第13話

「来てくれてありがとう、そこの椅子に座って。」

 鹿島に促されるがまま、白銀は部室中央に置かれた椅子に座り、机を挟んで彼に向かい合うように2人は座った。

「今日はどんな依頼をしに来たの?」

 彼女の何気ない問いに対し白銀はやけに緊張しているように見えた。サッカー部ということもあり、城ヶ崎は何か不穏な空気を感じ取っていた。

「実は……サッカー部は今空気が悪いんです。」

 彼の言う空気が悪い、とは1年生の練習試合のメンバー選出のせいだろうと城ヶ崎はすぐに思いついた。そしてそれは鹿島も同じようだった。

「えぇ、たしか練習試合のメンバーがもうすぐ選ばれるのよね? 話は聞いてるわ。」

 彼女は彼の言いたいことを察しているようだった。しかし、それだというのに白銀の表情は一層険しくなっていった。

「それはそうなんですが、そのせいなのか、今部内で嫌がらせのようなことが起きているんです。」

「!?」

 2人の間に緊張が走った。城ヶ崎はちらっと鹿島のほうを見ると、彼女は明らかに表情を曇らせていた。それは城ヶ崎も同様なのだが、この時点で誰が嫌がらせのターゲットになっているのか、彼は直感で分かってしまっていた。

「その標的になっているのが工藤君なんです。」

 告げられた事実、その残酷な現実を目の当たりになる予感がしていた城ヶ崎は拳を強く握りしめた。なぜ工藤が彼に応援を頼んだのか、それにこの嫌がらせが関係しているのは確実だった。

「どうして工藤君だけが嫌がらせを受けているの?」

 鹿島は表情が強張りながらも質問を続けた。白銀も勇気を出すようにさらに話し始める。

「工藤君はとても上手で、まだ数回の練習だというのに先輩にも遅れをとらない、むしろ先輩を追い抜いていくくらいなんです。」

 白銀からは工藤に対する羨望、そして彼を心配するような気持ちが感じ取れた。

「それで何人かの先輩に目をつけられちゃったんです。レギュラーを取られるんじゃないかって思ったのか、何人かの先輩が工藤君に嫌がらせを始めたんです。最初は軽いものだったのかもしれないですけど、彼が反抗しないのをいいことにどんどんエスカレートしていって……。」

 入部してまだ一ヶ月弱だというのにこれほどまでに先輩が後輩に嫌がらせをするというのは、皮肉にも彼の才能の証明と言えた。サッカー部ではない城ヶ崎にも工藤が放つセンスというのは普段の会話の節々から感じていたし、それが先輩にとって気に食わなかったのだろう。この学園に入る生徒は才能に恵まれず、ある程度努力してきた者が多い。だからこそ才能ある者に対して嫉妬心を抱くのは他の高校生に比べれば強いのかもしれない。城ヶ崎が応援部に入部してから初めての生徒間のトラブルという案件、明らかに今までの依頼とは難易度が異なることに対して城ヶ崎はいつも以上に緊張していたし、怒りも湧いてきていた。だがその怒りをどのようにして解消すべきか分からず、ただ行き場の無い怒りだけが募っていった。

「依頼というのは工藤君を助けて欲しいんです。」

 白銀の依頼はシンプルであり、城ヶ崎にとってなんとしても応えたい内容だった。しかしそれが容易でないことはこの場の3人は理解していた。そもそもこの依頼に対しては疑問が伴っていた。それを城ヶ崎は冷静に指摘する。

「嫌がらせなんて大きな問題があるならまずは顧問に相談すべきじゃないか?」

 まず大人である顧問に頼ろうとするのが基本であり、本来生徒である応援部がわざわざ介入すべきではないだろう。しかしその提案に白銀は首を横に振った。

「工藤君がそれを嫌がったんです。僕ら1年生は彼を気にかけていて、時々顧問に相談すべきだって話していたんですけど、ずっと拒んでいるんです。」

 たしかにそのような嫌がらせを受けた場合に、他人に相談することを恥ずかしいことだと捉え、自分1人で抱え込むケースはよく聞く話だ。だが工藤を知る城ケ崎には、彼が恥ずかしがるとは思えなかった。

「それはどうして?」

 鹿島は困惑するように白銀に聞いた。白銀は工藤に言われたであろう言葉を恐らくそのまま伝えようとした。

「工藤君が言うにはあまり大事にしたくはないようなんです。嫌がらせと言ってもほんの数人の先輩だけだって思ってるらしくて……。」

 たかが数人、とはいえ練習毎に、より悪い状況であれば毎日そのような嫌がらせを受けていては気にしないというのは難しいだろう。それに白銀の話し方を見る限り、工藤が自身に応援の依頼をした理由はおそらくこの嫌がらせが関係しているだろうという結論を城ケ崎は導きだした。

