崎は声量が小さかったせいで聞き取れなかった。彼女は穏やかな声で否定する。
「なんでもないよ。」
工藤のことに気をとられていた城ヶ崎には鹿島のこの誤魔化しを追求する余裕は無かった。
「その時の状況を詳しく教えて。」
それから城ヶ崎は今朝の工藤の様子を事細かに説明した。彼の答えに対する返答をするのに間があったこと、正解だと言ったのにやけに普段と同じ声色だったこと、それらを話した後で彼女は腕を組んで悩み出した。
「確かに怪しいと言えるわ。でも確信は持てない、この結論は城ヶ崎君と私は一緒ね。」
彼女の言葉に城ヶ崎は少々落胆した。もしかすれば工藤本人を見ていない鹿島がこの説明だけで何か解決のためのヒントをくれるのではないかと、淡い期待を抱いていたからだ。だがそれが傲慢であることも彼は理解していた。彼女は考えるのを止めようとする様子は無い。
「確認するけど工藤君が嫌がらせを受けていることを城ヶ崎君が知っていると彼には知られたくないのよね?」
彼女は奇妙なことに問題の解決に役立つとは思えないことのついて確認してきた。
「はい、白銀の話から判断するにそういうのを人に心配されたくない奴のような気がしますから。」
そして彼女はそれからも考える素振りを見せるがすぐにそれを終えた。
「だったら私は想像できるよ、工藤君が君に依頼した理由。」
彼女が不意に言った言葉は城ヶ崎の想像を超える一言だった。
「え?」
頭が混乱し普段通りの思考が滞っている。なぜ工藤の意図をこのたった少しの期間で推測できたのか、しかも一度も工藤本人には会っていないというのに。そして求めるべき答えを彼女は得たかもしれないという事実が強引に彼の思考を引き戻した。
「それはどんな理……。」
全て言いかけたところで彼女は人差し指を自分の指に近づけて城ヶ崎を制した。そしていつもより冷たく言い放つ。
「その答えは城ヶ崎君自身が見つけなきゃ駄目だよ。」
彼女の真剣な表情から放たれた言葉に城ヶ崎は以前立てた彼の決意を思い出した。安直に答えを得ようとした自分が恥ずかしくなり、反省した彼は落ち着きを取り戻した。彼は忘れかけていた決心をもう一度心に刻み込んだ。
「そうですね、俺は自分の答えを見つけます。」
彼女の目を見てはっきりと告げた。そんな彼の目を見た彼女は安心したように微笑んだ。
「うん、頑張ってね。」
たった一言、その一言が城ヶ崎には嬉しかった。その言葉を背に、あからさまに喜ぶようなことはせずに彼は部室を後にした。
帰るために下駄箱へと向かう途中、城ヶ崎は彼女から最後に言われた言葉を思い出していた。確かに人から応援されれば嬉しいのは当たり前なのだが、嬉しいという感情にしては高揚感が高まりすぎているようにも感じていた。彼が彼女のその一言をやけに嬉しく感じるのは、自分が女子の言葉に浮つくような軽い男なのではないか、と考えてみるが、それほど鹿島茜という女性は魅力的で誰とでもフレンドリーに話せる彼女はまさに応援部にうってつけの人物なのだ。だからこそ彼女の言葉はありきたりのものであっても自分を応援してくれるように感じるし、それが特別嬉しいのは彼女の声色のためだと城ヶ崎は歩きながら考えた。
城ヶ崎がいなくなってからも部室で1人、鹿島茜はいつものようにグラウンドを眺めている。いつも眺めているのは好きな人がいるからか、否である。彼女は人よりも努力というものを尊く感じている。だからこそ頑張っている人を見るのは彼女にとって楽しみの1つなのだ。だが今日はその楽しさだけでなく、別の感情も湧いていた。
「演技っぽい、か……。」
彼女以外誰もいない部室で鹿島茜は呟いた。まるで白馬に乗った王子様が来るのを、遠くを見つめる目をしながら健気に待ち続ける1人の純粋無垢な女の子のように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます