第14話

 城ヶ崎に自分の鞄を預けてからひらりと華奢な体で曲がり角から歩いてくる先輩たちに姿を現した。こちらに向かってくる三年生の先輩たち三人と対峙した彼女の背中は酷く力不足に見えた。まだ言葉を交わしていない分、ただ様子を見ただけだが、本当に彼女一人で大丈夫なのか今更ながらに不安になった。しかし彼が出たところで足手まといになるのは明らかなので、歯痒い気持ちを抱えながら城ヶ崎は事の成り行きを見守っていた。

「あなたたちサッカー部ですよね?」

 鹿島は部活紹介の時のような力強い声で先輩を問いただす。

「あ? お前確か応援部の……。」

 初対面とはいえ、彼女が応援部だと分かるあたり知名度の高さが窺えた。

「応援部部長の鹿島茜です。」

「応援部の奴が俺らに何のようだ?」

 三人組のリーダー格と思われる強面の茶髪を逆立てている生徒が一歩前へ出てきた。彼女は彼らの威圧感に負けじと用件を伝える。

「あなたたちがある一年生に嫌がらせをしているから止めさせてほしいと依頼が来ました。単刀直入に言います、こんなこと止めたらどうですか?」

 彼女の言葉は相手への軽蔑の意が込められていた。それを聞いた3人は余裕の表情を浮かべ、反論してくる。

「俺らそんなことやってねぇぞ。依頼人の勘違いなんじゃねぇのか?」

 当然の反応と言うべきか、彼らはしらばっくれて口々に知らないと言い出した。しかし、彼女は白銀から情報だけでなく、証拠となる写真を受け取っていた。それを鞄から取り出して三人につきつける。

「証拠ならありますよ。これがその写真です。」

 城ケ崎からは彼女の表情は見えない。しかし声色から彼女の強気な姿勢は十分すぎるほどに感じられた。

 だが彼らは動じず、しらばっくれることを止めない。

「そんなの状況証拠でしかねーだろ? 俺らがやった証拠にはならねぇよ。」

 思いの外リーダー格の男は冷静であり、彼を挟む二人の取り巻きはニヤニヤしながらそうだそうだと同調し、彼女のことを完全に舐めている様子だった。そろ姿勢に城ヶ崎はイライラを募らせていく。

「まぁ、たしかにそうです。」

 すっぱりと証拠が不十分であることを彼女は認めると、次の一手に出た。

「なら、これは顧問の先生に提出しないといけませんね。」

 まるでこうなることを分かっていたかのような口ぶりで、彼女の声には余裕、さらには相手に対する慢心すら感じさせた。

「なっ……!」

 リーダー格の男子生徒は途端に狼狽えた。そしてそれに呼応するように取り巻きの二人も同様な反応をする。

「いいんですか? これが顧問の先生の手に渡ったら面倒なミーティングやらされるんじゃないんですか?」

 鹿島からすれば先輩なので一応敬語を使っていた彼女だが、ここぞとばかりに上から威圧をかけるように彼らに言葉で詰め寄った。

「チッ……!」

 男子生徒は悪態をつくように舌打ちをした。束の間の優勢はあっという間にひっくり返り、劣勢へと立たされ彼らは滑稽に見え、城ヶ崎は心の爽快感を味わっていた。

「その情報をお前らに流したのは誰だ……!」

 その男子生徒は最早隠すつもりはなくなったのか、せめて自分たちのことを応援部に告げ口した生徒を知りたがり始めた。しかしここまで来れば鹿島が劣勢になる確率は極めて低くなったと言える。

「あいにくですが、依頼人の情報を他人には教えないルールなので。」

 今まで聞いたことが無いほど相手を煽るような彼女の口調に城ヶ崎は頼もしく感じると共に動揺していた。まるで今の彼女が自分の知らない人間であるような、入部してから彼女と一緒にいるようになって感じていたことが彼にはあった。それは最初、蝋燭の火のように心の奥底で微かに輝く淡い光だったが、段々と大きくなっていき、今この瞬間にその火は猛々しい炎へと肥大化し、無視のできないものへとなった。