「この依頼は私が引き受けるわ。城ヶ崎はこのまま工藤君の応援をやってちょうだい。」

 その提案を聞いて、城ヶ崎は何か言いたげな表情をした。それをあえて鹿島は見ないようにしているのか、彼と目を合わせようとはしない。城ヶ崎が工藤の依頼を担当している以上、手が空いている彼女がこの依頼を受け持つのは自然な流れと言える。しかし彼はたまらず声を上げた。

「先輩、この依頼……俺にも手伝わせてもらえませんか?」

 この提案は彼の工藤に対する個人的な感情から生まれたものであり、それは先輩から後輩に行われる嫌がらせへの怒りだった。彼の言葉に鹿島は無言でじっと考え始めた。

「分かったわ、城ヶ崎君のやりたいようにやって。私は今回、あくまでサポートという形をとるわ。でも、事が事だから先生の力を借りることも考えておいてね。」

 彼女は数秒の思考を済ませると、城ヶ崎の提案を条件付きで許可した。その表情に曇りはなく真剣さが伝わってきたが、冷静さは失われていないように見えた。

「くれぐれも大事にしないよう細心の注意を払ってね。きっと工藤君が1番望まない事だろうから。」

 それは城ヶ崎も同じ考えだった。なぜなら大事になれば工藤の今までの辛抱を無駄にしてしまうからだ。それだけは絶対避けなければならないことだった。

「はい、分かってます。」

「それじゃあ白銀君、まずは嫌がらせをしている先輩たちについて教えてくれないかな?」

 それから城ヶ崎たちは相手の先輩について白銀から話を聞き、問題をどう解決するかを話し合った。どのような手段でこの依頼を解決するか、初めてのことだったので城ヶ崎は難航すると考えていたが、さすが部長と言うべきか、鹿島が話し合いの中心になっていた。まずは相手の情報を白銀から聞き出し、3年生の先輩たちだと分かった。

「大事にしないためには人目につかない場所で、ビシッと言ってやるのが1番ね。」

 彼女はやってやるという気持ちで息巻いているが、聞いている2人はそんな簡単にできるのかと眉をひそめていた。

「俺たちが言ったところで嫌がらせは止まりますかね?」

 初対面の相手にいきなり嫌がらせを止めろと言われたところで素直に話を聞いてくれるとは思えない。それだというのに彼女の自信は一体どこから来るのか城ヶ崎には分からなかった。

「私に任せて、ガツンと言ってやるわよ!」

 彼女は拳を突き上げた。いつにも増して強気な彼女を見て、思わず苦笑いを浮かべる城ヶ崎と心底感謝するような目で白銀が彼女を見ていた。

「それじゃ、時間はどうしますか?」

 ひとまず先輩たちに一言物申すのは鹿島がやるとして、残る問題は時間と場所だった。

「できれば彼らだけの時間を見つけたいわね。」

 ガツンと言ってやると覚悟を決めていた彼女もさすがに場所と時間は気にするようだが、仮に今が言いたいタイミングだと分かればすぐにでも部室を飛び出して先輩たちの元へ駆け出しそうな雰囲気だった。

「だったら、部活から帰ってる途中はどうでしょうか? あの先輩たちはいつも一緒に帰っているので、その時間なら大丈夫だと思います。」

 白銀が思いついたように声を上げた。彼女の気合いの入り方に安心したようで、部室に来た時のあの不安に満ちた暗い表情は見る影もなく、かなり乗り気なように見えた。これで先輩たちに会う時間と場所が決まり、後は決行するだけとなり、3人はそこで解散した。

 これ以上大事にせず、出来れば工藤に知られることなく嫌がらせを止める、一筋縄でいかないのは火を見るより明らかだ。だが城ヶ崎の決意は揺るがなかった。それは工藤が友達だから故に助けたいという感情によるものなのだが、それだけではないようにも彼は感じていた。それはきっとこれが部活動であるからだ。中学の頃には味わいきれなかった部活に没頭して仲間と成功を分かち合う感覚を得たいがために、部活に対する執念を忘れられなかった彼が手に入れたチャンス、中学のトラウマを払しょくするための今後訪れるか分からない千載一遇の機会かもしれなかった。それを時折考えるからこそ、城ケ崎は彼なりに部活に打ち込んでいるのだ。その事実を城ケ崎は自覚し、自分にもまだ青春を謳歌できるのだと胸が躍るのだった。そのためか嫌がらせを止めるよう会ったこともない先輩に行くという、並大抵の勇気が無ければ出来ないようなことをするというのに、鹿島があれほど気合いを入れていたことが心強かったせいもあってか、彼は緊張感だけでなく高揚感すら感じていた。