「一体、どれが素の彼女なんだろう……?」

 言葉にしたことで城ヶ崎の疑問はより大きくなった。だが今はそれよりも彼女と3人の先輩たちの会話の行方の方が彼だけでなく応援部にとっても重要だった。

「面倒くせぇ……!」

 先輩明らかに苛立ち、彼女を鋭く睨んでいる。その視線と気迫は遠くから眺めている城ヶ崎にもひしひしと伝わってきていた。それだというのに鹿島がたじろぐ様子は見られなかった。

「あなたはそんなにレギュラーの地位を守りたいんですか?」

 ふと彼女が相手に質問をした。なぜそんなことをするのか城ヶ崎には見当がつかなかったが、彼女のことなのできっと何か意味があるのだろうと推測した。

「当たり前だろ! 運動部ってのは俺にとってレギュラーになれるかなれないかが全てだ!」

 感情を剥き出しにするほどのレギュラーに対する強烈な執着心、それは城ヶ崎にも理解できることであり、そのこだわりが工藤への嫌がらせに繋がったのだと彼は考える。

「なら、レギュラーの地位を守るためなら何をしてもいいって言うんですか?」

 彼女は怒りのせいか腰の横で拳を強く握りしめていた。そして溜めた怒りを吐き出すように言葉を発した。

「あなたは自分の実力で勝ち獲りたいって思わないんですか?!」

 ついに発せられた彼女の怒声、それは彼らを威圧するには十分であり、実際に彼らを黙らせた。

「レギュラーの地位を守るための努力をあなたはやったんですか? もうこれ以上は無理だと自分に自信が持てるほどに打ち込んだんですか?」

 彼女は相手に質問をぶつけていくが、話すごとに怒りは湧き上がっていくように見える。そしてそれになんとか言い返そうと先輩は必死になっていく様子が窺えた。

「お前に何が分かるってんだ!? 俺は努力したさ、なのにあいつは入部してすぐに俺のレギュラーの位置を奪いにきやがった。あいつは天才だ、なんであんな奴が英明に来たのか分かんねぇ……。」

 城ヶ崎には男子生徒の言いたいことはなんとなく分かっていた。凡人の努力には限界があり、愚直に積み上げた実力を天才たちは一瞬で抜き去っていく。それを目の当たりにした凡人は様々な反応をするが、大半の者は天才に追いつくことを諦める。天才たちは自分達とは別の次元に住む者たちだと区分分けし、自分達の世界だけで比較をし、切磋琢磨をする。それは城ヶ崎も例外ではないだろう。

「甘えないで下さい!」

 そのたった一言が三人の先輩たちだけでなく城ヶ崎の胸にも突き刺さる。それからも彼女は言葉を立て続けに並べ立てた。

「天才なんてこの学園にはきっといないんです。そんな天才なら推薦でも貰って強豪校に行くのが普通じゃないですか?」

 彼女の言っていることは正しい。しかしその正しさを受け入れられないのが凡人なのだと城ヶ崎は悟った。

「う、うるせぇ!……工藤は三年の俺らを追い抜くくらいずば抜けてて……。」

 その先輩は悔しさを滲ませている。

「いいですか? 『天才』なんて言葉は凡人が努力を諦めるために使うんです。努力を放棄した凡人と努力する天才のどちらが優れているかなんて分かりきってるじゃないですか!」

 彼女の言葉は努力を諦めた人間には突き刺さる言葉だろう、中学の頃の城ヶ崎の周りには追いつけないと思わされるような絶対的な上手さがあった部員はいなかったが、あの先輩は違う。工藤という自分とは圧倒的なセンスの差のある新入生が現れ、瞬く間に自らのポジションを奪おうとする。焦らない者がいるだろうか、取られないために努力をするのが自然な流れだ。しかし恐らく彼は直感してしまったのだろう、無理だと。自分には追いつけない、今はまだ工藤が新入生だからこそレギュラーの地位はかろうじて守られているが、試合などに出て顧問の目に留まれば必然的に今の自分のポジションは失われるだろう。それが分かってしまった彼は工藤に嫌がらせをするという苦肉の策を取ったのだろう。

「最後まで足掻くべきじゃないですか?」

 固まる先輩に対し、彼女はまた言葉を放った。それを聞いてもその先輩は黙っている。

「あなたがやるべきことは工藤君と正々堂々とポジションをかけた勝負をすることじゃないんですか?」

 そこまで言われ、ようやくその先輩は歩きだした。無言で鹿島を通り越すと、取り巻き2人も慌てて彼について行く。鹿島はその先輩に新たに何かを伝えるわけでもなく、微動だにせずただ立ち尽くしているように見えた。彼女と先輩たちがすれ違ったところで城ヶ崎は彼女の元へ駆け寄った。彼女と口論をした先輩の表情は強張っており、何を考えているのかは分からなかった。

「先輩、お疲れ様です。」

 彼らが角を曲がり、姿が見えなくなると城ヶ崎は彼女の後ろ姿に声をかけた。鹿島は暫く間を空け、いきなり城ヶ崎の方へ振り向いた。

「緊張したぁぁ!」

 その言葉通り、彼女は緊張の糸が切れたように大きく息を吐いた。豹変とも言える彼女の変貌ぶりに城ヶ崎は驚くように目を見開いた。彼女に鞄を手渡そうとすると、それを受け取ると同時に興奮冷めやらぬ様子で話すのを続ける。

「怖かったぁ、殴られるんじゃないかと思った!」

 心から安堵したのか、額に浮かぶ汗を腕で拭う姿を見て城ヶ崎は先ほど思い浮かんだ疑問の答えを得たような気がした。

 (きっとこれが本来の鹿島先輩なんだろうな。)

 上級生の生徒と対峙していた時のあの凛々しい姿から部室で見せた弱々しいと言うには明るすぎる彼女を見て、彼は鹿島が演技が得意なのだという感想を抱いた。そして今はスイッチが切れている状態なのだと。彼女は満足感や達成感に溢れた表情を浮かべており、彼はそれを見て心が温かくなるような感覚を覚えた。

「いやぁ、あの先輩も頑張ってくれるといいね。」

 工藤への嫌がらせが止むことよりも先に言葉を交わした生徒への配慮を述べたことが彼には意外だった。

「そういえば、鹿島先輩は相手のことを励ますような言葉が多かったですね。」

 その言葉をきっかけに思い出したように城ヶ崎は彼女の言動を振り返っていた。彼女は先輩を責めることよりも努力するよう促しているように感じられた。彼女はニコッと彼に微笑んだ。

「だって勿体無いじゃない? せっかく頑張ってレギュラーの地位を手に入れたのに、奪われる側になったとたん逃げ出すなんて。自分の努力を無駄にしてるような気がするのよ。」

 彼女はしんみりとした声色で独り言のように呟いた。あの先輩に対して怒り以外の感情が湧いてなかった彼は自分が恥ずかしく思えた。きっと彼女は最初から相手のプライドをただへし折るのではなく、努力する方向へ気持ちを持っていかせるよう考えていたのだろう。

「さすが応援部部長、て感じですね。」

 紛れもない本音がポロッと城ヶ崎の口から出ていた。それに気づいてハッとして彼女の顔を見ると一瞬だけ頬を赤らめているように見えたが、すぐにいつもの顔色に戻った。

「さぁ、とりあえず終わったし帰ろっか。」

 彼女がとびきりの笑顔を浮かべてくる。

「そうですね。」

 城ヶ崎は快くその提案を承諾し、二人は帰路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る