 英明学園は校門から出ると3方向に道が分かれている。ほとんどの生徒は右方向の最寄駅がある方へと歩いていくのだが、白銀が言うには今回の目的である先輩たちはほとんどの生徒が通らない真ん中の住宅街へと続く道へ向かうのだという。それならばと、先輩たちに接触するのは部活終わりということになった。翌日、早速サッカー部の練習がその日はあった。放課後になってから一度部室に集まった鹿島と城ヶ崎はこらから行う部活動への緊張感に襲われ、変な調子になっていた。そしてその場には2人だけでなく、顧問の佐久間先生もいた。

「じょ、城ヶ崎君? こ、心の準備は出来てるかしら?」

 入部してから初めてこれほど緊張を隠しきれておらず、途中で声が裏返っている鹿島を見た城ヶ崎にも彼女の緊張感は伝染していた。

「お、俺は大丈夫ですよ? せ、先輩だってあ、あれだけ強気だったんですから……た、頼みますよ……。」

 話し方が移ったかのような城ヶ崎の口調に2人の緊張感は高まっていく。途端に不安に襲われ、冷や汗をかいてきた城ヶ崎は動揺していた。そして佐久間先生はそれを腹を抱えながら笑うのを必死に堪えている。

「せ、先輩は大丈夫ですか? 今日は先輩がガツンと言うんですよね?」

 緊張で震え出している彼女を見て、城ヶ崎は本当に心配になってきていた。彼女は何回か大袈裟に深呼吸を繰り返した。

「アハハハ! あんたたち大丈夫? 一応大事になるかもしれないからってことで私も今回の依頼には協力するけどさぁ。」

 佐久間先生は2人とは対照的に膝を震わせながら堪えきれずに笑い声を上げた。

「だ、大丈夫です! 頑張ります!」

 彼女は無理に声を張り上げているようにも聞こえたが、それを聞いた佐久間先生は優しく微笑んだ。

「そう、なら良かった。くれぐれも無理するんじゃないわよ。」

 普段のあっけらかんとした教師らしからぬ発言や行動とは裏腹に、鹿島を心配する彼女を城ヶ崎は初めて見たのかもしれない。佐久間先生の意外な、と言っても教師という面では当たり前かもしれない発言に彼は戸惑ってしまっていた。

「それじゃ、私はやることあるから、後は頑張ってね。」

 先生はそう言って部室を後にした。途端に静寂が訪れ、せっかく消えかけていた緊張が腹の底から再度湧き上がってくるのを城ヶ崎は実感していた。

「よしっ! やるわよ!」

 そんなどんよりと暗い雰囲気を吹き飛ばすように鹿島は自分で頬を叩いて、自身を鼓舞した。その姿はまさに普段から見慣れている応援部部長、鹿島茜その人だった。それを見て安心した城ヶ崎は部室の窓へと歩いて行き、グラウンドで行われているサッカー部の練習を眺めるのだった。

 時間は過ぎていき、日もだいぶ暮れてきた頃、城ヶ崎と鹿島はサッカー部の練習が終わるよりも先に今回のターゲットと遭遇する地点に移動し、曲がり角に身を潜め、相手が来るのをじっと待っていた。緊張は右肩上がりで高まっていき、心臓がバクバクと高鳴っていくのが自分でも分かった。

「城ヶ崎君緊張してるでしょ?」

 鹿島がニヤニヤしながら聞いてくるが、それは彼の状態を見れば誰もがそう思うだろう。その証拠に彼の足と腕は多少ばかり震えていた。かくいう彼女において、部室でのあの醜態を見れば彼女も緊張しているのだろうと城ヶ崎は思っていた。しかし、その時の彼女はいなくなっており、まるで別人のような凛々しい様子で振る舞っている。なぜこんなにも気持ちの切り替えが早く出来るのか彼には分からなかった。

「城ヶ崎君はそんなに緊張する必要無いわよ。今日は私が言うんだから。」

 確かに彼女の言う通りだ。今回城ヶ崎のやることはただ彼女を見守るだけ、つまり完全なる外野だ。先輩の活動を見て学ぶと言えば聞こえはいいが、恐らく彼には初対面の相手にいきなり嫌がらせを止めろと言えるような胆力は無いと判断されてのことだろう。

「まぁ、そうなんですけど……見てるこっちもハラハラするんですよね……。」

 実際、何も言わないにも関わらず、彼は彼女以上に緊張しているように見えたので、仮に彼が鹿島と一緒に先輩たちと向き合えば極度の緊張から部室の時のように全く覇気の無い状態になるのは必至だと考えられた。

「来たよ!」

 彼女の声に一段と緊張が高まった。城ヶ崎は唾をゴクリと飲み込む。

「それじゃあ行ってくるね。」

 彼女はいつも見せてくれる明るい声、表情で城ヶ崎に手を振り、曲がり角から身を踊らせた。

「はいっ! 頑張って下さい!」

 それを彼はただ大きな声で応援することしか出来なかった。それは仕方のないことなのかもしれないが、彼は悔しさ、そして虚しさが湧き上がっていた。

 

 

 

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